博物学探訪記

奥会津より

博多探訪記

2018年7月20日。晴天。

天神周辺のビジネスホテルで目覚める。九州滞在2日目。

朝食を済ませて、探索に出向く。

 

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街のふとした所に神社があり、住民の方が朝からお参りに訪れていた。

 

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福岡県立美術館着。常設展示を見る。夏休み特集で、展示の工夫が凝らされた現代アートの作品を見る。大学生の学芸員実習と高校生の職場体験のようなものも行われていた。

 

現代美術は抽象的だが、作家の意図がこめられている作品が多い。そこを解説・解釈するのが学芸員の腕の見せ所。アートにこそ解説が求められているのかもしれない。

 

目につく作品は構図がよく、一目見て印象に残る。

 

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福岡市赤煉瓦文化館。入館無料。福岡ゆかりの文学作品の展示と紹介。

東京駅の設計に関わった辰野金吾が設計者。いわゆる「辰野式」の建築物。優美な建物。

福島県安達郡本宮町出生で福岡に転居した文学者、久保猪之吉(1874-1939)の展示が印象的。福岡は福島ともゆかりがある。

 

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福岡アジア美術館。九州旅行中に最も好きになった美術館。展示の幅広さ、アジアという地理空間に対する意識の高さが素晴らしい。さすがに福岡ならではだと感じさせる。

 

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山城知佳子《あなたの声は私の喉を通った》

サイパン移住者の移民・戦争経験の語りを、自分の喉を通じて発話し、語りを重複させる試み。経験の表象に関する文字や絵ではないあり方、経験の継承と追体験の様式について発想になかったやり方である。

 

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ベトナム絵画にフランスの絵画技法、すなわち植民地統治の影響が見られる。

 

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カルロス・フランシスコ《教育による進歩》1964

 

かなり大きいサイズのフィリピン絵画。様々な象徴を巡らせた歴史画でもあるだろう。

福岡美術館のHPには次のような説明がある。

 

「この作品は、マニラの教科書出版社の壁画として描かれたもので、フィリピンにおける教育の由来と発展、そして教育の重要性を主題にしている。左下には古代にやってきたマレー人たちが描かれ、そのスルタンが指さす先にはスペイン統治時代の修道士に祝福されるカップルが、左上にはアメリカ統治時代に派遣された教師団が描かれている。中央には19世紀フィリピン独立運動の父ともいわれるホセ・リサールが母親に読み書きを習う姿とともに、磔のキリストを思わせるイメージと重なり合って、この国民的英雄の悲運の生涯を暗示している。周辺部を亡霊のように漂っているのは、無知や迷信であり、それらは教育の発展によって消え去ろうとしている。作者は、このように、マニラ市庁舎壁画を始め、フィリピンの歴史を大画面に描き続けて、壁画や歴史画に新境地を開くとともに、国民的な人気を獲得した。」

http://faam.city.fukuoka.lg.jp/cgi-bin/collection.cgi?cnid=0405241449061395

 

この説明には1964年という時代への考察と、日本のフィリピン占領およびアジア太平洋戦争における日米のマニラ戦の破滅的な被害の影響が抜けている。

アメリカの教育が最後に描かれるような時代配置となっているが、フィリピン・アメリカ戦争(1899)や1946年のアメリカ統治からのフィリピン独立を考えれば、進歩の語りでは説明できない歴史が浮かび上がる。

1964年という年代がおそらく重要だ。そのためには日本のフィリピン統治がフィリピンに与えた影響について目を向けなければならない。

「教育による進歩」という主題に対して、日本の姿が見えないことに、日本の占領統治の問題とフィリピン社会におけるトラウマ経験の深刻さが見て取れる。

アメリカからの独立が約束されていたフィリピンを植民地にした日本軍の軍政の悪名は有名だが、さらにマニラ戦という第2次世界大戦の中でもトップレベルの民間人死傷者を生み出した戦いによって、マニラは一度ほぼ崩壊している。そのような日本の侵略がかえって、フィリピンが戦後も独立を果たしながら、アメリカに対する従属を深めなければならなかったことを考える必要がある。その表れがこの作品であり、1964年になってなお影響を及ぼしていたことが推察される。

これらの事柄については中野聡の研究が素晴らしい。

nakanosatoshi.com

 

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村上龍の作品に『半島を出よ』(2005)というものがある。

北朝鮮の軍に一時占領されたという設定の福岡の様子を描いた作品である。

中央政府はこの事件の方針を固めることができずに右往左往し、結果的には福岡在住の問題児達が朝鮮兵を攻略するという内容になっている。

作品の最後のほうで、福岡という都市が自立的に東アジアと交流を深めていくことが、すでに斜陽にある日本社会の中で、地方都市が生き延びる術であると書かれている。

 

私はこれまで日本は戦前の植民地支配や戦争責任の問題を、戦後から一貫して回避してきたと認識しており、それが現行の国際関係に対しても悪影響をもらたしていると思っていた。しかし、アジア美術館の展示は、戦後から美術の文化交流が日本とアジア各国の間で着実に進められており、それぞれの作品が戦後のアジア各国の情勢を描いていることに感動した。日本社会の問題を地方の一都市が引き受け、時間と労力をかけながら成果を残していることに、涙が出そうになった。

 

旅はしてみるものだ。そこには新しい発見があり、人の営為の積み重ね、すなわち歴史を知ることができる。どこかでがんばってきた人、がんばっている人の姿を思い浮かべることができる。それは小さな希望に見える。