博物学探訪記

奥会津より

Studio・Hommage『国シリーズ』への賛歌②『ハルカの国』

ハルカの国

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『ハルカの国』では、既存の『国シリーズ』における天狗の国の在り方がどのように形成されていたのかを、人間の国におけるユキカゼとハルカという二人の化けの視点から描いている。

 

『ハルカの国』はまだ完成していない。しかし、編を重ねるごとに演出が洗練・加算されていき、システムも刷新されたため、「Kazukiっ!おめ、死んじまうぞっ!」と思いながらプレイしている。

 

「はじまりは、明治」とあるように、江戸時代が終わり、明治政府が日本という近代国家を形成しはじめた歴史と、その形成史における天狗の国との関係史、それらにやがては天狗の国の一つの柱となる賢狼ハルカが、キツネの化けであるユキカゼと共にどのように関わっていたのかが描かれる。ヴィジュアルノベルにおいて、いわゆる通史ものをきちんと描く作品は珍しい。しかし、『キリンの国』や『雪子の国』においても問題の萌芽は過去との連なり、つまり歴史としてあらわれたことを鑑みれば、極めて妥当なテーマでもある。

 

そして『ハルカの国』は『国シリーズ』の根幹となる「国」なるものの正体や、なぜ人が、化けが、天狗が「国」を求めるのか、国家の盛衰によってその国民はどのような影響を受けるのかに取り組んでいる。

 

第一編「明治越冬編」

 

ユキカゼはキツネの化けであり、剣の道を志す者である。明治政府が発足して、化けという存在が形式上の神祇官付きとなって以来、宮仕えとしての体裁を一応保ちながら、自身が心に決めた剣の道を究めんと欲していた。ユキカゼにとって「強さとは自分のもの」であり、自分以外の者が強いと目されるともう我慢ができない。強い者とかたっぱしから勝負し、剣によって打ち負かすことだけが、ユキカゼの生きる道なのである。

 

ゆえに、遠い北国において東日本随一の強さをもつとされる「賢狼ハルカ」のうわさを聞くと、いてもたってもいられない。自分以外の強さは許されない。ということで、ユキカゼはハルカが住まう東北へと勝負の旅に出かける。

 

これだけ聞くと、ユキカゼはなんと単純で傲慢なやつなのだと感じさせる。実際にその印象は間違ってはいない。ユキカゼは単純で傲慢だ。けれどもそれだけではない。ユキカゼには情がある。ユキカゼは涙を流せる化けなのだ。

 

ユキカゼのキャラクター造形は実に良い。『ハルカの国』では全編を通して100年の時が流れる。それに合わせて、ユキカゼとハルカも年を重ね、変化していく。それぞれの時代にあって変わっていくユキカゼだが、どの時代にあってもどこかでユキカゼらしさを残し、深い情けをもつ。僕はどの時代のユキカゼも好きだ。

 

そして、剣の道を生きるという生き方も化け特有の事情がある。化けは子孫を設けるわけでもなく、他者と群れて生きるわけでもない。化けは生まれてから死ぬまで生命体としての、あるは社会的動物としての固有の存在理由をもたない。よって、化けは自らの存在理由を自分で培わなくてはならない。ユキカゼが自分の存在理由として選んだ道こそが、剣の道だったのである。

 

だからこそ、自分以外の誰かが強さをもつことは、自分という存在への挑戦であり、自己の存在理由を脅かす脅威なのである。存在を否定されては生きていけない。ユキカゼがハルカに挑み、勝負をかけるのは彼女なりの自明の理であった。

 

ところが、ハルカはそんなユキカゼとの勝負に罠を張り、簡単にユキカゼを打ち負かしてしまう。賢狼たるゆえんである。勝負の結果に納得がいかないユキカゼは、ハルカの住まいに居座り、ハルカと共に東北の厳しい冬を体験する。越冬編の筋書きはこんなところだ。

 

僕自身、奥会津の豪雪地帯に住んでいるので、越冬編が描く雪景色に感応しながらゲームをプレイしていた。あの長い冬の降雪がもたらす暴力。かいてもかいても終わらない除雪作業。玄関から車までの雪を、自分の背丈よりも高くなるほど積み上げて道をつくったというのに、一晩たてば道が雪で埋もれてしまったときのやるせなさと溜息。スノーダンプを頭の上にかかげながら雪を漕いでいったときの八甲田山状態。平屋が雪で埋まっていく様子ときたら、人間の営みなどたいしたもんじゃないよ。

 

越冬編が描く世界は、自然の理によって支配されていた最後の時代である。東北の山村で自然崇拝の象徴として村人の生活を采配していたハルカは、明治政府による化けは調伏し政府に帰順すべしとの託宣をもってあらわれたユキカゼによって、その命運が決まった。ハルカはユキカゼと一緒にムラでの最後の冬を越冬するわけだが、それは新たな時代への越冬をも意味していた。

 

ハルカが住まうムラでは、自然暦にそって人々の生活が営まれ、季節に合わせた農耕を行い、長い冬の準備を村人が総出で手伝う。晦日を経て新年を迎えれば、村人の年齢もまた一つ年取りとなる世界だ。雪深い東北の山村においては、石高によって村の人口が決定される。石高を超えた人口を維持することはできない。ゆえに年を重ね、生産年齢を超過した老人になれば、姥捨ての対象となり、ハルカの采配で山の中で生涯を終える。そして新たな命がムラに宿る。これを繰り返してきた。

 

ユキカゼはそうしたムラの様子を目の当たりにする。都ではついぞ見なかった景色を見る。何より、雪によって外界から閉ざされた住処で暮らせば、共にいるハルカの存在がよすがとなる。ユキカゼの世界に剣以外の他者があらわれる。ハルカ、ムラの接待役、その娘、そして姥捨てとなるその親。

 

自然暦にそって循環する世界にあっても、村人の情念は生命の循環的消失をありのままに受け入れることはできない。心というものが、あるのだから。幼女は祖母を山へと還すハルカを受け入れることができず、憎しみの目を向ける。幼女の父は自分の母が老いて姥捨ての出番となったこと、その役目をハルカがあえて引き受けていることを知っているため、娘の無礼を叱責し、ハルカに謝罪する。老婆は手ずから育てた子と孫の成長をみて、自分の勤めが終わったことを悟り、山に還るまでのひと時を幼年時代の記憶と共に過ごす。

 

生きているだけでも、つらいものが山とある。そのうえ、自然の理による暮らしも新時代の幕開けと共にハルカという依り代を失い、新たに生きる術を見つけていかなくてはならない。ハルカの最後の世話人となった佐一の苦悩は重い。これからはかつての指針がなくなったのだ。新たな指針を模索していかなくてはならないのだから。

 

 

佐一らが暮らす邦(くに)を想い、ユキカゼは涙を流す。祖母を失った孫に声を張る。この国には、辛いことや悲しいことだけではない。嬉しいものや美しいものだってきっとあるのだから、と。

 

こう書いてみると、越冬編は実に良い話である。姥捨てに送った祖母の最後をハルカに尋ねる佐一、その悲哀は人が生きる上で必ず死別の際にあらわれるのだから、乗り越えて強くなってほしいという娘への想い。Kazuki氏は物語の情動というものをよくわかっている。予期された展開であっても、僕はやはりこのシーンをプレイする度に涙ぐむ。

 

越冬編では、東北のクニの、雪を中心とする自然暦の世界が描かれた。その自然暦はハルカという神の化身、化けを信仰上の最高位として村人が暮らす、いわば前近代の世界である。しかし、そのハルカという化けが神の代理としての立場を追われることで、東北の山村にも近代化の影響があらわれることになる。人間も自然の一部として生命の循環システムに組み込まれる時代が終焉を迎える。その終焉にあって、村人は途方に暮れ、新世界の到来を恐れる。

 

実はユキカゼにとっても事情は同じである。剣の道を究めんと一つの理に殉じた志は、自然暦という自然崇拝を最上位に据え置く村人の信仰とさして変わるところがない。剣か自然か、という信仰の対象が異なるのみで、一つの理をもって世界に応対しようとする一元論的世界観を踏襲している。しかし、そのユキカゼにも御仁というハルカがあらわれた。村人にも近代があらわれたのと同様に。「歴史的変遷の中で、既存の世界観の攪拌と新たな異物の出現による存在の葛藤」、これが『ハルカの世界』の全編において繰り返しあらわれるテーマである。この葛藤において、人は、化けは、国は、どのような心情を抱き、いかなる選択を得て、何を選ばされるのか。これらにおいて実に見事な物語が展開される。『ハルカの国」の幕開けである。

 

第二編「明治決別編」

 

東北の山村から降りてきたユキカゼとハルカは、上京する道すがら明治政府の官吏と接触し、策を仕掛けられた結果、山形に出現したイノシシの化けの討伐に向かうことになる。ハルカを相手が蟲毒の呪いを受けた特殊な化けであることを悟り、ユキカゼに分が悪い勝負に出ないよう百の理をもって説得する。ユキカゼはハルカに説得されるたびに、その理に恭順しそうになるが、彼女の内に宿る何かがハルカの理を是としない。

 

理屈ではない、何か。剣の道を究めんとし、「強さはおのれにある」という自負。剣の修行に勤しんだ過去。ハルカを認めても、その下に降りたくないという意思。これまでユキカゼという形をつくってきた自我の発露。その想いがユキカゼをイノシシとの勝負に駆り立てる。

 

このようにまとめてしまうと味気ないかもしれないが、その過程にあって、ユキカゼは悩み、自分をたばかった官吏の五木に相談をもちかけ、ハルカの説得に心を屈し、けれども理由が判然としないが吹き出る衝動に身をまかせようとする。ユキカゼの葛藤には、化けの本性があらわれる。

 

さて、『決別編』には書くことが少ない。内容は良いし、五木というキャラクターは『雪子の国』の猪飼に匹敵するほど印象深く、味わいがある。僕は、あわや裏切ったと思われた五木が再びユキカゼとハルカの前に姿を現し、「自分を待ってくれている人がいるというのは、とても嬉しいものだ」と語るところで涙を流した。

 

書くことが少ないのは、おそらく『決別編』が物語的に完結しているからだ。『ハルカの国』の趣旨として、「歴史的変遷の中で、既存の世界観の攪拌と新たな異物の出現による存在の葛藤」の物語であると既述した。『越冬編』がユキカゼにとってのハルカという「新たな異物の出現」であるのならば、捨てきれない過去の自己という「既存の世界観の攪拌」をどこかで描かなくてはならない。ゆえに、『訣別編』はそれ自体素晴らしい出来栄えだが、どこかで構成上の要請が出ている物語であるとも感じる。

 

ユキカゼは剣の達人であるのかもしれないが、ハルカをはじめ、ユキカゼ以上の強さを身にまとった存在は一定数いるだろう。だからこそ、必然的にユキカゼはどこかで策謀や罠にかからずとも敗北を迎える。ユキカゼは物語上、負けるのだ。その負けは様々な形であらわれる。ユキカゼは五木やハルカと共に、イノシシには勝利するが、その後にあらためてハルカと勝負し、敗北する。化けとしての器の差があまりに大きいのであるから、ユキカゼがハルカに勝つことはほぼありえない。

 

『決別編』は物語の進行上、必須の一編である。必須の一編であっても、作者の都合のみに終始しているわけではない。そこには創意工夫があるし、イノシシを登場させることによって明治時代の化けの末期のあり方が示唆されている。だが、やはり率直な心情としては『ハルカの国』の中では最も印象が薄くなる。なぜか。

 

一つの理由として、ユキカゼがなぜ「剣の道」に生きようとしたのかという情報が少ないからかもしれない。他の化けのすべてが「剣の道」に生きているわけではない。その中でなぜユキカゼは「剣の道」を選んだのか。なぜそこまで重視するのか。そこがわからないから、ユキカゼが「剣の道」において敗れることの意味や葛藤を軽んじてしまっているのかもしれない。

 

あとは個人的に、何かに勝利する過程にはさほど興味がないのかもしれない。

 

第三編「大正星霜編」

 

星霜編には、『ハルカの国』のエッセンスが最もつまっていると思っている。世相はすっかり人間の世となり、化けはそのおこぼれにあずかっているような存在になった。時代的にも、精神的にもハルカに敗れたユキカゼや人間に敗れた化けが、「その後の生」をどのように生きていくのか。化けの存在は古い信仰の一部を受けてはいるが、実質的にはすでに世に必要とされなくなった。いまさら剣の道や腕っぷしの強さを示したところで、どうあってもかなわない巨大建造物や戦艦を前にしては、ほとんど意味をなさない。

 

人権があるわけでも、身分証明書があるわけではない化けにとって、大正時代の身の置き所はどこにあるのか。そんな時代の東京にある下町の一角で長屋に下宿しながら、身を寄せ合って生活する三人の化け。剣の道から生活狐となったユキカゼ、江戸から生きる狐姐さんのオトラ、そして新参者の狸のクリ。化けであっても人間の世で生きていけるように、日雇い仕事や裏仕事に携わりながら、生活のためのお足を稼ぎ、飯と酒によってひと時の満足を得る。その生活は不安的な社会的立場を背景としながらも、長屋の横町に残る地縁的連帯を頼みに、健やかな日々を送れるかに見えた。

