保養と娯楽の港町、ブライトンにて
ブライトンはロンドンから列車で南に一時間ほど下った場所にある港町です。
ロンドンから手軽に行ける観光地であり、多くの人々でにぎわっています。
特に上の写真のBrithton Pierと呼ばれる長い橋には、遊園地やゲームセンターなどが入っており、家族連れの人々が余暇を楽しんでいる様子がうかがえます。
ちなみに、森薫の『エマ』という漫画でも、保養地としてのブライトンが紹介されています。
ブライトンが現在のような姿になったのは、いかなる歴史が関わっているのでしょうか。
Brighton Museum
ロイヤル・パヴィリオンという名所のすぐ近くに、このミュージアムがあります。
エントランスを抜けると、すぐに色々なインテリアデザインの展示が目に入ります。特に、古今東西・新旧様々な椅子のコレクションが展示の特徴であるようです。
ブライトン・ミュージアムでは、美術品の展示だけはでなく、ブライトンの歴史も展示しています。
ブライトンの歴史
ブライトンは漁業を中心として港町として発展し、17世紀中葉まではサセックス州で最も発展した街になりました。ところが、1700年代になると、漁業は衰退し、人口も減少してしまいます。
こうした街の状況を変えたのが、一人の医師によるある治療法の考案でした。Dr Richard Russell が海水の飲用と海水浴のために患者をブライトンに送り始めたのです。
こうしてブライトンは保養のためのリゾートとしてにぎわい始め、新たな雇用が生まれ、再び急速に発展していったのです。
1840年代には列車が開通し、ブライトンは保養地から観光地へと変化します。その結果さらに多くの観光客がブライトンを訪れるになります。となると、観光客のためのナイトクラブなど、夜の娯楽も提供されるようになり、ブライトンは昼夜を問わない娯楽の街となりました。
このような歴史は、日本でいえば鎌倉や伊豆などの地域にも通じるものがあり、興味深い港町の歴史であるように思います。
アフリカとヨーロッパ
また、特別展では、アフリカのファッションの現在というテーマの展示がなされていました。多くのドレスなどの衣装がアフリカらしいカラフルな色合いで作られており、その斬新な装いは十分にイギリスやヨーロッパのファッションの世界に影響を与えているのだと感じました。
イギリスにいると、人々の関心がアフリカに多く注がれていることに気が付きます。日本にいるとアフリカというのは貧困などのイメージが先行した「遠い国」ですが、ヨーロッパの諸国にとってみれば、移民の関係もあり、とても身近な地域なのだと感じられます。
住む場所が変われば、関わりをもつ人々も、身近な人々も、手に入る情報の種類も変わります。それは当たり前のことかもしれません。けれども、その当たり前を実感することは、とても大切なことなのだと思います。
2017年3月7日