博物学探訪記

奥会津より

読書会 トーマス・クーン, 中山茂訳『科学革命の構造』みすず書房, 1971年(原書は1962年出版)

 

 各自の報告を松崎なりにまとめると、本書評のテーマは「パラダイム――下から見るし、横からも見る――」ということになる。つまり、報告者はクーンのパラダイム論を、クーンに足りてない事柄およびそれぞれの視点と素材に基づき論じなおし、より広い枠組みで捉えたうえで、「政治的なもの科学技術」との関連を考察したのであった。

 

 田中報告は、クーンと同時代に科学史を研究したジョルジュ・カンギレム『反射概念の形成』(1955)の議論を参照し、クーンの科学革命論を批判的に検証した。その際提出した論点は、生気論と機械論の対立という視点であり、そこから「生命にのみ備わり生命たらしめている特別な原理が存在すると想定するか、それとも生命活動も物質や電気信号に最終的には還元できると考えるか」という問いを喚起した。この問いは自然を観察する主体としての人間が肉体の内部・機能にもつ自然と人工の不可思議な結びつきに着目することによって、クーンが素朴に区分してみせた自然と科学の関係へ再考を促した。

 

コペルニクスケプラーガリレイらは、天体運動論から人間中心主義を追放したが、その人間中心主義は人間の運動論に存続したのである…運動の生理学でのコペルニクス的転回、それは脳と感覚・運動中枢という二つの概念の分離、離心的な中心の発見、そして反射概念の形成の際に起こった」(カンギレム『反射概念の形成』pp.150-151.)。

 

 咳やくしゃみ、瞳孔の大きさの変化、熱いものに触れて手を引っ込めること、こうした反射概念は、人間の身体を「このスイッチでここが動く」というように機械として説明する機械論を形勢する。カンギレムが挑むのは、反射概念の発見者として顕彰されてきたルネ・デカルトの神話であった。

 

 カンギレムがデカルトの代わりに紹介するのは、イングランドの解剖学者で化学者のトマス・ウィリス(1621-1675)である。デカルトと同じく心身問題を解決しながら身体運動を説明するためにウィリスも「動物精気(spiritus/esprit)」の概念を用いる。しかし、デカルトが「精気が充満した風船」のような筋肉が縦横に拡張/収縮することで関節や器官を動かすという説明をするのに対し、ウィリスは次のような説明をなす。

 

 ウィリスにとって、動物精気は現実化されるのを待っている一つの可能態である。それは不意に生起する精気だ。一瞬ほんの一条の光が差したかと思うと、精気は突然爆発する…神経内の間隙を埋める液汁に把持され運ばれてゆく精気は、肉体の抹消器官を浸している動脈血の中に自らの活性や運動能の増援剤を見つけだす…それから、大砲用火薬に似たその起爆性の混合物に点火が成され、火薬のような爆発が生ずる。収縮並びに運動を引き起こすのはこの筋肉内の爆発である」(同上、pp.76-77.)。

 

 カンギレムは「ウィリスが何か説明をするために比喩を用いるとき、その比較の典拠とされるものはほとんどの場合火器である」(同上、p.77.)ことに気がつく。つまり、ウィリスが精気を火薬の火花や光のイメージで捉えそれを貫徹したがゆえに、それが瞬間的に神経情報を伝播させ、そして跳ね返る(反射する)ものとして想像することができたのだ。この背景には彼の師であるヤン・ヴァン・ヘルモント(ネーデルラントの化学者、花火製造技師で「ガス」の概念を確立した)との系譜関係があり、またより広くは15世紀以降の火器技術の普及があったはずである。ここに、ある科学的説明をなす際に参照するものはクーンが唱える科学者集団のパラダイムというよりも、より偶発的で広範な人間関係、あるいは何かしらの出来事にもとづく社会的イメージの共有からなるパラダイムがあるのではないか、という視座が導かれる。

 

 田中は、「ガリレオは振子の観測を、アリストテレスは落下物体の観測を、ミュッセンブルークは電荷を充した瓶の観測を、フランクリンは蓄電器の観測を解釈した。しかし、このような解釈のどれもがパラダイムを前提としているのである」(『科学革命の構造』p.138.)という言葉を引きながら、次のような問いを提出する。

 

解釈を形作るのは常に「パラダイムを前提として」であると本当に言えるのだろうか?ここではむしろ、ある現象が力学の対象なのか化学の対象なのか、学問分野の境界線をどのように設定するのかが問題になっているのだが、クーンとしてはこれを科学の前段階に位置する事例と考えるのだろうか?