 

けれども、人間よりも長寿の化けにもまた、加齢によって惚けという心神喪失の症状に脅かされる。化けも老いれば呆けるのだ。呆けた化けは思考力を失い、放浪や徘徊を繰り返し、やがては世間に見つかり専用の監獄入りとなる。ユキカゼらにあっては、最も知恵が回り、姐さん狐として同輩の化けを助けてきたオトラが惚けとなってしまう。

 

そんなオトラを抱えることで、さらに生活が不安定になり、大正の景気にも影がよぎれば、人間でさえ破産して首をくくろうかという世の中なのだから、化けが稼ぐ道などいっそう塞がれていく。人の世の繁栄のために故郷を追われたクリは、嫌悪を抱きつつも泣きながら人間のためにうどんを打つ。人間なんてと思った先で、それでも目の前に広がる人間の世の中で生きていくわが身と同居人のことを思えば、人に寄せた形でうどんをこしらえるしかない。そのクリの姿勢は、やがては人間にも受け入れられるようになるのだが。

 

ユキカゼにはもともと生活はなかったのだろう。曲がりなりにも神祇官付きとして俸禄を受けていたユキカゼにとっては、飯の種を心配する必要がなく、ただひたすらに剣の道を進まんとすれば良かった。だがハルカとの勝負の敗北によってその人と別れることになったユキカゼは、身一つを頼りとして暮らしを立てていかなければならなくなった。政府もまた化けを捨てていた。一時は新興国家の箔付けのために化けを取り込んではみたものの、人外への差別意識とそれゆえの被害妄想が混ざり合い、政府は一部の化けを虐殺してしまう。それからは政府と化けの関係性もこじれ、近代化の波と共に、化けの箔を必要とすることもなくなった。ユキカゼにはもう後ろ盾はない。であるからして、彼女は糊口をしのぐために新たな開拓地の北海道や、新領土となった植民地、炭鉱町などの裏方を転々とする。そして偶然、東京の地でオトラと再会し、そこにクリが加わって、三人暮らしが始まったのだった。

 

星霜編は全編を通じて昏い。ユキカゼら三人の暮らしぶりや長屋の住人とのかけあいには多少の明るさがあるものの、移ろいゆく世の中で排斥される側の化けにとっては、常に昏さが立ち込める。ユキカゼはよく考え込むようになった。剣の道は断たれ、それでも腰には剣を下げる未練を残し、剣ではどうにもならなくなった世間を生きる。クリを故郷から追い出した人間の繁栄を蔑みながらも、その繁栄から漏れ出た仕事をもらって生活の糧を得ることのやるせなさ。同胞の化けが次第に惚けて監獄に入れられる一方、長屋の住人たちの情けによって住居と仕事を得ているわが身の両義性。

 

いったいだれが悪いというのか。化けたちをこのような境遇においやったものは何なのか。個々の人間か。いや、人間には長屋の住人たちのように良い者もいる。ではそれ以外の誰かか。けれどもその誰かがいなくては、少なくともクリの商売は成り立たない。悪いのはだれなんだ。

 

だれもが必死に生きているだけなのだ。暮らしを立てているだけなのだ。それでも、その生には、暮らしには常に犠牲がつきまとう。自覚しようがしまいが、だれかを、なにかを蹴落としている。このとき、「国」という集合的な何かがたちあらわれる。形があるわけではない。においがあるわけでもない。けれども、そこに確かにあり、そこに生きる化けの、人間の、暮らしが積み重なっている。そこで生きて、暮らしているだけで、だれかは故郷を追われ、だれかは首を吊り、だれかは豪奢を尽くす。だから国は昏いし、哀しい。

 

 

ユキカゼは、そんな人間の国で、人間を想って生きてみろとクリにたたみかける。憎しみも悲しみも背負いながらこの国の住民になれと。その一方で、クリを人間の国にけしかけたことを悩む。化けは化けのまま人間の国をさまよいながら、それでも三人で身を寄せ合って生きるほうが幸福なのではないかと自問する。けれども、クリの旅立ちに際してかつての生きる道であった剣を売り、その路銀を渡す。

 

クリは最後には、ユキカゼとオトラを残して旅立つ。天狗の国でも、人間の国でも生きていく術を身につけるために。この国にユキカゼとオトラの居場所を作るのだと豪語しつつも、旅立つ列車の中では涙が流れる。別れのときがきた。ユキカゼはオトラと共にその日暮らしを少しでも引き延ばすために、炭鉱への出稼ぎを決意していた。東京の下町の片隅で暮らしていた化けたち三人の暮らしは、こうして終わりを告げた。

 

残った人々にも慚愧の念が湧く。オトラに育てられ、商売のいろはを学んだ弥彦にとっては、オトラは姉であり母であった。丁稚奉公に出された年少時の自分がうとまれていたことは痛いほど感じていた。その自分をかまい、気にかけてくれたのは、狐のべっぴんの姐さんだった。自分は狐に連なる身分なのだと言い聞かせることで、日々の辛苦をなぐさめた。そんなオトラが惚けてしまい、誰かの世話にならなければ生きていけなくなった途端、あれほど世話になった姐をユキカゼにおしつけて、弥彦は生きようとした。

 

何のために富を築いたのか。同業者を蹴落としながらこれまで稼いできたというのに、その力で育ての恩義も返せず、惚けた化けを社会の辺境に追いやることに追従してしまう。そんなことをすれば自分の存在すら嘘っぱちにしてしまうとわかっているのに、何もできない。長屋の住人は多かれ少なかれ、江戸時代から生きる狐のオトラに育てられ、面倒をみてもらってきたというのに。人間のだれもが惚けたオトラに何もできない。ただ暮らすことに必死であるから。

 

 

 

 

ユキカゼとオトラが東京を後にする。すでに時代は大正。自分たちの背丈の何倍も高いビルディングが立ち並ぶ。惚けたオトラをおぶり、巨大建造物がひしめく都会を歩くユキカゼ、この姿の何と小さきことか。弱弱しいことか。時代の変遷をまのあたりにして、江戸から生きていた二人の化けは、かつての宮仕えから転がり落ちていき、最後には国の中心部である東京からはじき出された。けれども、ユキカゼの胸の内に宿るのは奇妙な感動。失って、失って、失って。落ちて、落ちて、落ちて。その先の末路には確かな感動があった。人間たちよ、ついぞやってのけたという畏敬の念。もはや敵わないという悲哀と諦め。そんな時代を生きてきた自分たちへの感動。

 

 

 

炭鉱に向かう汽車に乗るユキカゼとオトラ。ユキカゼは東京で暮らした日々の疲れか、はたまたその夢のような日々の残照か、座席に座り眠り込む。その隣には同じく目を閉じ、眠りについていたはずのオトラが。その目が。少しずつ、けれども確実に見開かれ、そして覚醒する。跳ね起きたオトラは、ままならない身体を引きずるようにして汽車から出ようとする。かつての鋭利な冴えと姐さん狐と慕われた顔を覗かせながら、オトラは、ユキカゼがクリを見送ったときのような悲哀と、けれどもどこか楽し気な表情を浮かべ、「次は勝てよ、やっとう狐」とつぶやき、汽車を去った。それからユキカゼとオトラが会うことはなかった。

 

おのが命と決意した剣すら売り払い、連れの化けとも散り散りに別れたユキカゼは、喪失の果てにある「その後の生」を生きる覚悟を決めていた。結果的に剣は弥彦の計らいで戻ってきたものの、すでに一度手放すことを決意したものであり、今後の生きる道の指標にはなりえない。自分を妹のように扱い面倒を見た姐さん狐も、自分が人間の世界に解き放った狸の娘もそこにはいない。誰しもが「独りで行くんだぜ」と歌われたかのようにユキカゼは再び孤独になった。得たものはやはり失った。得たそばから失っていった。

 

それでも、ユキカゼには残された何かを実感する。失い続けた身にも、何かが残ることを確信する。ユキカゼは、世界には美しいものがあることを知っている。誰もが暮らしのために必死になり、他人を蹴落とすことに加担する世界にあっても、やはり美しいものはあるのだと。残る何かがあるのだと。

 

ユキカゼは天狗の国へと足を向ける。そこにいるハルカに会いに行くために。これまでの自分の人生を想い、かつての信念を捨てて、残ったものを考える。

 

 

第四編「大正決戦編」

 

第三編までの記事を書いてから、2カ月近くが経過した。自分が体調を崩したためでもあるし、子どもが体調を崩したためでもある。なかなか文章を書くコンディションを整えられず、その準備もできない日々が続いた。

 

けれども、おそらく記事を書くことをためらった一番の理由は、書く対象がどんどん複雑化したからだと思う。『ハルカの国』は「星霜編」から内容を把握することが難しくなった。物語内の時間的経過が顕著になったことで、過去と現在の時間軸が複雑さを増し、登場人物も増えれば、各々の関係性を理解することも難儀になっていく。

 

それぞれのキャラクターも時を重ねることで、思想や態度が変化し、錯綜する内面を自省するような場面も芽生えていく。他者の心情が簡単には理解されないように、ユキカゼやハルカたちが何を思い、ある行動へと導き、そしてどのようにその結果を受け止めたのかが読み解けなくなってゆく。

 

物語に対して誤読の可能性は常にある。けれども、これまでのStudio・Hommageの作品は少なくとも最終的には自分の解釈が収斂し、一つの読み方におさまっていった。だが、「星霜編」からは読み筋が複数に分かれていき、どの解釈を読み手の自分が良しとするのかが判然としなくなった。提示された作品世界の価値観や思想、過去との向き合い方によって、かえって読者が挑まれているような気すらした。あるいは、もはや作品としてパッケージ化された以上の、作者であるKazuki氏の人生に込められた何かがあり、その何かを読者である僕がどのように受け止めるのかで、はっきり評価が分かれるような気配がした。

 

このことをもって、『ハルカの国』の魅力が損なったとは思わない。むしろ逆だ。僕は『星霜編』と『決戦編』を繰り返しプレイすることで、自分の人生を顧みたし、自分以外の誰かのことを考えた。何度もプレイする度に新しい発見と感動があったといっても良い。それくらい、僕はこの二つの作品が好きになった。現在の自分の年齢で繰り返し読むのは、村上春樹の作品とアーネスト・ヘミングウェイの作品くらいだ。20代まではそれらに加えて、桜庭一樹の作品をよく読んだものだが。

 

『決戦編』のキーワードは、「過去との再会と決別」であると思う。

 

冒頭から、ハルカは悪夢にうなされる。自分がいつのまにか大舟に乗ってしまい、舵取りが上手くできないまま、何者かに追われている。何者かは刻一刻と自分に向かって迫ってくるが、自分が乗る舟を思うように動かせず、夢の中で「決別編」に登場した五木に舟の操作の助力を求めるも、願いは聞き届けられない。歪んでいく自分の顔、必死に五木に、ユキカゼに助けを求める声、自分を追うものはかつて倒した蟲毒のイノシシの化けのような姿をまとう。自分の無力さがあぶりだされ、虚ろでちっぽけな存在になってしまっていることを自覚する恐怖がピークに達し、引きつぶれた声を上げて目覚める。

 

ハルカは自分が変容したことを悟っていた。そして自分の人生を振り返ったとき、ほしかったものを何一つ手に入れていないことを自覚していた。これまで生きてきた中で、その知性と異能を駆使して力をふるった結果が、自分でさえ舵取りができない舟の中で何者かに追われる恐怖でしかなかった。

 

「小さい小舟で良かった」とつぶやくとき、ハルカは自分の能力と求めたものがあまりに異なることを知った。そして「小舟」とはユキカゼの比喩ではなかったか。これから東の横綱たるハルカと西の横綱であるアカハギが決戦を迎えようとするにあって、一向にその準備が進まず、五十年前に別れたユキカゼを天狗の国で待っているのはなぜか。なぜなのか。

 

決まっている。ハルカの人生において、ユキカゼと過ごした日々のみが欲しいものだったのだ。ハルカの中にはユキカゼしかいなかったのだと、半世紀の時を過ごす中で悟っていた。東西決戦という大舞台で、強さ強さとわめきたてるユキカゼがあらわれることを願い、けれどもそれが叶わぬであろうという常識的判断が、ハルカの存在をゆるがしていた。ハルカは老いて、老いた結果が自分の欲したものをもたらさなかったことを悟り、そして何もなくなった。東西決戦を前にして、ハルカの生きる意欲はすでに尽きていた。

 

 

 

ハルカはもはや生きることを諦めていた。振り返ってみれば、ハルカという存在は自動的である。ハルカは東北の山村において、求められるがままに自然神としてムラの治世を司り、けれども明治維新によってその立場が追いやられれば、新政府に恭順を示すためにムラを後にした。そうして、人間の国において化けが生きていく道が閉ざされていく時世となれば、天狗の国での立場を得ようと策を練る。

 

