博物学探訪記

奥会津より

ナショナル・ギャラリー National Gallery

中世から近代までの西欧絵画を網羅するイギリスの国立美術館 

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ナショナル・ギャラリーはロンドンのセントラルの中でも、さらに中心に位置しています。少し南に歩けば、ビッグ・ベンウェストミンスター大寺院も見ることができますし、晴れた日にはテムズ川のほとりを歩いて楽しめます。

 

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余談ですが、年末年始のカウントダウンでは、ロンドンで花火が上げられますが、このナショナル・ギャラリー周辺は花火を見るための絶好のスポットであり、多くの人々で混雑していました。

 

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13世紀末から20世紀初頭までのヨーロッパ絵画を網羅

ナショナル(国立)という名称がついていますが、この美術館のコレクションはイギリスの作品に限ったものではありません。ゆえに、館内にはイタリアやフランス由来の作品が多々あります。

 

1824年に創立されたナショナル・ギャラリーですが、その設立の趣旨は、イギリスにおける美術の遅れといった問題意識があったようです。

まずは、1823年に発起人の一人であるサー・ジョージ・ボーモントが展示と保存のための建物を条件として、自身のコレクションを国家に寄贈することを約束します。その後も、聖職者のホルウェル・カーなども同じ条件のもとで寄贈を確約しました。こうした人々の寄贈には、ルーベンスレンブラントの著名な作品も含まれていたようです。

1824年には、ナショナル・ギャラリー設立のための決定的な出来事が起きます。一つは、サンクト・ペテルブルク出身の金融業者、ジョン・ジュリアス・アンガースタインのコレクションが売りに出されたことです。二つ目は、オーストリアから戦績の支払いがあったことで、ギャラリー設立の予算の目処がたったことでした。

現在のトラファルガー・スクエアに施設が移転されたのが、1838年ですが、どうもこの新しい建物は評判が芳しくなかったようです*1

 

「もっと知りたいと切実に望んでいる人々」のために

イギリスにおけるナショナル・ギャラリーなどの国立博物館・美術館は基本的に入館料が無料となっています。これは、フランスやイタリアの国立ミュージアムにはみられない、イギリスの顕著な特徴です。そのおかげで、実に様々な背景の人々が、気軽にミュージアムに行き、作品を鑑賞するという文化が定着しています。イギリスにも多くの課題がありますが、ことこの文化政策に関しては、わたしは手放しで称賛しています。

 

ナショナル・ギャラリーは来館者がより静かで落ち着いた環境で作品を鑑賞するために、何度か移転の話が持ち上がっていたようです。しかし、「1857年度ナショナル・ギャラリー用地問題に関する議会諮問委員会」に対するコーリッジ判事の意見に代表されるように、「ロンドンの雑踏のただなか」にあってこそ、ナショナル・ギャラリーは価値があるという考えが根底にあるようです。

彼の意見では、「美術についてはごく控えめな知識しか持ち合わせないが、もっと知りたいと切に望んでいて、仕事で手一杯なので、ときどき半時間か一時間の暇ならあっても、丸1日の暇はめったにない――そういう階層の大勢の人々」のためにこそ、ミュージアムは存在する意味があるとされます。

こうした姿勢は、現在でも踏襲され続けており、コーリッジの言葉はこのギャラリーの理念にもなっています。「絵画がそこにあるということ自体はコレクションの目的ではなく、手段に過ぎない。その手段によって達成すべきは、人々に精神を高めるような喜びを与えることなのである」と*2

 

クロード、ターナー、モネ、風景画の英仏文化交流

ウォーター・ルームから17世紀の絵画方面の通路を通ると、8角形の小さな小部屋につきあたります。そこでは、イギリスの天才画家ウイリアムターナーの絵と、彼が影響を受けたフランス人画家のクロード・ロランの絵を同時に見比べることができます。

 

これらの絵の配置は、ターナーの遺言によるものでした。彼は自身の絵とロランの絵を来館者に見比べさせるだけでなく、主要な絵画形式としての風景画が17世紀の所産であることを主張しようとしたとされます*3

まばゆい日の光にさらされた港町の光景は、様々な技巧がこらしてあるにも関わらず、見るものにただ純粋な美しさ、このような風景画に出逢えることの喜びを感じさせます。

 

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 クロードの影響を受けたターナーは、光を積極的に絵の中に取り入れます。こうした試みが、われわれのよく知るフランスの印象派の絵よりも半世紀ほど早く行われていたのですから、ターナーの才能には舌を巻きます。

また、実際に印象派の人々もターナーの作品に影響を受けていたようです。例えばモネの作品の変化の仕方は、ターナーのそれと重なるところがあります。ターナーが歴史画や神話をモチーフにした写実的な絵画から出発し、やがては非常に抽象的なモチーフの中で、光や色のあり方を追及していったように、晩年のモネも目を患いながら、より抽象的な描き方や、やや奇抜な色遣いになっていきました。

 

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上の作品は、テムズ川ウェストミンスター寺院を描いたモネの作品です。クロードの影響を受けたターナーに影響された印象派の一人が、ロンドンの絵を描くというのは、どこか運命的なもの歴史的なものを感じますね。

 

さて、今回は長くなってしまいましたが、やはりロンドンはヨーロッパの中心といえるところがあると思います(ブレクジットによって状況は変化しつつありますが)。ロンドンの中でも中心にあるナショナル・ギャラリーでは、ヨーロッパの絵画の歴史を一覧できます。ヨーロッパの中心でヨーロッパを眺めるという経験は、少し不遜な気もしますが、とても貴重で特異な経験になると思います。

 

2017年3月12日 

*1:エリガ・ラングミュア著, 高橋裕子訳『ナショナル・ギャラリー・コンパニオン・ガイド 増補改訂版』イエール大学出版, 2016年, 9-10頁

*2:同上, 10頁

*3:同上, 182頁

*4:クロード・ロラン Claud Lorrain≪海港、シバの女王の船出≫Seaport with Embarkation of the Queen of Sheba, 1648年, カンヴァスに油彩, 149×197cm

*5:ウィリアム・ターナー William Turner≪カルタゴを建設するディド≫ Dido Building Carthage, 1815年, カンヴァスに油彩, 155.5×231.85cm

*6:クロード・モネ Claude Monet, The Thames below Westminster, 1871年頃, キャンバスに油彩, 47x73cm