博物学探訪記

奥会津より

地元の名士になりなさい

 

少し前に、と言ってもどれくらい前だったか思い出せない。たぶん半年から一年前くらいだろう。それくらいの時期に、えらいてんちょう『静止力:地元の名士になりなさい』(KKベストセラーズ、2019年)を読んだ。

 

「えらいてんちょう」こと矢内東紀(やうちはるき)の本は何冊か読んでいる。

 

『しょぼい起業で生きていく』(イースト・プレス、2018年)と『しょぼ婚のススメ 恋人と結婚してはいけません!』(ベストセラーズ、2019年)は確か読んだ気がする。

 

内田樹と対談か何をしていて、ちょっとおもしろい人だな、と感じたことがきっかけだったと思う。

 

やっていることや技術的なことで見れば、今どきの若者、という印象が強いのだが、思考の射程や社会的役割のような観点から見ると、際立って奥行きと幅広さを感じさせる。『彼岸の図書館』の作者である青木真兵と海青子のように、同世代の人物として注目している。

 

以下、印象に残った箇所を抜き書きしていく。

 

多動する若者が増える中、

静止する人の貴重性・重要性が高まる(30頁)

 

「地元の名士ランク表」(49頁)

 

 これ、何が重要かっていうと、集まった市民の数なんかでは当然ありません。公民館で議員と市民が集まる会を開いて、面と向かってリアルな意見交換ができる場をつくったっていう事実なんです。先の牧師の沼田さんの話に出ていた元自衛隊の方のエピソード同様、自分の利益のためではなく、人のために動く・人のための場をつくるというのは、これ、完璧に名士の行動なんですよ。(138頁)

 

【地元の名士ランクS(特級)】

※地域住民から尊敬される状態

・墓守になる(142頁)

 

 ゆくゆくは地元の名士が複数の墓守を務める時代もやってくるでしょう。10戸、20戸の墓を守れる人材に、日本の未来が託されるようになる。財産、文化、思想、土地、全てを背負う「統合された家の跡継ぎ」が、全国各地に誕生するのではないかと思っています。

 

 そして、さらに付け加えると、墓守を複数の地方で兼ねることも可能だと思います。「静止力」と言っておきながら矛盾を感じるかもしれませんが、それぞれの場所で信頼を得ることができれば、複数の拠点を持つことも決して夢ではない。

 私は、そんな人間になりたいんです。豊島区の名士でありながら、ほかの地方の名士も兼ねる。これが、私が考える新時代の地元の名士の姿です。(152-153頁)

 

 自治体も、本当に優秀な若者を呼び込みたいのなら、参入障壁を取っ払って、大胆な餌で釣って応募数を増やすべきなんです。

 試しに「YouTuber10人に10万円ずつ配ります。好きに使ってください!」とかやっちゃえばいい。確実に10人以上が応募してきますよ。それで、実際に集まった10人の動向を、ひとまず制約をつけずにジッと見守る。好きに撮ってもらう。そこでいい人材が見つかれば、好条件で囲い込んで離さない。血税をムダに使わない意識は大事だし分かりますけど、これくらいしなきゃダメですよ。(156頁)

 

つまり、本人の希望と関係なく、天皇陛下天皇陛下であらねばならない。奴隷という言葉が少し強いですが、天皇陛下は人権が制限されているんですよね。昔、上皇陛下が「世襲はツライ」と同級生に愚痴を漏らされたというエピソードがあるけれど、確かに世襲はツライ。でも、ツライけど世襲するわけなんです。それを続けられてきたからこそ、天皇制と天皇陛下にリスペクトが生まれる。我々は天皇陛下でもないし名家の生まれでもないけれど、「求められる役割を果たす」という行動理念は、陛下から倣うべき部分かと感じます。子どもを育てるのなんて難しいし、実際に育てる自分自身が立派な人物かといったら、そうじゃない人の方が多いでしょ? でも、歳を重ねるに連れて、その年齢に応じたムーブ、その立場に応じたムーブをしなくてはいけない。親なら親の役割を演じることが大切なんですよね。内田樹先生は「大人のフリをすることでしか大人になれない」と言っていますが、まさにその通り。すごくいい言葉だと思います。(187-188頁)

 

長く続いているモノに対するリスペクトが大事という話で、それは地元の名士という役割においても同じことが言える。伝統を受け継いでいこうよ、もらったモノはほかに返していこうよ、というちょっとした倫理観の集積を大切にしたい。地域の小さなお祭りや餅つき大会が、地域共同体を支えているのかもしれないし、支えていないのかもしれない。でも、いずれにしても伝統に敬意を払い、継承していく。少なくとも自分の代では終わらせないぞ、と。(189-190頁)

 

そう考えると、若い世代を中心に蔓延している「合理化」とは、すごく安っぽい思考だと思います。たかだか二十数年しか生きていないような若造が、合理化という陳腐な思考で早まった結論を出すなって話なんですよ。でも、結局のところ、次世代が何をカッコイイかと思うかでしか未来は決まらない。我々みたいな立ち位置よりも、ホリエモンの方がカッコ良く見えてしまったら本書の負け。でも、もしも「役割を果たすことがカッコイイ」と感じる人が増えれば、本書を出したかいがあると思います。(190頁)

 

 

自分が普段言語化していないけれども、漠然と考えていることを代弁してもらったという読後感があった。

 

また、「墓守」のことについてもけっこう感心させられた。

 

僕は現在のところ、父方の実家である田村市船引町にあるお墓の清掃やお参りを定期的に行っている。結婚してからは、奥さんの実家のお墓がある三島町西方地区のお墓の清掃も行うようになった。

 

それがそんなに嫌ではない。それなりに手間ではあるのだが、行為としては嫌いではないな、という感じだ。お墓の周囲の草を刈り、墓石の汚れを落としていくことは、なんとなく清々しいし、ものごとを整えていくことは自分の嗜好に合っている。

 

父親が熱心に墓掃除と墓参りをしていたこともあるのかもしれない。あまり家族とうまくいっていない父親だったが、一族という単位では自身の家柄に誇りをもっていた。

 

僕は特に家や血筋に執着がある性格ではない。現代の人間はだいたいそのようなものだろう。けれども、そこにある、現存しているものを整えていくことは割と好きだ。どうせなら続けていきたいと思っている。

 

お墓とか、お寺とか、線香の匂いだとか。そういうものは好きだ。

 

名士になりたいわけではないが、人から信頼される行為をする、そうした振る舞いを身に着けることは、理想とする自己のある部分を反映しているような気がする。