おそらく、ハルカはこのような自分の行動の意味を汲み取れない。時代の趨勢を読んで、自分の能力を振るい、自分が生きられる立場を得ることは彼女にとって容易い。だが、ハルカはそこまでして生きることの意味を見出せない。彼女は機械的で受動的な化けだ。かつてユキカゼがもっていた「剣の道」という指標もなければ、ユキカゼ以外に自分の心を震わせる他者もいない。

 

ハルカは老いて、老いた結果を目の当たりにして、疲れ果てた。東西決戦という自分で組み合てた筋書きに、筋書きの中で登場を願ったユキカゼがあらわれないことの空虚さに耐えられなくなっていた。

 

だから。だからこそ。自分の肩に手が置かれ、振り向いたその先に、自分の人生の唯一の生きがいを見たとき、ハルカの身の底から湧き上がる衝動は、推し量ることができない心境となる。

 

 

いくぶん照れくさそうな顔で、星霜を経た姿で現れた、ハルカの「過去」。

過去と現在が交錯し、やがて過去は現在の了解のもとに、受け止められ、別れゆく。

ハルカとユキカゼが背負った「過去」。過去によって変容した自分が生きる現在。その現在が想起する理想としての「過去」。現在と過去の関係が入れ子のように互いに影響しあい、それらが新たなずれと誤解を呼び起こすけれども、同時に、過去の一断面に残る切実で大切な記憶の残滓があり、そこに残っていた何かがハルカの生を泣きたくなるほど温める。

 

明治の初めに出会った二人は、別れてから半世紀の時がたち、ついに再会した。

 

ハルカは東西決戦の舞台を整えることで、ユキカゼが現れたのだと誤解した。それが誤解であることは、「星霜編」でユキカゼが過ごしてきた時間を知っているわれわれには一目瞭然である。ユキカゼもまた過去のかけらを消化するためにハルカを訪ねたに過ぎない。ユキカゼは、仲間も、「剣の道」も、すでに失っているのだから。ゆえに、アカハギとの対決などまるで興味がない。物見遊山で少しでも音に聞ければそれで良い。だからこそ、決戦には当然ついてくると思い込んでいるハルカに向かって素っ気なく告げる。

 

 

再会後に会話を重ねながら、少しずつ互いの自己像と他者像にずれが生じてくる。ユキカゼが「御仁」と呼んで力では一生叶わないと悟ったハルカはすでに老いた。力への憧憬と屈託なき心情の発露が同居する「ハヤ」と呼ばれるユキカゼの一面も、もはや過去の産物である。そのことを互いに、確実に、理解していく。

 

 

しかし、両者が互いに向ける想いの丈は、まったく違うと僕は読む。ユキカゼにはオトラやクリといった他者がいた。そうした他者とも別れ、孤独になったいまでも、その孤独さを身の内にとどめて、消化できる強さがある。

 

ハルカには、ユキカゼしかいないし、いなかったのだ。ハルカの人生にあらわれた他者は、ユキカゼだけだったのだ。老いたハルカはユキカゼの存在に依存し、生きるためのよすがとしているように見える。自明の存在理由をもたない化けであることは、ハルカといえども例外ではない。ハルカとユキカゼでは、比較にならないほどハルカがユキカゼに存在を規定されている。

 

ハルカの内には二つの指向性がある。一つは、その圧倒的な能力のために、求めに応じて力をふるおうとする貴族的傾向(ノブレス・オブリージュ的なもの)。しかし、それは能力があるから発揮しようとするだけのことであり、その指向性によって達成したものであっても、「決戦編」のハルカは生の実感を得ることができない。

 

二つ目は、やはりユキカゼの存在である。ユキカゼと共にあり、過ごした時間。「小さい舟」に一緒にいた時間。ハルカが初めて生の実感を得たであろう時間。実際に、現在のハルカにとっては、ユキカゼさえいれば天狗の国や人間の国における化けの処遇という実際的な問題はあったとしても、心情的には満たされるという過去からの期待がある。

 

では、なぜハルカはユキカゼがあらわれたにも関わらず、東西決戦であるアカハギとの決闘を続けようとするのか。それは、ハルカにとっては心情的にはどうでもよくとも、ユキカゼがハルカに期待する姿とは、一つ目の指向性からなるハルカ像であると想定しているからだ。ハルカは望みが薄くとも、アカハギとの決戦になれば、ユキカゼがあらわれるかもしれないと期待していた。そして実際にユキカゼが再びハルカの前に姿をあらわした。となれば、ハルカはユキカゼが望むハルカ像を演じるために、アカハギとの決戦を遂行しなくてはならない。つまり、「決戦編」の時代にあっては、一つ目の指向性であっても、それを規定するのはユキカゼの存在なのであり、結局はユキカゼこそがハルカという存在の規定者なのである。

 

僕は当初、上記のような読みをしていなかった。最初に「決戦編」をプレイしていて以下のシーンに行き当たったとき、ハルカという存在に少々幻滅した。

 

 

ハルカさんや。おまえは今まで生きた中で、一大決戦後に望むものは大きな墓って、そんなもので良いのかよ。おまえは求められるがままに力をふるい、相手を打ち倒し、それで最後に望むのが自分の墓という記念碑だなんて、そんなつまらない生き方しかしてこなかったというのか。そんなの、最後までおまえはただ他者から仰ぎ見られるだけで、そんな受動的な存在で、これまでの時間はなんだったんだよ、と。

 

しかし、何度かプレイするうちに、この場面のハルカはイブキに説明するために、かつての自己の傾向(ユキカゼと再会した後は意味をなさない傾向)を語っているだけに過ぎないのではないかと思うようになった。むしろ重要なことは、ユキカゼから見たハルカの姿なのであり、そこから汲み取れる心情なのではないかと。

 

ユキカゼはすでに自分が「ハヤ」ではないように、ハルカが「御仁」という立場を演じているに過ぎないことを看取していた。もちろん、そうした見方が正しいとは限らない。ユキカゼにもハルカを見る視線に様々なバイアスがかかっており、実際のハルカの心情を見誤る可能性は十分にある。しかし、この時代のユキカゼの見方には、やはり何かしらの説得力が備わっていると思われる。そのユキカゼは、自分こそが現在のハルカを追い立て、「御仁」というハルカ像をおしつけてきたのではないかと感づいている。

 

 

ユキカゼがハルカを「御仁」と呼び、「誰も勝てぬ」とみなしたのは、空想に過ぎない。ハルカは確かに知恵と異才をもつ。そこは疑いようがない。だが、そもそもそのハルカが東北のムラを追われたのはなぜか。明治政府に恭順しようとしたのはなぜか。アカハギという化け物に立ち向かはねばならぬほど追い詰められていたのはなぜか。ハルカは化けなのであり、もはや化けが生きる場所は人間の国にはほとんどない。ハルカもまた化けに連なるものとして、人間に、時代に敗れているのだ。

 

だからこそ、ハルカが挑んだ「巓」とは過去の自己像なのであり、ユキカゼがかつて夢想したハルカ像なのだ。ハルカは行動でもはや自分が「御仁」ではないこと、老いて空っぽになったことを悟ったことをユキカゼに示そうとした。アカハギとの決戦によって自分が五体満足ではいられず、「御仁」としての勝利など掴めないと予想しながら。

 

ハルカは大義に心身共に恭順する道を選ばず、「御仁」という仮面を捨て去る道を選んだ。「小さな舟」で生きていこうとする道だ。だからこそ、キツネの化けの一族がもつ大義に殉じようとした八千代はハルカの偏向を許すことができない。しかもその偏向は、半世紀ぶりにユキカゼが姿をあらわすという博打のような僥倖の結果なのであるから、そのような偶然と理不尽がハルカの新たな生き方を利することを許せるわけがない。

 

 

ハルカは新たな生き方を選んだ。実際には、アカハギの首を食らって取り込んだ力を背景に愛宕の上層部に取り入り、相談役として君臨するわけだが、おそらくそれはハルカの指向性の発露であり、ハルカの根幹に関わることではない。

 

そして、ユキカゼもまた、「御仁」という過去との決着のために、再びハルカに勝負を挑んだ。あえて「ハヤ」というかつての仮面をかぶり、この再会までに磨いた技を解き放つ。ユキカゼがハルカに会いに来たのはこれが目的であった。愛宕の国にきたばかりの照れを伴った態度とは異なる。これまでの過去、かつての自分とは異なる現在、それらが交錯したとき、ユキカゼとハルカは三度目の再会を果たす。お互いがお互いの幻想を育んできたことを知ってなお、過去の延長としてでの現在ではなく、過去に対峙するための現在を背景として。

 

 

それでも、ユキカゼにはハルカを斬ることはできなかった。それは初めから決められていたかのように。だが、ハルカにユキカゼの過去と現在の姿を知らしめることはできな。ハルカもまたユキカゼの過去が積み重なった現在に瞠目した。ハルカは、ユキカゼが培った「強さ」を知った。それは新しい時代に対峙するうえで、ハルカの先を行く「強さ」だったのかもしれない。ユキカゼもハルカと同様に、過去から解放された現在の自分を示したのであった。

 

 

アカハギ討伐から帰順したハルカとユキカゼは、その旅路に連れ添った幼子の風子を人間の世界に飛び立たせる。風子が望んだことだ。ハルカやユキカゼ、八千代の時代は過ぎた。幼子はユキカゼに全身でしがみつき、泣きながら訴える。新しい世界への不安、新しい時代への不安、古い時代に取り残してきてしまった者たちへの後ろめたさ。それでも新しい場所には何かがあると信じて、自分には何かがあると信じて、飛び立ってゆく。

 

ユキカゼは風子に声をはる。独りで旅立つことへの恐れ、誰かと出会いながらも、いづれは独りになることへの不安、寂しさが襲ってくるのだと。寂しさとは蝦夷地の配給であり、大陸への航路といった姿であらわれる。けれども、寂しさに支配されそうなときには、何かおいしいものを食べるのだと、小さな幸せを探してゆくのだと、それが変わりゆく世界の中で自分を支える何かになりえるのだから。そうして新しい時代に生きて行けと、自分の全財産を渡して風子を見送る。

 

幼子は旅立った。天狗が暮らす愛宕の国に残るはハルカとユキカゼという二人の化け。二人とも過去の何かと決別し、そこにある。二人でそこに暮らしている。

 

ユキカゼがハルカを元気づけるために、記憶の片隅にあった、ハルカの好物である沢庵を細かく刻んだ飯をふるまう。ハルカは好物が出てきた嬉しさで、あれよあれよと飯をかっこむ。そこでふと疑問に思う。なぜユキカゼがハルカの好物を知っているのかと。

 

 

ハルカは「小さな舟」が欲しかった。「小さな舟」とは、寒い日に一緒に火にあたることであり、刻んだ沢庵の飯だった。互いの幻想を確かめあい、過去は過去であり、現在は現在であるという了承を共に理解した。それでも、自分のことを覚えてくれていた誰かがいる。自分の過去の欠片を覚えてくれている誰かがいる。「これが欲しかった」のだとハルカは心の底から実感し、口に出す。何度も何度も口に出す。ユキカゼに呆れられても、ユキカゼが眠ってしまっても、それでも繰り返す。覚えていてくれたことが、言葉にできないくらい嬉しいから。生きていることの意味を実感させてくれたから。

 

 

明治の時代から、100年の時が過ぎるであろうことが見えてきた時代となった。まだ100年にはならない。けれども、やがて100年になるだろう。そんな時代を生きた、二人の化け。

 

 

Studio・Hommage『国シリーズ』への賛歌①『みすずの国』~『雪子の国』

Kazuki氏の同人サークルStudio・Hommageが手掛ける『国シリーズ』に、今年の夏は耽溺した。こちらが悔しくなるくらい素晴らしい作品の連続だった。自分でもこういうものを書けたらなと思う物語を見事に言語化し、表現し、演出していた。日々の生活の中で自分の内奥にしまいこんでいた情動や生きることへの活力、創作意欲をもう一度呼び覚ましてくれた作品だった。ここ一か月ほど、ブログを定期的に更新しているのは、すべてこの『国シリーズ』をプレイしたことの恩恵である。僕はもう、Kazuki氏には感謝の念しかない。おもさげねっす。

 

本文を書くにあたっては思い入れがとてつもなく強い。集中して執筆するために、隣県のコワーキングスペースへと出かけ、その近くに宿を取った。二日間ほどこの作業に打ち込むためだ。語りたいことがふつふつと湧き上がるという心境の一方で、はたして自分が感動した体験を思った通りに言語化できるのだろうかという不安もある。また、執筆するためにも、現在リリースされている『国シリーズ』の全作品をもう一周した。初めてプレイした感動には及ばないものの、やはり胸を打つシーンがあり、もう一度味わいたい場面が多々あった。全作品を通せばかなりの分量になるので、プレイして感動した箇所すべてに言及することは無論できない。けれども、全作品を通してしかわからないシリーズものの奥深さ、一貫したテーマ性も確かにあるはずだ。そうしたものを書ききれるか、僕にとっても割と緊張する勝負のような感じだ。しかし、とにかくこの衝動を形にしなくては、僕自身が情念に溺れかねない。それほど、『国シリーズ』は僕の根幹に食い込んだ作品なのだ。

 

