博物学探訪記

奥会津より

ブログ再開

 

最後に記事を書いたのが9月ですね。

 

アクセス解析を見ていると、こんなきれぎれのブログにもちらほら訪問者がいることがわかります。ありがたいことです。

 

その間なにをしていたかというと、おもに東京の大学院に通って必要な単位を取るために授業を受けていました。ちょうど無職だったこともあり、時間のあるうちにゼミ以外の単位をとっておこうかと思いまして。ブログの副題の「福島県郡山より」は風と共に去りました。

 

そんで4年ぶり、というか博士課程にあがって初めて集中して学問に打ち込み、2本ほど投稿論文を書いていました。あらためて、論文を書くという行為は非人間的営みだと実感する次第であります。頭がおかしくなるので、もう書きたくないと思う一方で、自分の思考を書くのはくせになるんだよなぁ、と中毒者のようにも思っています。

 

そんで無事に授業のレポートを提出し、ゼミの報告も終え、投稿論文を一つ出し(もう一本は3月末〆切)、郡山に戻ってきたので、今まで学問に割いていた脳力をブログ更新に切り替えます。いや、論文書いているときにはたとえブログであろうと書くのは無理。体力的・脳力的に無理。まぁ、つまりは自分に力がないだけですが。

 

さて、大学関係以外にしていたことを、今後ブログに書いていくつもりです。

 

①東北探訪記

 

9月中旬に、福島からスタートして山形、秋田、青森、函館と軽自動車にテントを積んで旅行してました。特に意識はしてませんでしたが、結果的に戊辰戦争ルートかよ、と思うような行程でした。そこで訪れた博物館・美術館を中心に書く予定です。

 

京都大学吉田寮探訪記

 

昨年10月に取り壊し予定だった吉田寮に行き、4泊ほどしてきました。日本最古の自治寮とのことですが、その姿はまさに混沌。カオスの権化。よって最の高。現代日本が汚物や見たくないものを排して、きれーにすまーとになろうとした結果、のっぺりしてるのに威圧的で、他人をこきおろさないと気がすまない社会とは異なる空間が残っています。大学の姑息な圧力にも負けずに、今日も吉田寮の住人は住み続けることで抗っています。がんばれ吉田寮、負けるな吉田寮、そなたは美しい。

 

③書評 菅家博昭『イヌワシ保護一千日の記録 猛禽類保護実践と奥只見発電所増設事件』はる書房, 1997年

 

今年1月の読書会のテクストとして、表題の作品を読みました。菅家さんとは個人的な付き合いもあり、菅家さんが代表を務める会津学研究会に所属しているので、菅家さんの単著を中心に書評を書きます。菅家さんを含め、これまで読書会で読み、このブログでも扱った渡辺京二と小松理虔さんの著作を地方における生き方、社会問題への対応、歴史・自然への接近の仕方といった観点から読み解き、関係づけ、現代史の中に位置づけることをしてみます。読書会のメンバーで臨みます。

 

④研究ノート「政治的なものと科学技術」

テクスト:トーマス・クーン, 中山茂訳『科学革命の構造』みすず書房, 1971年

 

こちらは大学院の友人との読書会で書く予定のノートになります。『科学革命の構造』という課題本をもとに、科学技術と政治の関係について各自が論じます。私は課題本の原本が出た1960年代を中心に、当時の科学技術がもたらした政治への影響について、ハンナ・アレント『人間の条件』、スタンリー・キューブリック2001年宇宙の旅』、初代ゴジラなどの作品と関連付けて、論じる予定です。

 

あれ、おかしいな。なんでせっかく大学院の授業が終わり、投稿論文もおおかた書き終わったのに、こんなにやることが残っているのだ?小生、南洋帰りの引揚史の研究も始めなければならないのだが。

 

とまぁ、性格的にだらだらすることはあっても、何もしないということはないので、結果的になんとなく予定があって忙しい感じで年度末を過ごすことになりそうです。

 

それに加えて、これから福島で就職活動をしないと貯金が無くなります。学芸員の仕事が望ましいと思っていたら、只見町のブナセンターで募集があったので、応募してみるかもしれません。遅くとも4月までには仕事を始めねば。

 

どなたが読んでくださっているかは存じ上げませんが、そんなつもりで書いていきます。では。

 

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