 

 科学者集団のパラダイムを決定するパラダイム、すなわち「社会的パラダイム」とでも呼ぶべき諸範囲・区分の決定を規定するものとは何か、が問われている。ここから、「実験科学というそれ自体一つの技術であるような科学が、生政治という『パラダイム』の出現においてイメージの源として果たした役割を考察することも可能なのではないだろうか」と田中はまとめる。

 

 このような田中のクーン的なパラダイムへの疑義を、黒岩報告も共有する。黒岩のまとめは、そのままクーンの内容説明と批判になっている。

 

パラダイムという概念を一般的に普及させた当のクーンの議論では、「パラダイム」という語が指すものは――こう言ってよければ――パラダイムではなかったのだ。クーンの言う意味でのパラダイムは、たとえばフーコーが使うような意味でのパラダイムとは、名の同一性と本当にささやかな内容の類似性以外は、全く関係のないものである。クーンは、「通常科学」、すなわち、ある少数の学者集団内で共有されているさまざまな事象の確認と判定と結論の枠組みとして、他の箇所ではさらに限定して科学者に理解と説明の枠組みを与えるある一定の具体的なモデル業績として、パラダイムという語を使っている。そして、その通常科学の内部において、徐々に変則性の発見が蓄積されていき、その量的蓄積がある段階に達すると、「科学革命」と彼が呼ぶものが生じると考えている。そうして、その革命の結果生じるのは、何ということはない、再びまた別の「通常科学」というわけである。

 

 上記のクーンへの批判を念頭に、黒岩は科学が対象とする「自然」とはそもそもどのように考えられてきたのか、あるいは「自然」を思考するときに対置される「社会」とはどのように考えられてきたのか、そして自然と社会の関係はどのように互いが互いを定義しあいながら形成されてきたのかをホッブズ、ルソー、ヘーゲルダーウィンマルクスルカーチなどの思想にそって歴史的に論じてみせた。先に田中が提示した「社会的パラダイム」という概念もまた、自然の定義との対応の中で定義されるものと捉える必要がある。

 

 例えば、黒岩はマルクスの次の言葉を紹介する。

 

ダーウィンが、分業や競争や新市場の開拓や《諸発明》やマルサス的《生存競争》を伴う彼のイギリス社会を、動植物界のなかでも再認識しているということは、注目に値する。それは、ホッブズの言う《万人の万人にたいする戦いbellum omnium contra omnes》だ。そして、それは『現象学』のなかのヘーゲルを思い出させる。そこではブルジョワ社会が《精神的な動物界》として現われ、他方、ダーウィンでは動物界がブルジョワ社会として現われるのだ(『エンゲルス宛書簡』, 1862)。

 

 既述の田中があげたウィリスの「動物精気」の発想は常に火器のイメージを伴っているとされた。ここではダーウィンも同様に動植物界を再認識する際に人間社会で行われる諸種の活動や制度を参照していることが、マルクスによって論じられている。つまり、人間が自然を対象化する際には認識者を取り巻く社会制度が参照されることを示している。では、その社会とは何かを定義するためには、自然との関係を論じる必要がある。ルソーが自然と比較して「社会への堕落」を論じ、ヘーゲルが「第二の自然」を提唱し、ルカーチは「第二の自然」を自然と見なされるまで凝り固まった因習として捉えたように。このことによって、人間の自然・社会・科学の観念もまた歴史的な変化を遂げてきたことが明らかとなる。このとき、「歴史的パラダイム」とでも呼ぶべき視座が導かれる。

 

 自然と歴史とはそもそも対立するものとして捉えられてきた。大地や天空など不変をシンボルとする自然と、人間生活の移ろいやすさに代表される歴史の観念を念頭におけば、想像にかたくない。しかし、黒岩はそのような自然と歴史の関係を踏まえたうえで、その宥和を目指したベンヤミンアドルノルカーチの思想を紹介する。

 

 ルカーチは「歴史が自然として/自然が歴史として把握される瞬間」に接近し、ベンヤミンは歴史と自然がともに克服可能なものとして現れる契機としての「変移」という概念を打ちたてた。

 

悲劇とともに歴史が舞台に登場するとき、歴史は文字として現れる。自然のかんばせには、変移の象形文字で〈歴史〉と記されている。悲劇によって舞台にのせられる自然-歴史のアレゴリッシュなかんばせは、廃虚としてありありと現前しているのである。(ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』)

 