『みすずの国』

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Studio・Hommageの作品をどのようにして知ったのかがよく思い出せない。おそらく定期的にやってくるヴィジュアルノベルをプレイしたいという衝動にかられ、批評空間か何かで作品を見繕っていたときに高評価で提示されていたサークルだったからだと思うが判然としない。

 

とにかく、1年ほど前に『みすずの国』をプレイした。最初の印象は同人業界のクオリティの高さに驚いたということだった。僕は、18禁のものも全年齢版のものも含めておそらくヴィジュアルノベルを100~200作品くらいプレイしていると思うが、同人ゲームの中では『ひぐらしのなく頃に』シリーズが最も完成度が高いと感じていた。その『ひぐらし』とそん色がない、むしろイラストのレベルでいえば圧倒しているほど『みすずの国』はゲームとして完成していた。

 

さらに文章力も際立っていた。さすがに30代後半になるので、10代の頃のように駄文も名文も関係なくゲームをプレイし続けるということができなくなった。というか、文章全般に対して、読み進めることが難しい駄文にいきあたった時点でゲームにしろ小説にしろエッセイにしろすぐに読むのをやめるようになっている。とくに、ビジュアルノベル界隈の文章は業界的表現やスラング的なものが横溢しており、その内向けの描写というか、文章を届ける相手へのお約束事みたいな書き方が頻繁に登場するので、早々に文章に胸やけがして読むのをやめる場合が多い。

けれども、『みすずの国』は集中して文章を読み込むことができた。まずはこのハードルを越えない限り、作品の世界に没入することができない。だからこそ、文章力とは、村上春樹もどこかで書いていた通り、とにもかくにも修練を重ね、洗練させなければならない手段なのである。比較すると悪いのだが、名作と呼ばれる『白昼夢の青写真』や『Summer Pockets REFLECTION BLUE』を並行してプレイしているが、途中から進まなくなっている。

 

『みすずの国』を読み込んでいくと、主人公のみすずが天狗になる素養となる数値を常人よりも大幅に超えてしまったため、社会的制約を受けての生活を送るか、天狗の国に行き自らの力をコントロールできるようになるまで修行を行うか、という選択を迫られる。医者になりたいという夢をもっていたこともあり、みすずは天狗の国に向かう選択をするが、そこでは「人間あがり」と馬鹿にされ、真正の天狗には決して及ばない能力をもって少しでも問題を起こさないように息をひそめて暮らす同類の人間の姿があった。天狗たちに蔑まれながらせまい肩身を寄せ合って生活する他の人間とは異なり、偶発的に別の天狗の国のお姫様とルームメイトになったみすずは、そのお姫様に付き合わされながら天狗の修行を続けていくが、他の人間と同じような能力しかもたないゆえに、当然のように天狗エリートのお姫様らが楽々とこなす修行に耐え切れず、お姫様と訣別しようとする。

 

ここまでの話の流れでは、天狗の国という設定が興味をそそるものの、あくまで凡作の域を超えないなという印象でプレイしていた。もちろん、個人が手掛けた同人作品が他の商業作品と比較して凡作ということは十分過ぎるほどのクオリティを担保していたことになる。けれども、このままの展開でいえば、良作だなという印象は残っても、数週間したら内容を忘れる作品で終わっていたと思う。

 

あれ、この人の作品は他とは違うかもしれない、と思わされたのは以下のシーンからである。

 

 

「なめるな」

 

 

結果的にみすずの挑戦は失敗に終わる。けれども、みすずは実行可能かどうかに関わらず、「自らの在り方を自分以外には決めさせない」という姿勢を全面的に打ち出す。この姿勢が共感を呼んだし、この作品には何かがある、何かが他と違うと感じさせた。その何かを説明することは難しいのだが、強いていえば、この作品の山場のシーンでヴィジュアルノベルのお約束的表現や形骸化に頼らず、作者独自の見解や人生への姿勢が出たように思えた。だからこそ、『みすずの国』のこのシーンはよく覚えている。というか『みすずの国』はこのシーンしか覚えていなかった。

 

このシーンがあったからこそ、次の作品もやってみようかと思えた。もちろん、このシーンがこれほどの印象を残すのは、他のシーンとの兼ね合いの中で、山場となるように編纂されたいたからということになるのだが。だからやはり、『みすずの国』はある基準を超えた作品となっている。作者の意図にそって最も重要なシーンが最も重要なように演出されている。語るのはたやすいが、そのためにシナリオを書き、イラストを描き、音楽を選出するのはとてつもない労力と構成力を要する。その努力は見事に結実している。

 

能力が足りない。才能が違う。そもそも能力で競っているわけではない。利己的に立ち回れ。意味のないことをするな。人生を無駄にするな。目立つな。賢く生きろ。

 

なめるな。自分のことは自分で決める。

 

生きるって、そういうことだろ?

 

『キリンの国』

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『みすずの国』の印象が良かったので、続きとなる『キリンの国』もプレイした。

『キリンの国』は導入が完璧だと思う。いま教室で授業を受けている窓の外に、「夏」がある。刻一刻と「夏」が過ぎ去っていく。「夏」を逃がすな、捕まえろ。「夏」は特別なのだから・・・・・・。この作品はサークル名の副題であるLet's get to see the beautiful world. を体現していると思う。

 

こんなことを言われて、「夏」を追いかけない人なんているのか?(いや、いない)。気温が上がる。空が高くなる。かと思えば入道雲が湧き上がり、夏の雨が差す。蝉の鳴き声がする。ひぐらしも鳴く。陽炎が立ち込める。動き出さなければいけなくなるような焦燥感。夏の中に足で、自転車で、車で走り抜けていく。

 

これらを全身で体感した幼少期はすでに遠い。青年期も過ぎた。それでも、夏がくるたびに心に湧き上がるものがある。『ぼくのなつやすみ』のCMが描くものだ。

 

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圭介とキリンが天狗の国へと旅立つ。新幹線に乗り、山道から密入国を果たし、蚕養(こがい)の里へ。養蚕については紀要に論文を書いたこともあるので、生業の中でもひと際興味がある産業だ。僕は東北の養蚕を多少知っている程度であるから、西日本と思われる場所での養蚕の様子も大変興味深く読むことができた。蚕養の里でカイコが上蔟し、繭となれば、やがて夏は終わってゆく。二人は人間の国へと帰路をとるが、キリンは天狗の国へ、圭介は人間の国へと別れの時が訪れる。この旅は、夏を探し、夏を訪ね、そして最後は別の道に分かれるための旅路であったのだ。

 

『キリンの国』は『みすずの国』と比べ、スケールがものすごく広がった。『みすずの国』はあくまで人間から見た天狗の国における学生生活の一要素でしかなかったが、『キリンの国』ではそこで暮らす天狗の、狗賓(ぐひん)の生活暦があり、身分があり、生業がある。さらにいえば、天狗と狗賓が培ってきた時間、歴史がある。だからこその差別がある。

 

『キリンの国』をプレイしていると、『国シリーズ』には人間とは異なる存在を描くことゆえの差別という事象が内在していることがわかる。人間と非人間が同時に存在するのであるから、その関係性を描くのは当然なのかもしれない。しかし、多くのヴィジュアルノベルやライトノベルはその関係性をファンタジーで覆いつくす。差別という事象に踏み込めば、リアルの問題に直接または間接的に直面することになることを避けるためなのかもしれない。

 

Kazuki氏のブログによれば、『国シリーズ』のモチーフは現実であるということだ。天狗や狗賓という存在はファンタジーだが、それらの要素を備えたものは現実的に存在している。だからこそ、人間と天狗と狗賓の関係において、差別はある。そしてその差別の在り方には歴史があり、時間の経過と共に差別の内容も、差別を通した関係性も変化する。

 

「夏」を探しに行くというジュブナイル旅行記と共に、天狗の国における産業構造や支配層と被支配層の関係性が重低音のように描かれる。ちょっと情報量が多すぎるほどだ。

 

『みすずの国』において、天狗がみすずのような「人間あがり」を馬鹿にしていたように、天狗の国では、天狗を頂点とし、天狗に使役される狗賓(ぐひん)、そしてただの人間というヒエラルキーがある。この階層は天狗に備わる神通力という生得の能力、戦闘力に左右されるため、基本的には生まれたときから自身が所属する階級が決まることになる。もちろん、そもそも人間に多少なりとも神通力が備わった場合は、天狗の国で修行するプログラムが形成されていたり、狗賓であっても神通力の程度によっては天狗に近い階層になったりするので、階級間にはある種の流動性もある。それがこの物語の裏話のように展開していたりもするので、おもしろい。

 

けれども、みすずと接した天狗の国の姫であるヒマワリなどのように、神通力を高めるために意図的に血統を維持してきた王族がおり、基本的にはそれらの王族たちが天狗の国の支配層となっている。

 

というわけで、『キリンの国』はスティーブンキングの『スタンドバイミー』のように、子どもたちが冒険する物語であると同時に、その冒険の記憶を大人になった主人公が振り返り、かつての友達が実はすでに死んでいたり、身分が固定された職業に就いていたりと、異なる身分の子どもたちがひと夏を一緒に過ごしたことの意味を図る構造になっていたりする。

 

それゆえに『キリンの国』は圭介とキリンの物語と、天狗社会の支配者層の思惑が交互に展開する話となっているため、内容が難解な面がある。というか、物語的には「夏を追い求める」話と天狗の国の説明をそれぞれ行わなくてはならないため、情緒的な冒険譚と社会構造の理論的な描写という相性が悪い話が展開される。これはシリーズものに必須の説明パートをどこかで設けなければならない以上、やむをえない話でもあるが、やはりプレイヤーとしては物語の進行に引っかかるものもある。

 

とはいえ、圭介とキリンが天狗の国を冒険して回る話はべらぼうに面白い。蚕養の里で営まれる養蚕という生業の在り方や、そこでの食事、衣類、祭りの様子。知らない土地の風俗を知り、それに関わっていく話は旅行好きな人ならひとしお楽しめるだろう。僕もそういう話は大好物である。

 

物語の筋とはあまり関係ないが、ヒデウミという、その後のキリンの保護者になるキャラクターのタバコをのむシーンが実に良い。美味そうに吸うもんだと感心したし、タバコのみがタバコに集中しているときの表情をよく描いている。

 

ただし個人的に気になったというか、いまでも理解できてない点がある。キリンというキャラクターのことだ。『キリンの国』は圭介という主人公を通して見る物語であるのだから、圭介の心理描写はされても、キリンは圭介が見た様子からしかその内面を推し量れない。それは当然のことだ。だがそれを差し引いても、やはりキリンはよくわからない。『国シリーズ』全体を通しても、キリンの存在とその血筋は物語の肝にあたる部分であるため、『キリンの国』ではその描写を控えたのかもしれない。

 

僕の読み間違いや記憶違いの可能性も否定できないのだが、キリンは天狗の国で育ち、人間の国へと追い出され、そしてヒマワリという姫様と再会するために、圭介と共に再び天狗の国を訪れた。そしてキリンの身体にはかつて天狗の国で暴れまわったヘビの呪いとその一部が埋め込まれている。このような経験をもっているにも関わらず、キリンは単純で屈託がない人物のように圭介には映る。もちろん、キリンが圭介の前ではそのようにふるまっていたという理解もできる。だが、圭介もまた自分の来歴にまつわる秘密があるために、キリンの前では自分の過去と現在の姿をとりもつように、整合性を図るような立ち振る舞いをする。キリンにはそのような立ち振る舞いへの機微というか、思考と行動を吟味するような描写が見られない。それがキリンという存在への不理解を示しているように思う。

 

率直にいうと、「こいつはこれだけの過去をもち、天狗の国と人間の国の両方で差別的感情を向けられて育っているのに、ちょっと屈託がなさすぎやしませんか」ということだ。人間の国では、学校生活はともかく、キリンが身を預けている家では弟煩悩な姉的存在に大事にされていたから、屈託がないのかもしれない。だがそれにしても、という違和感は残る。

 

なんというか、キリンは圭介やヒマワリに対しては能動的すぎるくらい能動的であるのに、他のことに関してはひどく受動的に見える。大切な人とそれ以外を区別して生きるという割り切った分別を行っているほど達観していようにも見えない。だからこそ、キリンというキャラクターはよくわからない。

 

対照的に、圭介のことは主人公であり、その内面や思考がばっちりと描写されているので、とても感情移入をしてしまう。圭介がもつ他者との一線を画すあり方や、それに矛盾するかのような正義感(義侠心?)の発露、キリンへの情動とその裏にある天狗の国への憎悪という激情。実に魅力的で、友達になりたいと思う男だよ。

 

・・・・・・

 

ここまで書いたところで、違和感を覚えたので、もう一度『キリンの国』の最後のシーンをプレイした。そして自分の勘違いに気がついた。そしてようやく『キリンの国』の物語を自分なりに飲み込めた。

 

