博物学探訪記

福島県郡山市より

奥会津・昭和村探訪記

2018年6月9日

 

午前中まで本を読む。自分史および個人史の先行研究と理論をまとめている。

個人の人生や歴史を大きな歴史を、「全体」とされる歴史に位置づけるのではないあり方で、読み解くことはできないか?

あるいは、歴史家のもつ「全体」意識の構築のされ方がいかなるものかを論証することを目指している。

 

お昼前に車で郡山から須賀川を通り、天栄村を抜け、南会津町に到着。塔のへつり近くのセブンイレブンで休憩がてら、コーヒーを飲み、周辺マップを見る。

 

「旧会津郡役所」という明治期における洋風建築に興味をひかれたので、寄ってみる。

薄緑色が綺麗な堂々たる建築だ。館内は写真撮影が禁じられているので外観と周辺地図だけ撮影する。

f:id:hinasaki:20180613201940j:plain

入館すると、受付の方が建物の説明はいりますか?と尋ねてきたので思わずお願いする。彼女はよどみなく建物の成り立ちから、会津田島の江戸時代からの歴史を説明する。説明に慣れているのだろう。他に施設に常駐の職員もいないようであるので、受付の方が館内の説明の役も担っていることがわかる。

 

中は予想よりも広く、展示もおもしろい。明治時代にこのような絢爛な役所を設立することは、結果的に地元の人々の出資と労役に依存することになる。それにも関わらず、手間のかかる洋風の建物を建てることに、新しい時代の象徴たることを願ったのだろうか。

昭和期に新しい役所が設立されることになると、この洋館は取り壊されることになったのだが、地元住民の要請できゅうきょ保存されることになったという。もちろんそのためにはお金がかかる。しかし、この洋館はすでに地元の象徴として機能していたのだろう。現在の新役所の場所から移動して保存することになった。

 

30分ほどで見学を終え、昭和村を目指す。

午後2時から、昭和村公民館で久島桃代さん(お茶の水女女子大 特別研究員・博士)による昭和学講座「農村に移住する女性と身体化される場所 福島県「織姫」の語りから」を受講する。参加者は自由で、私の他にも村外から参加された方が何人かいた。

 

f:id:hinasaki:20180613202341j:plain

 

f:id:hinasaki:20180613202440j:plain

 

f:id:hinasaki:20180613202241j:plain

 

私の理解したところ、久島さんは「織姫」としてからむし織りの技術を学ぶために昭和村に移住した若い女性(独身というニュアンスを含む)がどのようにその経験を身体化するか、その過程でいかなる関係を住民や土地と築くか、織姫としての活動が移住者のみならず土地の住民にどのような影響をもたらすかについて論じている。

 

久島さんの独創的な点は、移住を完了した女性のみならず、織姫の勤めを辞し、昭和村を離れた人々にも着目していることだろう。そうした人々もまた「身体化」された経験をもとにからむしや自然に対して新たな世界観を構築していることを指摘する。そうであるからこそ、単に織姫の活動や経験だけを対象とするのではなく、「身体化」という概念を通じで、身体化された経験がその後の人生に及ぼす影響を視野に入れているのである。

 

織姫が身体化の結果を言語化することは難しい。言語化するためには自らの経験を対象化しなければならないが、経験が自分の身体と深く結びつくとき、経験のみを取り出して言葉で表現することができなくなるからだ。ゆえに久島さんはインタビューという調査方法ではなく、自ら昭和村に「住み込み」、季節の変化を感じながら、織姫の方たちと同じ空間で、同じ時間を過ごすことで、言語化できない何かをすくいとろうとしたと話す。

 

例えば、織姫の方達はからむしの作業に込められた精神性を学ぶことで、日々の生活の姿勢が変化するという。からむしに触れる手つきが代わり、からむしを擬人化するかのごとく「傷つけないように」扱うのだとされる。

織姫はからむしが趣味や収入を得るための材料以上のものにみえ、からむしを生産した農家の方の顔が自然と浮かび上がるようになるとされる。これは新たな視点の獲得であり、世界観の刷新だと思われる。

 

昭和村に移住した経験を持つ織姫にとって、その時間はその後も昭和村にとどまるにせよ、離れるにせよ、いかなる意味をもつのか。

 

「限られた時間(いずれ去ることを予期する時間)」をある土地で過ごすことになったとき、人々はどのような生活を営むのだろうか。そのような土地や場所を「動き続ける人を見る」ことが久島さんの研究の根本にある。

 

私の久島さんの研究に対する問いは次の通りである。ある土地で過ごした経験を「身体化」した人は新たな視点を獲得し、世界観を更新する。それは詩的な表現になってしまうが、「新たな身体」、「新たな自分」になったということではないだろうか。そのように考えるならば、自己の変化を元織姫の方達はどのように受け止めるのか。動き続ける人々にとって、一つの土地で過ごした後も、人生は続いてゆく。そうであれば、「その後の人生」を過去の経験に即してどのように考えていくかが、織姫のみならず移動が容易になった近現代において、重要な問いとして浮かび上がると私は考えている。

 

閑話休題

 

昭和学を終えたあと、昭和村の道の駅によると、昭和村の知り合いと再会した。一年間の間にそれぞれ立場が変わったことに驚く。時間の密度は人によって異なることを再確認した。

その後のイベントを一緒に行く予定の2人と道の駅で合流できたが、時間をもてあましたので、しらかば荘の日帰り温泉に行く。良い湯ざんす。

 

お風呂上りに、ファーマーズ・カフェ大芦屋でなかよしバンドのコンサートを見る。三島町でお世話になった方がバンドのメンバーを務めており、彼が昭和村でどのようなコミュニティを築いているのかに興味があった。

 

f:id:hinasaki:20180613202558j:plain

f:id:hinasaki:20180613202651j:plain

 

なかよしバンドはすでに38年?ほど活動を続けているという。

このバンドが演奏する全ての曲はメンバーの自作である。自作自演というわけだ。

昭和村という土地で、大芦屋というカフェで、このようなバンドが存在し、演奏することについて考える。久島さんの「移動する人々」とは対照的に、「土地に留まり続ける人々」である。彼らの演奏を目的に、20人ほどの人々が肩を寄せて手を鳴らし、ときには一緒に歌う。曲は季節の変化や、時の移ろいをテーマにするものが多い。だが、身体は年をとり、生活も変化し、土地そのものもまた変わっていくなかで、同じメンバーで同じ土地で歌い続ける人がいる。

 

やがて移動するという比喩は、人間の生そのものにあてはまる。

われわれはいつか必ず死ぬ。この世を去る。

しかしそのときまでに、自分の身体をどこかの土地に預けて暮らしていく。

そうした人々の日々の暮らしを癒す歌を、なかよしバンドは歌い上げる。

 

少なくとも、そのようなバンドがある土地は、ない土地よりも幸福そうに、私の目には映るのだ。