思えば、今年度はいろいろな場所を訪れた。
5月に沖縄に行き、7月には九州を旅し、そして9月は東北を移動して回った。
20代の最後の年としては、なかなかに充実していたのではないか。
とはいえ、同年代の友人が社会人としてそれなりの月日を過ごし、マン・オブ・ザ・ワールド(世界の中心)で、この世の理不尽に耐えながら仕事を続ける姿を見ると、自分はこんなんで良いのかと思ったりもする。
それでも結局は、自分は自分、他人は他人、ということになる。
全ての選択のつけは自分に回ってくるのだが、それでもやり残したことを後悔して死ぬよりも良いのではと、思ってしまうのだ。これが若気の至りというのであれば、そうなのかもしれない。
瀬尾まいこの『見えない誰かと』(祥伝社、2009年)に次のような一文がある。
二十六歳のときの一年間、私は学校での講師の仕事をせずに、一年間自由に過ごしていた。(52頁)
最初に読んだのがいつだったのかはもう忘れてしまったけれど、僕はこの本を読んだときに、二十代のどこかで何もしない一年間を作ろうと考えた。とはいえ、大学院を一度出たときにはすでに24歳になっていたから、たいした経験も苦労もしていない。
それでも、これまでの自分を一回総括して、三十代を過ごすための時間を設けることは、そんなに悪くないのでは、と思っていた。だから実行してみた。
そして、瀬尾まいこが「結局、『もう学校では働けないね』と話していた私たちは、今、二人そろって元の生活に戻っている。私は中学校で働き、彼女は幼稚園で働いている」(同上、55頁)と書いたように、僕もまた再び社会の中に溶け込む気になった。
それで良いのだ。人はみな自分の人生に納得したいだけなのだから。
それでもう、東北を旅行してから何ヶ月も過ぎてしまったけれど、ゆっくりと振り返りながら、思い出を書いていこう。やがてきたる苦しみの中で、でもあのときはけっこう楽しかったしな、と記憶を反芻して生きていけるように。
2018年9月11日火曜日。
用事のない旅行は準備の段階からしてすこぶる楽しい。
特に今回は、軽自動車にテントを積んで、ホテルや旅館の予約をすることもなく、日々気が向いたとおりに動き回るような、あてどもない旅である。沢木耕太郎の『深夜特急』に憧れていたときのことを思い出す。
朝、日差しを浴びながら、車のエンジンを回す。iPhoneをセットして、お気に入りのプレイリストを選ぶ。くるりの「奇跡」が流れる。
実家近くの道路をゆるゆると走り抜けると、やがて国道4号線につながり、あとはひたすら山形市に向かって北上していく。
駐車場に車を止めて、山形美術館を訪れる。地方の私設美術館として始まった同館だが、著名な洋画のコレクションを所持している。
山形新聞・山形交通グループの連合の提唱によって、山形美術館は1964年に創立している。
岡山県倉敷の大原美術館や、東京都のブリジストン美術館と同様に、企業が創設した私立美術館である。現在これらの私立美術館は多くの場合、公益財団法人の運営となっているが、黎明期は企業が社会に芸術という形で利益を還元しようとしていたことがわかる。
このブログで紹介したイギリスの国立美術館も基本的に同じ目的から始まっている。
山形美術館では、近隣の小中高学校などの作品展も行われており、地域の公共を担っていることがよく伝わる。
全体的に良い展示だった。売店で戦後ロシアに関する企画展のカタログを買う。
近くのビジネスホテルの1階にあったレストランで昼食をとり、午後からは霞城公園などの市内を散策して回る。
山形県立博物館に行きたかったが、展示替のため休館だった。誠に残念。
旧済生館本館。美しい。たしか元の場所から移動させたのだとか。
山形の医術史が展示されている。
文翔館。閉館時間が迫っていたので、駆け足で中を見ていたが、山形の基本的な通史を学ぶにはうってつけの場所である。建物が美しい。初代山形県知事の三島通庸は鹿児島出身だが、山形に西洋建築物を建てて、維新の効用を目に見えるようにした。しかし建て過ぎな感じはする。
米所であった庄内をもち、かつ特産品として苧や紅花を生産していた山形は、かなり裕福な県であったといえるだろう。しかし、米作を中心とする農業県は第一次世界大戦後の不況によって立ち行かなくなる。米が特権化された時代が終えたということになる。
そこで、開拓移民として北海道や満州、朝鮮、南洋群島への移民が積極的に行われるようになる。これは福島県も同様であり、南洋群島を調べた限りでは、東北では福島と山形が突出して移民を行っている。
僕の祖父は南洋群島のテニアンで幼少期を過ごしているが、家の向かいに「ヤマガター」と呼んでいた山形からの移民家族が住んでいたことをはっきりと記憶している。
山形は良い。とても良い。
市内の散策を終えて、
管理人がいなかったので、テントサイトがどこだかよくわからなかった。
事前にテントの張り方を父から教わっていたので、あまり苦労もなく設営が終わる。その後で近くの日帰り温泉に行き、スーパーで夕飯を買って食す。夜は少し寒い。寝袋の上に毛布をかけて寝た。
晩夏の旅の一日目が終わった。