キリンは他者に「差別的感情を向けられた」のではない。天狗の国でも人間の国でも「存在を認められなかった」のだ。つまり、キリンには自分を認識してくれる他者がいなかった。正確にいえば、キリンの世界において他者は圭介とヒマワリしかいない。キリンの存在を認知していたのはその二人だけだからだ。だからこそ、おそらくキリンには圭介とヒマワリを除いて他者なるものがよくわからないし、それゆえに自己のこともよくわからない。キリンは衝動的に何かを欲することはあっても、その源泉を他者との関係性において捉えることがほとんどできない。キリンは、そういう存在なのではないか。

 

キリンのそのような特性を、圭介は理解ができる。圭介もまた天狗の国と人間の国を行き交った者であり、そのどちらにも属することができないからだ。圭介だからこそ、キリンを記号的対象ではなく、存在としての対象として認識することができた。そしてキリンの境遇を理解するからこそ、キリンの世話を焼いていたのだ。

 

けれどもその関係性は、キリンが再び自分の過去と対峙するために、天狗の国へと再訪することを決意した時点で、終焉が約束されていた。キリンはもう一人の他者であるヒマワリのために、そして圭介が自分の存在を認めてくれたからこそ、一人の存在者としての望みをもつようになっていたのだ。

 

圭介とキリンの「夏」への旅は、その旅を終えるための、「夏」を終えるための、そして二人がそれぞれの道を歩むための旅であったのだ。村上春樹の『羊をめぐる冒険』において僕と鼠が別れるために再会したように、あるいはレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』においてフィリップ・マーロウがテリー・レノックスの後始末をつけて別れたように。

 

上記の二つの小説に関して、内田樹が、鼠やテリーらとの友との別れとは、幼年期との別れであると解説している。お互いが個人と個人として訣別し、それぞれの道をゆくためには、まずはお互いが「自己」として立脚しなくてはならない。存在者として主体化しなくてはならない。自己が自己としてあるためには、他者の存在が不可欠となる。自分のことを認知できるのは、他者という回路を通じて自分のことを再認識するからだ。

 

そして、圭介とキリンには他者がなかなかあらわれなかった。どちらもその存在を認めようとしない国で育ち、存在を否定されていたからだ。それゆえに、圭介とキリンが人為的に仕組まれて出会った結果だとしても、惹かれ合うのは当然であった。だがもし、二人が「夏」への旅路を歩まず、互いが互いを認知し、肯定し合うだけの閉鎖的関係に留まり続けたならば。おそらく圭介とキリンは相互依存に陥り、かえって病んでいただろう。被差別者としての境遇の中に埋没していただろう(その原因が差別にある以上、二人の責任ではないのだが)。

 

それでも、二人は旅に出かけた。この旅はかつて自分が育った土地への旅であり、過去に向かうための、自分の立脚点を探すための旅でもあった。そして旅の終わりには、別れがあった。別れるために旅に出たのだ。人はそれを幼年期の終わりであり、成熟への脱皮というだろう。

 

 

圭介とキリンは、自分の人生を自分で決めることができるようになったのだ。

 

『雪子の国』

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『雪子の国』にまで至ると、僕にとってStudio・Hommageはブランドとして信頼できる同人となった。3作品目となるのだから、間違いない。そして、『雪子の国』は後に続く『ハルカの国』も含めて、今のところ単体としては最も完成された作品だと思っている。『キリンの国』の時点で感動していた僕は、『雪子の国』では都度涙を流しながらプレイすることとなった。それは『雪子の国』があまりに僕の人生の琴線に触れるものであり、自分の人生哲学を代弁してもらったような箇所が多分にあったからだ。おもさげねっす。

 

『雪子の国』では、あれほど権勢を誇り、狗賓と人間を見下していた天狗の国において戦争が起こり、その趨勢に敗れた一部の天狗が人間の国へと帰化し、没落していく話である。「人間あがり」と蔑まれながら天狗の国に留学していたみすずとちょうど反対の立場で人間の国に留学してきたのが雪子である。ちなみにこれまでの作品を時系列順に並べると、『キリンの国』→『みすずの国』→『雪子の国』となる。『雪子の国』には大人になったみすずやヒマワリも登場する。天狗の国の一部はすでに人間によって開発され、山地国家が更地となって滅亡している。

 

この展開はまるで『平家物語』のようで、隆盛を極めた平家がやがて源氏に敗れ、破滅していく様子を描いたかのようである。しかし、すでに『キリンの国』において天狗の国という国家が、人間の国または天狗の他国も含めて国家関係の経済力を担保するための「金」を著しく流失していたことが描かれており、人間の国と天狗の国の力関係が人間側に傾いていることが示されていた。いや、そもそもすでに『みすずの国』において「人間あがり」を蔑みながらも、人間を受け入れざるをえなかった天狗の国が、いかに国家としての影響力を失っていたのかがあらわれていたのだ。

 

『雪子の国』の人間社会にとって、天狗という存在はすでに保護すべき対象であり、天狗の国が独立自治領という体裁をとっていても、実質的には内国植民地または併合国のようなものであった。そのような社会情勢のもと、東京の進学校に通っていたハルタは突然西日本の地方都市に転校し(正確には故郷留学)、ホームステイ先の家で同じように転校してきた天狗の雪子と出会う。

 

ハルタもまた圭介と同じように複雑な内面をもっている。ハルタの場合は人間の国と天狗の国の越境による境遇の不安定さではなく、人間社会での自身の生い立ちと現在の境遇に起因する複雑さであるのだが。ハルタは落ち着きがあるようでいて、他者との当たり障りのない社交性を有しているが、同時に人間社会で孤立することを恐れないというか、どこか自棄(やけ)になっているところがある。

 

ハルタが地方都市に転校してきたのは、幽霊を探すためであった。その地方都市においては幽霊騒ぎが全国ニュースとなって持ち上がっており、地元のさしたる関心は呼ばなかったものの、実際にハルタはホームステイ先の家において幽霊を目撃する。ハルタが幽霊の正体に近づくにつれ、そこで出会った人々の過去や背景が明らかになっていき、その過程においてハルタと雪子は仲を深めていく。

 

『キリンの国』において、すでに『国シリーズ』のヴィジュアルノベルとしてのシステムや音楽、イラスト、演出のエフェクトは一定の水準を超えている。『雪子の国』ではそれらがさらに進化し、後に続く『ハルカの国』ではシステム周りが刷新されいる。シナリオも長くなっていき、イラストや立ち絵も膨大になっている。それら一つひとつにスクリプトとエフェクトをかけている作業となると、「Kazukiよ、おまえ、死ぬのか」と言いたくなる。

 

『雪子の国』では人間の国が舞台となる。人間の国において、天狗という異分子を社会がどのように扱うか、あるいは天狗と対面した人間はその存在とどのように接し、関係を築くのか。もちろん、これらの各所に偏見と差別がつきまとう。天狗が人間に、人間が天狗に、国家勢力の推移の中で、そのときどきの時流において両者のヒエラルキーが二転三転している。天狗の国で起きていた差別がたやすく反転し、人間の国での差別となる。

 

そのような世界において、ハルタと雪子は生活する。涙が流れるシーンがいくつもあり、印象が強かった箇所をあげていく。

 

まずは、猪飼について。ハルタが故郷留学してからできた友達で、ハルタのホームステイ先と何やら因縁がある様子。Kazuki氏もブログで言及していた通り、猪飼とその祖母の話は氏の肉親の話をモチーフにしており、力の入れようがすさまじい。あれ、これ主人公はいつからハルタから猪飼になったの?と思わされるほどだ。

 

猪飼は祖母に育てられた。祖母には親族間の問題があり、頼れる先がハルタのホームステイをした屋敷の家にしかなかった。ハルタが屋敷に来る前に、猪飼と祖母は屋敷で暮らしていた。しかし、祖母の不注意の可能性をもつ火の始末のトラブルがあり、屋敷の一部が延焼してしまう。焼け落ちた場所には屋敷の貴重な家財が保存されており、そのことごとくが焼失してしまう。さらに、あろうことか屋敷の別の住人が放火を疑われる顛末となってしまい、いたたまれなくなった猪飼と祖母は屋敷から離れる。猪飼にとっては生きている中で最も大事な思い出と存在が屋敷にあるが、その屋敷に一生顔向けできないという想いがある。猪飼は、せめて、焼失した家財を少しでも取り戻すことができるように、偽物のブランド品を販売する金儲けに走るようになる。その屋敷にあらわれたのが、ハルタであった。

 

もし自分が、猪飼と同じ境遇にあり、同じ経験をしたのなら。きっと猪飼と同じように、屋敷に顔向けできなくなっただろうと想像した。その想像はあまりにやるせなかったので、僕は思わず泣いてしまった。猪飼は身内がしでかしてしまったこと、その償いのために誤った手段を選んだこと、これらすべてを理解していた。それでも、その道をゆくしかなかった。パチモンを売る稼業にしくじり、ヤクザに追われる立場に陥ったとしても。

 

 

祖母以外の家族を失い、やっと安心できると思えた屋敷での暮らしを失い、贋作売りの博打に走って銭を失った。猪飼は失い続けた。自ら欲したものに手を伸ばせば伸ばすほど失い続けた。猪飼に残されたものは、顔向けができるようになるまで、屋敷に立ち入らないという意地だけだった。その意地が猪飼を支えていた。意地をなくして、猪飼は生きることができなかったのだ。

 

 

この文章を書いていても、涙腺がゆるんでしまう。「意地しか残らんのよ」という言葉は、人という生き物を分解しつくした先に残る唯一のものを示していると思う。意地を張るななんて言葉は完全な誤りだ。意地しかないのだ。自分が選んだ生き方に、自分が決めた物事のすべてに。

 

さて、最後に雪子の話をしなくてはならない。『国シリーズ』において、いわゆるラブコメがあるのは『雪子の国』だけだ。『雪子の国』は王道の物語だ。そして雪子というヒロインは実に魅力的な女性となった。

 

 

僕にとって雪子の魅力はその言葉遣いにある。なんというか、良いタイミングで悪態をつくところが良い。ハルタとの掛け合いの中で、丁寧語から悪態、照れると京言葉が出るバランスが雪子を魅力的にしている。このバランスが少しでも悪い方向にふれると、僕はたぶん雪子を嫌っていただろう。Kazuki氏もギリギリのバランスをせめていると思う。

 

しかし、雪子を語るには、ラブコメだけでは済まされない。彼女は天狗の国の戦争に敗れ、故郷を人間の開発によって文字通りの更地にされた故郷喪失者の天狗なのである。雪子には祖父に育てられながら田園を歩いた美しい故郷の思い出があった。その故郷を追われ、故郷の復興のために人間の国で官僚に登り詰めようと考えた夢でさえも、故郷の開発によって失われた。雪子には何もない。猪狩と同じく失い続けた存在だ。けれども、猪狩は人間で、雪子は天狗である。雪子は絶えず人間の国からの差別を受け、社会的立場を持たない。

 

そんな雪子にとって、人間の国で出会ったハルタは生きていくことのよすがなのである。ハルタに嫌われれば、雪子は生きていけない。雪子はハルタと添い遂げる以外の手段をもたないのである。だから、ハルタに頼られると雪子は嬉しい。飛び上がるくらい嬉しい。それが天狗ゆえの異能を求められるのだからなおさらだ。天狗だからこそハルタにできることがあるのであれば、雪子は存在をまるごと許容されることになる。雪子はハルタからの虫のよい頼みを受け入れ続け、悪態をつき、そして自らハルタに求婚する。

 

ひるがえってハルタにとって雪子とはいかなる存在であるのか。ハルタの異性との向き合い方には、母と生まれそこなった妹との関係に影響を受けているため、ひどくねじれた部分があるらしい。この点は『雪子の国』をプレイしていたときにはわからなかったが、Kazuki氏のブログにそのあたりが詳述されている。

 

ハルタは単なる異性としての雪子には惹かれない。むしろ、肉親とのトラウマにより異性の性を感じさせる要素を倦厭してしまう。その一方で、ハルタは小さなもの、弱いものを自動的に助けようとする。それはトラウマの裏返しであるのだが、ハルタはそうした社会的弱者を見ると、切り捨てることができない。だからこそ、雪子には両義的な想いを抱いている。

 

ハルタが雪子からの求婚を受け入れ、雪子との未来を覚悟した後で、雪子に連れられて天狗の国に小旅行に出かけた。そこで、かつて『みすずの国』で登場し、「人間あがり」と見下されながら、ただひたすら天狗の国での修養期間に耐え、人間の国に帰還することを望んでいた祐太朗と出会う。祐太朗は人間の国に戻り、そこでパートナーを得たにもかかわらず、その彼女と離婚し、再び天狗の国と関わる生き方を選んでいた。何が彼をそうさせたのか。

 

僕は、上記の祐太朗の言葉にどうしてだか共感してしまう。そして共感の後で泣いてしまう。さらには、自分が日本社会で生活することで踏みにじってしまうあまたの他者に罪悪感を抱く。たぶん、ハルタも雪子に対してそのような感情を抱いているのだろう。人間の国が豊かなになるために行っている天狗の国への開発によって、雪子の故郷が奪われる。ハルタの母親はその開発の好景気によって会社の利潤を上げ、その利潤があるからこそハルタ進学校に通い、故郷留学なども簡単にできてしまう。

 

ハルタは雪子と添い遂げるために故郷留学を終え、東京の進学校を卒業し、無事に有名大学へと進学することになる。しかしこれらの行動は東京に、家族に別れをつげるためであった。ハルタは雪子との結婚に関して、家族の猛反発を受ける。実母は一度離婚しており、ようやく再婚相手やその連れ子、ハルタとの新たな家庭を築こうとした矢先の出来事であった。

 

母にとってハルタの行動は理解できない。いや、家族のだれもハルタのことを理解できない。彼彼女らの世界において、天狗の子はいないも同然なのである。唯一、ハルタだけが偶然、雪子という天狗と出会い、彼女の存在を受け入れたのだが、それは家族との訣別を意味していた。ハルタは再び東京を離れ、故郷留学先の地方都市で生きることを決意していた。

 

それでもハルタは粘る。有名大学に進学し、一つの社会的立場を得た後で、人間の国で雪子と結婚することの意味を推し量る。その未来のために着実に準備し、貯金をため、移転先の学費を両親に求める。ハルタは家族と絶縁し、雪子との二人だけの世界を望んでいるのではない。「人間の国」で人間と天狗が共に生きるためには、社会的に両者が許容されなくてはならない。だからこそ、家族の反発を受けてなお、実母と義父への説得をやめない。学費という実利だけが目的なのではない。両親の望む進路と訣別してなお、家族とのつながりを金銭的援助という一つの手段において確保したいのだ。実母と義父と義理の妹はハルタが所属する小さな社会だ。ハルタの決意は社会を切り捨てることにあるのではない。社会に立ち向かってゆくことにある。

 

駆け落ちのように結婚し、貧しい中でハルタを出産した実母にとって、ハルタは厳しい冬の先に待ちうける希望の「春」であった。ハルタが生まれたことで、彼女は春を迎えることができた。夫と離婚してなお、ハルタに不自由をさせないように少しずつ蓄えを増やしていった。けれども、ハルタは身を切るような冬を選んだ。家族と訣別し、それでも理解を求めるために説得を繰り返し、その都度傷ついていった。ハルタはもう生き方を選んだのだ。

 

ハルタと雪子の未来はおぼつかない。いや、現代日本で暮らす人々にとって未来はもはやかつてのように自明なものではない。昭和が終わり、平成になってから、この国は失い続けてきた。そして令和の今も失い続けている。

 

「幸せになれるんだろうか、この時代で、この国で」という雪子の言葉は、人間の国もまた天狗の国ように没落し、滅んでいく見通しを否定できないでいる。『みすずの国』も『キリンの国』も個人の自立と主体化に重点があったと思う。しかし、社会が不安定化した世界で、個人の自立はどこまで力をもつのか。個人が自立してなお、立ち行かない世界が、目の前に広がっているのではないか。そのとき、社会とは、国とは・・・・・・。なぜ、人々は「国」というものを求め、そこに居場所を求めるのだろうか。どうすれば国は人々の居場所になることができるのだろうか。

 

山田尚子『きみの色』(2024)

9月1日(日)に福島市イオンシネマ福島で山田尚子『きみの色』(2024)を、フォーラム福島でピエール・フォルデス『めくらやなぎと眠る女』(2022)の日本語吹き替え版を観てきた。

 

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『きみの色』は説明しがたい映画だ。ストーリーや展開が難解というわけではない。むしろ物語的には起承転結がはっきりしているし、主要人物の出会いからバンドを組んで卒業式に演奏するまでの筋書きはどちらかといえば単調といっても良いかもしれない。

 

その単純なストーリー展開にもかかわらず、僕は画面の中で流れるアニメーションに滔々と見入ってしまった。まずはこの点がすごい。シンプルな内容の話にこれでもかというアニメーション的技巧がはりめぐらされている。光と色の表現や、キャラクターの表情、各シーンを切り取る画角、音楽の変遷、これらが細かく細かくちりばめられ、鑑賞者を映画の中に引き込む。

 

何か大きな事件が発生し、事件に巻き込まれた主人公らが能動的に活躍し、やがてその原因が解明され、大団円を迎えるといったシナリオを用いずとも、ある人生の一時期に人々が出会い、交流を重ね、出会いがもたらす特別な何かを共有し合う。こうした経験に宿る「美」を抽出する作業によって描かれる物語は、十二分に人の心を打つ。

 

『きみの色』を観たのは、山田尚子氏の作品に期待するものがあったからだ。気づけば氏のほとんどの監督作品を観ている。『けいおん!』(2009)、『けいおん!!』(2010)、『映画けいおん!』(2011)、『映画 聲の形』(2016)、『リズと青い鳥』(2018)、『平家物語』(2022)などなど。

 

記憶が定かではないが、印象が強く残っているエピソードに、『けいおん!!』のある話が浮かびが上がる。たしか唯たちが修学旅行に出かけた後で、残されたあずにゃんたちが憂の家に集まる話だったと思う。だれも何も話さず、気だるげに静かな時間を過ごすシーンがあったはずだ。そのシーンが何とも言えず良かった。説明ができないのだが、押井守がいうところの「映画の時間」が流れていたのだと思う。

 

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リズと青い鳥』にも同じものを感じた。それをアニメーションで演出できる山田尚子氏には何か唯一無二のものを感じさせる。だからこそ、氏の作品は定期的に観ているし、見終わってから話しの展開はほとんど思い出せないのだが、こういうシーンがあって、その中の雰囲気がとても素敵で美しかったな、という印象が強く残る。

 

『きみの色』もやはり美しいアニメーションだ。最後のライブシーンの音楽と映像も素晴らしい。一つ気になったのが、三人の主要人物たちの出会いから各やりとりがどうにも大げさというか、オーバーリアクションのような気がして、鑑賞中もそれだけがノイズとして響いた。特にルイのリアクションは、なんでいちいちこの人はすっとんきょうな反応をしているんだろうと少し不快になったほどだ。

 

せっかくの美しいアニメーションの流れが、変なリアクションで阻害されているようで、どうもなと鑑賞中も感じていた。そしてその理由を自分なりに考えてみた。そして思いついたのが、三人の主要人物たちは出会ってからずっと緊張して、あがっていたんじゃないかということだった。

 

ルイについて考えてみると、降雪がひどくなって離島の教会に泊まらざるをえなくなったシーンで、ルイは母親に連絡を取っている。そのときのルイの会話姿を観て、「あれ、この子は普通な感じでも話せるんだな」と思った。むしろ、ルイのあの姿こそが彼の日常なんだと思う。落ち着いていて、少しつき話した感じの話し方をする男の子。

 

ルイは、テルミンという楽器に直接触らないで音を出す世界最古の電子楽器を演奏できる。医者になるための受験勉強をしながら、そのようなマニアックな楽器を演奏し、キーボードやシンセサイザー(かな?)も使え、音楽編集や録音機器にも習熟している。このことからも、彼が楽器の練習と音楽知識の習得に膨大な時間を費やしてきたことがわかる。

 

そのルイが、はじめて自分の音楽の趣味と通じ合える人たちと出会った。だからこそ、彼はトツ子ときみと会っているときには、普段の彼じゃなくて、飛びぬけてハイテンションで、声がうわずってしまうようになっていたのではないか。そしてそのあがりっぷりは、トツ子ときみにも少なからず共通していて、あの三人は三人として出会っているときには常にどこか緊張していて、反応の仕方が大げさになり、ときにはすっとんきょうなリアクションをしてしまうと、こういうことではなかったのだろうか。振り返ってみるとそのように考えられる。そういえば、自分が10代のときにもこういうことってあったよなと、苦虫を嚙み潰す思いがする。

 

逆にいえば、彼女たちは三人でいるときには、普段とはまったく違う体験だったのだと思う。バンドを組んで、音楽を共鳴することで、ものすごく強力な感情の交流を行っていたのかもしれない。その感情が演奏後もほとばしっており、三人の身体をふるわせていたんじゃないか、と思われる。

 

『きみの色』を観た後で、このどうにも言語化しにくい作品をどう考えたら良いのだろうかと思い、他の人の感想やレビューを読んでいた。その中に、新海誠山田尚子の対談記事があった。

 

eiga.com

 

この対談に対して、Twitterで次のような意見が出ていて、興味深かった。

 

 

山田尚子氏の演出は感性的表現を重視することが多い。扱う作品のテーマ自体が人間の五感にまつわるものが多いからなのかもしれないが、感性という個別的・身体的な感覚からなるものを、どのように人工のアニメーションによって演出し、鑑賞者への共感を呼ぶか、という難題に挑んでいる。

 

上記のツイートを参照すれば、「世界は自明に美しい」という前提に対して、人間はその美しさを看取し、さらに共感することまで可能なはずだ、という視点を山田氏は抱いているのではないだろうか。人間は五感的に(あるいはその欠損も含めて)「美しさ」を見出し、その「美しさ」への共感はどこかで普遍性をもつ。山田尚子というフィルターを通しながらも、あるいはそれゆえにこそ、アニメーションを通じて鑑賞者とも「美しさ」を共感できる部分をもつはずだという想いがあるのではないか。

 

このような姿勢は宮沢賢治の『春と修羅』の一節を想起させる。

 

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

 

かつて父だった男について

実家に帰省していたので、その自室からこの文章を書き始めた。

 

会津から2時間ほど車で運転したのち、郡山の実家に到着した。奥会津の自宅が引越しを行う予定なので、荷物を整理しがてら、余った家電などを実家の自室に設置し、せっかくなので書斎のようにあつらえたいと考えているが、理想までの道のりは遠い。

 

実家に着いてからは自室の掃除と家電の設置を行う。和照明をLEDのシーリングライトに置き換え、中古で買った空気清浄機の設定をする。家具に薄く堆積したほこりを水拭きし、掃除機をかける。ノートパソコンをポケットwifiにつなげ、windowsのアップデートを行う。新しい家電や家具の導入以外は、実家に帰省したときに行ういつものルーティンだ。

 

ついでに、リビングと和室にも掃除機をかける。父親が帰る時間を逆算してお米を研いで炊飯器のスイッチを押す。

 

帰宅した父親が用意した料理と酒をいただきながら、父と近況を話す。体調はだいぶ戻ってきたようだ。少なくとも食事は僕と同じものを食べ、二人で好みの日本酒を飲みあう。

 

父との話は毎度同じような話題を繰り返しているようなものだが、たまにホテル業界の話や、父が若い時分に行った旅行の話などはけっこう新鮮で、僕も関心があったりするので、それなりに話が弾む。

 

食事を終え、食器を片付け、自室に戻り文章をタイプする。前回書いた平川克美の『俺に似たひと』とのつながりで、今回も父について書く。これから書こうとすることには、すでに先達がいる。というか、この先達の文章に感化されたので、父に関する一連の文書を書いている。

 

hommage.main.jp

 

上のブログで描かれる父親像に、僕はほとんど全面的に共感する。

僕は父について書くけれども、正確には「かつて父だった男」について書くつもりだ。というのも、現在の僕は父を父子関係という意味での父親とはあまりみなしていない。どちらかといえば、一人の年をとった壮年男性であり、自分といくつもの過去を共有し、たまに酒を飲みあう他人といった印象が強い。

 

父が純粋に父親であった関係性は、父と母が離婚したときに終わったと考えている。両親の離婚によって、少なくとも精神的には家族的連帯が一度解消されたのだ。僕が大学一年生のときであった。

 

いま思い返してみても、離婚した後の父とどのように関わっていくのかには困惑した。たぶん父も同じ心境だったと思う。もともと、父はホテルのデザート専門のパティシエであり、多忙な人だった。朝は早朝から出勤し、夜はそのまま勤務先のホテルに泊まったり、深夜に帰ってくることがたびたびあった。一週間に数回した会わないこともざらにあった。

 

そんなわけで、兄を含む僕たちを実質的に育てていたのは母であり、僕たち兄弟は自然と父親よりも母親に傾倒していく。父親はあくまで母を通して付き合う存在であり、直接的な間柄ではなかった。

 

だからこそ、母親という緩衝材兼仲介役がいない状態で、父とどのように向き合えば良いのかはまるでわからなかった。当時は離婚の原因も、父がホテルから独立して自分の店をもつことでさらに多忙になり、家族よりも自分の夢を追求したとみなした母が離れたことにあると思われた。僕は末っ子であり、父に大学の学費や上京先の生活費を工面してもらっていたので定期的に実家に帰省していたが、心情的には大学を卒業したら二度と実家には戻らないつもりで私物の全てを荷物にまとめ、上京先のアパートに送っていた。

 

大学時代にときたま実家に帰った折は、やはり父が用意した食事を黙ってもそもそと食べながら、ほとんど会話もなく二人でテレビを眺め、食事が済めば僕が食器を片付け、さっさと自室に引き上げるというものだった。食事中も僕は父に無言の敵意を向けていたと思う。たぶん、父もそのことを感じていたのではないろうか。互いに過去の記憶を引きずったまま、特に僕は負の感情を内包したまま、気まずいだけの時間を過ごした。

 

それでも僕たちは粘り強かった。擬似的な親子関係をなぞるだけのような義務的な時間を辛抱強く積み重ねた。話も弾まず、無言でテレビを見るだけの時間こそが重要だったのだと今になれば思う。親子という感情的縛りがなくなってしまった、年代も異なる二人の男が新しい関係性を築こうと思えば、気まずくとも時間を共有すること以外にできることはなかった。そしてその関係性の再構築の過程を、お互いが少なくとも自分から投げ出したりはしなかった。

 

僕にとっての転機は初めて外国に行ったことだと思う。大学2年生のときに所属していたゼミで、グローバルスタディツアーという名目のもと、指導教授がゼミ生をアメリカに連れて行ってくれた。西海岸のサンタ・クルーズを中心にサンフランシスコなどに1週間ほど滞在した。カリフォルニア大学サンタクルーズ校(UCSC)で講義を受けたり、日系アメリカ人の子孫の方にインタビューをしたりなど、学業的にも充実した滞在だった(それが目的の旅行であったのだが)。

 

何よりも自分にとって大きかったのは、「なんだアメリカにも行けるんじゃん」と思えたことだ。飛行機のチケットを手配したり、インターネットで入国審査用の申込みをするなど、やらなくてはいけないことはいくつかあったが、それらの雑務をこなせば、自分でもそれほど難しくなくアメリカまで行ける。やろうと思えば、実はたいていのことはやれてしまうんだ、と心から実感できた。

 

上手くいえないが、自分のことをなんとはなしに相対化できた経験なのだろう。世界は広い。でも自分でも手が届く。絶対はない。だったら、自分にまつわることはなんとかなるのだろうし、自分からなんとかしてみても良いんじゃないか、という感じだ。

 

アメリカから戻ってきてから、長期休みのたびに、一人で旅行に行くようになった。青春18切符を買って東北を回り、大学付近の鎌倉や横須賀といった観光地にも足を運んだ。旅行に訪れたことがある場所が増えてくると、同じく旅行好きの父との間にも共通の話題が増えてくる。

 

父との関係性を規定した大きな出来事がもう一つある。2011年3月11日に起きた東日本大震災だ。僕はそのとき大学3年生で、大学のある横浜で震災を経験した。そろそろ卒業後の進路を考えなければならない時期だった。

 

震災によって父が営むケーキ屋の収入は半減した。かつて体験したことのない困難な時代を迎えねばならなくなった。僕もぼんやりと思い描いていた未来が急に白紙となったように感じた。

 

それでも父が僕に助けを求めたり、何かを指示することはなかった。大学を辞めても仕方がない状況だったが、父からそのような話は一度たりとも出なかった。そうした話を匂わすこともなかった。

 

それどころか、僕が大学院に進学することを許してくれさえした。当時の僕は学問の楽しさとやりがいに生きがいを見出し、すでに絶滅危惧種となっていた人文系の院進を希望するようになっていた。これは語学検定の条件を満たせず、海外留学ができなかった末の選択でもある。

 

不幸中の幸いとして、大学院の入学費と年間の学費は被災地認定により、ほぼ免除となった。それでも僕の生活費は必要となる。奨学金を借りたが、生活費の半分は父に工面してもらった。院に進んでおいて本末転倒かもしれないが、修士課程というのは実に多忙なものだ。その後の進路にもよるが、僕の場合は講義を受けながら、学芸員資格取得のための単位も取得し、2年生になったら就活をしつつ修士論文に取り組んでいた。アルバイトをする時間的余裕はなかったと今でも思う。

 

結果的に修士課程で狙ったことは実現できた。学芸員資格を取得し、修論も無事に完成した。その出来は納得のいくものだったが、本当にやりたい研究をやらなければ意味がないことも悟った。卒業後は伊豆にある私設博物館に就職したが、博士課程にも在籍だけしておいた。

 

大学時代を振り返ると、父への取り返しがつかない負債を負ったのだと捉えている。父からの恩赦によって僕の大学生活は成立していた。一生分の借りを自覚的につくった。この意識が現在の僕が父と関わる根底にある。僕の今後の人生において、負債を返済しない限り、父との関わりを断つことを、僕が禁じているのだ。

 

だからといって、過剰に仲を取り持とうとまでは考えない。というか、そのような過剰な関係はおそらく早々に破綻するだろう。これは兄と父との関係への観察に基づく。幼少のころ、兄は兄弟の中では一番、父になついていた。あるいは父からの承認を欲していた。けれども、比較的学業の成績が良かった兄弟の中では、一番成績が低かった。このことが父からの言葉には出ないものの不興をかっていたのだろう。そのような父の無言の落胆を敏感に察した兄は、父との関係において過剰に近づくか、距離を取るかでしか対応することができない。父に対してクソガキのようなふるまいを見せることもあり、僕の怒りすらかうこともある。

 

それなりの時間を要したが、僕と父の関係は現実的な範囲で最良のものになったと思う。月に一度か二度、顔を合わせて食事を共にし、酒を注ぎあって話をする。話題は父の人生経験のことや、家の歴史の話、芸術や政治批評、旅先の思い出など、多岐にわたるがワンパターンで終わることもある。話がひと段落したり、僕のほうで用事があれば、食事を切り上げ、自室に戻ったり、外出したりする。親子という外枠を利用しながらも、中身は中年と壮年のおっさん二人の飲み食いだ。それほど気張る必要もない。

 

父と比較して、母との関係にはいつまでもどこかねばついた気配が離れない。互いに年をとったところでだいぶマシにはなったが、やはり彼女にとっては「息子」という視座が基底にあり、話していると父親以上にいくぶん面倒だな、と感じさせられる。

 

僕自身が所帯をもち、少なくとも今のところはそこそこ安定した収入がある。そうした年齢や社会的立場になった僕に対して、父は父としての役割をおり、母はいまだに母としての視座を手放さない。もちろん、これは僕という対象に関する父母の立場であり、僕以外の兄弟たちにはまた別の立場をもっている。

 

僕にとっては圧倒的に親子の役割からおりた関係のほうが楽だし、自分の兄弟に向かっては「いつまでも親子ちゃんごっこやってんじゃねえよ」と毒づきたくなる。親だからという理由で60歳をとうに超えた人たちに向かって、自分が10代のころのままのような態度を要求するのかと思えば、ほとほと呆れ果てる。

 

いい年して親子ごっこするよりも、「かつて親子だったもの」として役割から降り、個人と個人の関係として向き合ったほうが、まだ楽しめるぞ、と思っている。

平川克美『俺に似たひと』

今年のお盆休みに平川克美『俺に似たひと』(医学書院、2012年)を読んだ。

 

 

平川克美の著作は定期的に読んでいるが、本書は今年になってその存在を知ってから、どこかでじっくり読んでみたいと思っていた。この本は、自分の父親の介護の話であるからだ。僕はこの本を読んで、自分自身の父親に起きた出来事と、そのことに関わっていく自分の立ち位置を整理したかったのだ。

 

2023年の12月に、僕の父親が甲状腺に付随する悪性リンパ腫であるとの診断を受けた。平たく言えば、父はがんにかかったのだ。

 

その年の年末年始は、父の最後の晩餐かのように、父と兄と僕の3人で、郡山の実家で食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んだ。実質的に父が確かな味覚をもって食事ができた最後の機会だった。父の甲状腺がんは首回りに広がっていたため、陽子線でピンポイントに治療できるものではなく、放射線である程度の範囲を照射しなくてはならなかった。こうなると、口内の舌にも影響が出てしまうため、味覚を喪失する可能性があった。実際に治療を経て、現在の父の味覚は従来の半分程度しか機能していないらしい。

 

父親は少なくとも僕たちの前では、自身の症状について開き直ったような態度を取っていた。大晦日、元旦と3人で飲み食いしながら今後の父の入院体制について話し合った。能登半島地震が起きたのはそんな時期だ。何もこの時期にと思うような年末年始の悪夢だったが、僕たちはこれから迎える父の入院の準備を慌ただしく済ませるだけで精一杯だった。

 

当面の方針として、兄が実家で寝泊まりしながら父の代わりに郡山のお店に立ち、入院に必要なものを適宜受け渡しすることになった。僕は兄が週に一度、那須塩原にある自宅に帰るときに合わせて郡山の実家に行き、実家の掃除や洗濯を済ませ、洗い終わった洗濯物や父親が入院中に欲するものを届けた。といっても、父が欲したものなどほとんどなく、みかんが食べたいと言っていたので一度届けたが、抗がん剤放射線治療の副作用でできた口内炎のため、ほとんど食べられなかったという。

 

2か月間の入院生活が進むにつれて、父は瘦せ衰えていった。がん治療のすさまじさは如実に体にあらわれる。最終的には体重が40キロ近くまで減っていた。週に一度、父に対面すると、副作用で常に熱があり、口内に激痛が走るため、唾を飲み込むことすら難しいと語っていた。

 

ただし、幸いなことに治療は効いているようで、がんの範囲は小さくなっていったらしい。父にとっては、その知らせだけが救いだったと思う。もしも治療の効果が見込めず、がん治療が長引くようであったのなら、身体の前に心が折れていたことだろう。僕もやせ細っていく父の姿を見るたびに、「あぁこの人も長くはないのかもな」と感じていた。

 

最初は週に一度、徐々に2週間に一度のペースで奥会津から実家に向かい、家具の拭き掃除や各部屋に掃除機をかけていった。父から預かった洗濯物を洗濯機にかけ、2階の日が当たる部屋で干す。自分の分の食事を用意し、夜はもっぱら自室で映画を観て過ごした。

 

父が死んだらどうしようかと、死後に予想される各種の事務手続きに思いをはせていた。感情的にはなっていなかったと思う。父はこういう結末を迎える男だったのかと、これまでの彼の人生との対比が偲ばれた。あるいは、父がなんとか生き延びた場合は介護が必要になるかもしれず、そのときを迎えたら自分は妻子に何と説明し、父親との関係に関してどのような決断をくだすのだろうかなどと、ぼんやりと考えていた。

 

結果的にはこれらの考えは杞憂に終わった。父はさまざまな痛みに耐えながら治療に専念し、衰えた筋力に対して真面目にリハビリに励み、次第に顔色が回復していった。放射線治療によって黒ずんだ首回りが痛々しかったが、髪の毛が抜け落ちるということもなく、急激に痩せた以外はそれほど外見に大きな変化はなかった。

 

僕のほうでも、父の入院のサポートが自分の生活や仕事を逼迫するほどのものではなかったので、それほどの影響を受けなかった。

 

1月から2か月ほどの入院生活を終え、2月19日に退院したのであったか。退院には僕が付き添ったのか、兄が付き添ったのか記憶だ定かではないのでLINEの履歴を確認すると、兄が退院の迎えに行っていた。父が退院した週末に顔を見に行った。痰がからむらしく、血がついた痰を定期的に吐いていたが、その他の症状は落ち着いているようだった。

 

むしろ、父が退院して自宅療養に入ると、仕事のために同居している兄との関係がもともとそれほど良好ではないこともあり、兄のほうが段々と辛そうになっていたのかもしれない。父も相変わらず固形物を食べることが難しいようであり、見るからに栄養素のみを抽出した飲料をまずそうに飲んだり、お粥を痛そうにすすっていた。

 

その後の父については、特筆することがあまりない。がん治療の経過は順調に進み、4月には自分でお店に立ち、仕事をこなしていた。ちょっと驚異的な回復ぶりだった。とはいえ味覚の半分を失った以上、これまでのように新しいレシピを生み出すという能力は失ってしまい、現在はこれまでに作ったものだけを作って販売している。

 

いくらお店の借金がまだ残っているとはいえ、昭和の男はここまで仕事にうちこむものかと、仕事観の違いに呆れるほどであった。

 

上記のような出来事があったからこそ、平川克美の『俺に似たひと』は精神的なリハビリのように、心に迫るものがあった。平川克美はさらに年老いた実父の介護の末、その父親を看取っているわけだが、その結末を迎えるまでの過程において、昭和という時代を生きた人間の立ち振る舞いや人生観にはいちいち共感することが多かった。

 

とはいえ、僕のほうの父は料理人であり、15年ほど前に母と離婚してからずっと一人暮らしを続けてきたため、家事も十分以上にできる。つまり、身体が回復すればもともと他者の助けを借りずとも生活し、自営業でまだまだ働ける人間だ。平川氏よりも一回り近く年下なわけなのだから、当然世代の違いも出てくる。

 

平川氏が彼の父のために食事を作る一方で、僕の父は僕が帰省するたびに食事を作ってくれる。僕は僕で、食の好みにうるさい父を前にして人並み程度の料理の腕を披露する必要性を感じないので、父が作るままに任せ、後片付けのみを担当している。

 

父との別れは先送りされることになった。父の体調に変化があれば、介護も含め、平川氏が体験したようなことに僕も直面せざるをえなくなるのかもしれない。

 

僕はいま、2歳になる子どもを育てている。彼の成長は祝福であふれている。父の場合はその逆だ。これから確実に死に向かっていく。僕が彼にできることはその過程に付き添い、後始末をつけることだろう。そこに救いはない。叶うことなら父も僕も納得がいくような結末を迎えたいが、そう上手くはいかないだろう。沖縄で暮らす僕の母が行っている祖父母の介護のことを考えれば、一日でもはやく介護の日々が終わってくれと願うようになるのかもしれない。

 

 

本書は、僕が父と共に過ごしていくことへの予習のつもりで読んだ。これから起きるであろうことは、おそらく本書が示した内容とさほど変わらない。けれども、そのことを受け止めるには、多くのことが要求される。心理的負担も肉体的負担も次第に大きくなる。僕自身も老いていくからだ。

 

僕は父の子であり、僕の子どもの父親だ。家族というくびきからそうたやすく逃れられるものではないのだろう。しかしそのくびきを自覚しないことには、これから訪れる父との苦難を受け入れられそうにない。

 

高橋久美子『その農地、私が買います:高橋さん家の次女の乱』

高橋久美子『その農地、私が買います:高橋さん家の次女の乱:高橋さん家の次女の乱』(ミシマ社、2021年)を読んだ。

 

 

ミシマ社から出ている本は定期的に読んでおり、本書も『ちゃぶ台』か何かで紹介されていたので気になっていた。自分が住んでいる奥会津地域について考えるとき、「農地」や「山林」をどうにかしなくてはならないという思いに駆られる。

 

会津地域は場所にもよるが、8割以上の面積が山林で覆われていたりする。残りの平野にわずかな集落を形成し、農地を耕してきた。土地の人々に話を聞いたとき、数反歩の田んぼと畑で作物をつくり、日々の糧にしていたという。1町歩を超える田畑をもつ家はごく稀だ。田畑が少ない家は、山を越えて別の集落に赴き、田植えや稲刈りを手伝うことで稲わらや米をもらってきたそうだ。

 

豪雪地帯かつ中山間地の農業は厳しい。耕作できる面積が乏しく、田畑も点在している。冬の雪を考えれば、農閑期も長くなる。大規模農業で薄利多売というわけにはいかない。さりとて、農業から完全に転換できるほど、他の産業が育っているわけでもない。捨て去ることもできないが、維持していくことも難しいという二律背反だ。

 

けれども、就農人口の高齢化に伴い、農業は確実に衰退している。それはこの国の根幹的な問題だ。お米を5㎏、2,000円以下で買える時間がどれほど残されているのだろうか。食糧という生命活動の根本が脅かされる日が、そう遠くないうちに訪れるのではないだろうかという不安を僕は拭い去れない。

 

農地をなんとかしなければ、という問いが通低音のように響く。普段は気にもしないが、2024年8月頃から南海トラフ地震の予見に伴い、スーパーの陳列棚から米がなくなるのを見ると、途端に不安の音が大きくこだまする。

 

農地というものが時間をかけて開拓され、惜しみない労力をつぎこんで維持されてきたという歴史を振り返れば、現在の農地政策はすでに取り換えしのつかないところまで来てしまっているのではないか。もはやここから巻き返すことは不可能なのではないかと考えてしまう。

 

前置きが長くなったが、上記のような農地の課題に対して、時代と逆行しているのか、あるいは最先端にいっているのか、ほとんどの人々が手放したいと願う農地を買おうとしているのが『その農地、私が買います』という本だ。

 

著者の高橋さんは実家の畑を太陽光パネルにしたくないという思いから、太陽光パネルの誘致に傾く家族や実家の近所の人々を説得し、野菜やサトウキビを植えるための畑として利用することを提起した。

 

本書を読みながらいくつか考えた。まずはコロナ渦に起因する農地の拘束性の強さを感じた。当初は東京と高知の二拠点生活を送りながら、実家のある高知の農地に手を入れようとしていたのだが、新型コロナウイルスのまん延により、罹患率の高い東京から地方へ移動することが敬遠されるようになってしまったため、二拠点での農業が実質的に困難になったそうだ。

 

農地は毎日の手入れを必要とする。作物への水やりから生育管理、周辺の雑草の除草まで定期的な人間の労働が欠かせない。都会から地方での二拠点農業を可能にしているのは、実際には地方の誰かがその農地の管理を肩代わりしている場合が多いと聞く。もちろんそのような協力体制ができているのであれば、第三者がとやかくいうことではないが、ひとたび管理人を失えば、二拠点ではの農業はやはり難しいのではないかと想像する。

 

個人的には「二拠点」というあり方が次第に不可能となっていくのではないかと考える。複数の拠点を動くことができるのは、そもそも拠点が築かれている場合だけだ。けれども地方の拠点を維持する人々は急速に減少している。高齢年齢が人口の約半分を占め、年間の出生率が5人に満たないわが自治体では、拠点が人口の自然増によって維持されるわけがない。

 

内田樹氏が地方の拠点の維持に関して、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」という映画のようにちょっとした見回りで済むという話をどこかでしていたと記憶しているのだが、豪雪地帯の中山間地ではおそらくそのようにはいかない。人工物は周囲の草刈りを行わなければ自然との境界を設定することができずに、草花の侵略を受けるし、除雪の雪かきをしなければたやすく民家は崩壊するだろう。それはともかく、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」はとても良い雰囲気の映画だ。夢とうつつにまどろみながら気分の良い映画鑑賞をしたという印象が残っている。

 

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そして、地方の拠点で暮らし農地を維持する人々の、一見すればロハスでのどかな生活にも見える立場が、実際のところなんともいえない脆弱性を抱えているということを本書は示している。

 

『その農地、私が買います』を読んでいて、特に違和感を覚えることなく終わりにほうまで読み進めていたのだが、「長い追伸 そこで暮らすということ」(214頁)にさしかかってからは、田舎の根本的命題をつきつけられたような気がした。地方創生や地方移住が美しく語られる世の中にあって、因習と呪縛がここまでその地域で暮らす人々の心と行動をしめつけるのかと再認識させられた。

 

 

 

田舎に暮らしているので、別に田舎を天国だと思っているわけではない。自分が育ったメンタリティが地方のニュータウンなのだから、田舎の心性をもちあわせているわけがない。だからこそ、仮に僕が現住所でこの手の問題につきあたったら、きっと追い出される側になるだろうし、自分から「もういいや」と呆れて出ていくことになるだろうな、と思う。

 

高度経済成長期にかけて、田舎から莫大な数の人間が流出していったはずだ。集団就職や都会の生活への憧れもあったのだろう。けれども、一定数の人間は「ここではダメだ」と思わされる経験があったのではないだろうか。それは現在のアトム化した個人を前提とするライフスタイルと表裏をなしているのだろうが、閉鎖社会の集団的圧力によって個の尊厳がふみにじられるくらいなら、都会の孤独にひたったほうがまだマシだと考えたのかもしれない(実際には都会でさらにひどい目にあう、という問題もまたあるのだが)。

 

自分の意志で出ていけた人はまだ良いのかもしれない。様々な事情があって、なおその土地にとどまらざるをえなくなった人の心境は計り知れない。生き地獄のように感じるのだろうか。

 

田舎の闇と都会の闇の過多を論じたいのではない。どちらにも相応の幸福と不幸があるのだろう。けれども、「農地」を問わず土地の問題というのは時間軸の幅がものすごく長い。その長さはおそらく歴史の闇に直結している。積み重なった過去の怨嗟が堆積しているようだ。

 

だからこそ、農地の問題は一筋縄ではいかない。制度や政策の問題だけではないのだ。人間の歴史と労力、情念がからみつく問題だ。文中で、「今、明治時代だっけ」という語りがあるが、現代から明治まで、あるいはさらにその前の時代まで一足飛びに遡らせ、そこで培われていた思想や態度を現代の人間にすら乗り移ってしまえる恐ろしさがある。

 

この恐ろしさが、今回の僕に筆を取らせた。これは感想を書いておくべき問題だな、と思わされた。そして久しぶりに文章を書くのが面白いな、自分の中から言葉をたぐる作業って素敵だな、と思いました。

 

書けない自分の心境メモ

人生とやらが二転三転してしばらくの時が過ぎた。

 

ころころと転んだ先で、どうやらずいぶんとまともな感じになってしまったようだ。

 

妻子があり、そこそこのサラリーをもらい、特に不自由がない生活を送る。

 

すっかりマン・オブ・ザ・ワールドの一員になってしまったということだろうか。

 

これらの社会的お墨付きの世間並幸福生活の代償として、まるで文章が書けなくなった。本も読めなくなった。正確には、書く気にならないし、読む気にもならない。

 

一日の、一週間の、一ヶ月のサイクルの中で、読書や書き物にあてがう時間がないわけではない。けれども、余剰の時間を利用して自分に負荷をかけるような行為を自然と忌避するようになった。意志をもった動物として、僕はほとほと退化してしまったようだ。

 

自分が自分に言い訳をする。別に良いじゃないか。朝6時に起きて出勤の支度を整え、7時半から17時半まで会社で働き、自宅に帰ってきたら夕食の準備をするか子どもに食事をさせる。子どもをお風呂に入れ、床に就くのが21時前後。自室でネットを巡回するか漫画を読むか、あるいはノベルゲームをぽちぽちすれば、22時半には寝てしまう。とてもじゃないが、何か生産性のある行為などする気にならない。

 

月に一度は週末に実家に帰り、独り者の父親が彼の日常生活において放置したいくつかの家事を解消する。父親が仕事から帰ってきたら、共に酒を飲みながら食事をする。やるべきことが終われば、愛すべき実家の自室にこもって、何度も読んだ書籍を読み返すか、アマプラの映画を2、3本寝ながら観る。妻も子どももいない時間が、後ろめたくも快適に感じる。

 

そうしてひと月が過ぎ去る。仕事に不満があるわけではない。家庭に細かな不満はあるが、確かな幸福もあるし、自分が共同体の中にいる実感がもてる。

 

だが、書けないし、読めない。このことが自分の根幹を壊疽していくようで不安になる。

 

外的要因によって動かされている。外的要因を仕方がないものとして、自分から迎合しようとしている。家族のため、生活のため、一人の地域住民として、と言い訳を重ねながら。

 

けれども、今の状況に心の底から納得したわけではない自分がときおり頭をもたげる。妻との育児方針をめぐる些細な言い合いが、現在の自分の境遇への不理解を露呈しているようで腹が立つのだが、理解していない者に理解させようとする徒労が先立ち、結局はつまらぬ物言いに終始する。

 

そんな確執も日常の一コマであると割り切り、定期的にやってくる悪天のようなものなのだからと、原因の解決よりも関係性や感情の嵐をやり過ごすことに尽力する。それもやはり疲弊するとわかってはいるのだが。

 

とはいえ、現在の生活で得たものも無論ある。ささやかな金銭の蓄えによって奨学金の返済には目途が立ったし、何より定期収入やらボーナスがあるというのは、実に心の安寧をもたらしてくれる。次のボーナスが入ったら、あれを買おうかなどという妄想が自分の人生に訪れる日がくるとは。

 

妻と子どもにしたって、愛らしい存在であることには疑いがない。偏屈な自分に付き添ってくれているだけで十分にありがたいのだ。読み書きする時間がもてないと愚痴りながらも、妻には個人的な余暇の時間を確保してもらっているし、人間として信頼してくれていることを実感させてもらっている。

 

子どもは父親である僕を疑わない。恐ろしいほどの無垢さで世界の中心を自分とみなし、祖父母の愛情を疑わない。その純真さをこちらが裏切ってしまえば、僕のほうが地獄に落ちてしまうのではないかと思わされる。

 

東京タラレバ娘 シーズン2.』で描かれていたのだが、家庭をもつことは自己の人生経験の再演になりえるのだという。子どもの成長過程に合わせて、これまで親が経験してきた人生の節目を親の目線で再演することに主人公は魅力を感じる。それは親の経験にとどまらず、祖父母が孫の運動会などに同席することによって、祖父母もまたそれぞれの過去を追体験する可能性をもつ。いうなれば、家族行事の再生産による家族的連帯の活性化だ。さらに言えば、家族の延長からなる地縁的共同体の活性化である。

 

だから日本では社会が疲弊し衰退しているにも関わらず、無駄な行事やイベントがなくならないのだと侮るなかれ。これは日本社会が定型化してきた家族的・地縁的共同体の人為的活性化の手段なのであり、この恩恵と浪費と呪いをいっぱいに浴びて育ってきた親類縁者にとってはそれをなくして共同体を維持する手段など簡単に思いつくものではないということなのだろう。

 

子どもを育てていると、そうした奇怪かつ磁力のある風習に自分が強制的に連なることまで意識させられる。それは祝福であると同時に呪縛になりえる。どちらが前景化するのかは当人の育ちと境遇によるだろう。いずれにせよ、それは僕の精神に大きな影響を与える。意識的に距離をとらねば心を解きほぐせなくなるほどに。

 

書けないし、読めないことは、僕の心の弾性を失わせる。心が乾いていく。これまでの僕は書くことによって自身が吸収してきた知識や感情を整理していたのだと思う。そうした整理が失われると、あらゆる体験が自分の身体をすり抜けていってしまい、記憶に残らない。

 

記憶にのこらない日々が自分の前を通り過ぎていく。意味ないじゃん、と自分に問いかける。

 

そんなある日の心境。対人関係の疲れが重なるとこういうことも起こりうる。