 このような黒岩の自然と歴史の対立と宥和への姿勢は、クーンが唱える変調としての革命――それはいずれは元の木阿弥に戻るだろう(通常科学)という予期からなる――とは異なり、真理の到来可能性の場が訪れるかもしれないという意味での革命を提起する。すなわち、「私たちは、むしろ科学革命を、あらたな通常科学のはじまりではなく、真理が到来するときとして、すなわち、そのようにして〈科学〉という概念すらもついに完全に止揚されるような瞬間として、想い描くこともできるのではないか」と。このときわれわれが目の当たりにするかもしれない、それはそれは美しい眺めを、ベンヤミンは次のように描写してみせた。

 

……経験的なものは、それが極端なものとしてより精確に識別できるものであればあるほど、それだけ深く、その核心に迫りうるものとなる。概念は、この極端なものに由来する。ちょうど、母の身近にいるという感情から子供たちが母のまわりに輪を作るときにはじめて、母は、傍目にもはっきりとそれと分かるほど溌剌と生きはじめるのと同じように、それぞれの理念も、そのまわりに極端なものが集まってくるときにはじめて、明確な輪郭を示す(同上)。

 

 この光景は理念として描かれたものである。だが、実際に人間社会の中で革命や真理を期待するような場面がたびたび現われたのもまた事実である。その一つが、1960年代という時空間ではなかったか。松崎報告が着目したのは『科学革命の構造』が出版された1960年代の世界情勢であり、当時の「社会的パラダイム」の内実を検証した。

 

 ビートルズが好きな人なら、彼らがまさに「レヴォリューション」を1968年に歌い上げたことをご存知であるだろう。

 

You say you want a revolution

Well you know

We all want to change the world

 

 

 しかし、このような革命への期待と唱和こそが、当時の社会的危機を逆説的にあらわしているといって良い。クーンは「革新的理論は、危機に対する直接の反応として現われる」、「そして危機感がない時には、このような予測は無視されていたのである」として科学革命を導くのは通常科学の危機であると書いている(『科学革命の構造』, 84頁)。だが、パラダイムパラダイムを考えるのであれば、当時の科学がもたらした危機が広範に共有されていたからこそ、1960年代前後に多くの思想家が科学に関する著作を連ねたのであると理解する必要がある。

 

 例えば、ハンナ・アレントの『人間の条件』(原著は1958年出版)の冒頭一文は次の通りである。

 

 一九五七年、人間が作った地球生れのある物体が宇宙めがけて打ち上げられた(ハンナ・アレント『人間の条件』 筑摩書房, 1994年, 457頁)。

 

 

 アレントは衛星ロケットの打ち上げから、人間の世界疎外という考察を導き出した。彼女が危惧する事態とは、「近代テクノロジーの起源は、このような道具の進化にあるのではない。むしろその起源は、もっぱら無用の知識を求めるという完全に非実践的な探求にあるのである」という人間の科学技術に対する姿勢である(同上, 457頁)。それは、クーンが述べる「パラダイム、またはパラダイム候補のない所では、ある専門の発展に役立ち得るすべての事実は、同じように大切であるように見える。その結果、学問の発展が一定のコースに乗った所と違って、まだ初歩的な事実を無茶苦茶に集める活動が行なわれる。さらに一定の型の、より本質的な情報を求める理由が存在しないものだから、初期の事実蒐集は、普通手近に手に入るデータに限られる」(『科学革命の構造』, 18-19頁)という科学者の無反省な手法そのものを批判しているのだ。

 

 初代ゴジラの映画(1954年)が示すのは、科学が目的なく生み出したモノをどのように処理するか、というきわめて困難な「政治」的課題である。原爆や水爆実験、核ミサイルといった存在を省みれば、生まれてしまったモノがもたらす無視できない破壊・破滅・混乱への危機感が強くあらわれている。

 

 ゴジラ製作の東宝プロデューサーである田中友幸は次のように述べている。

 

水爆実験で、恐竜が太平洋のどこかで眠っていた、それが東京を襲う、その寓意としては、人間が造り上げた水爆という文明の利器により、また人間が作った東京というような大都市、つまり人間が人間のために復習されるという理念(川崎市岡本太郎美術館ゴジラの時代』六耀社, 2004年, 8頁)。

 

 放射線の問題は、半減期にかかる10万年という歳月を大地に埋め込む。放射線と10万年共にある世界とは、黒岩が述べたように人間の営みがすでに自然となってあらわれてくる世界である。1945年以降の自然とはそのようにしてある。

 

 こうした終末的世界観は、スタンリー・キューブリック監督映画の『2001年宇宙の旅』でも踏襲されている。

 

人類は、じつは神ならぬ地球外知性体によってもたらされた石板状の教育装置の力で、四〇〇万年前(小説版では三〇〇万年前)に猿人だった時代より密かに誘導されてきた。やがて二一世紀を迎え、同じ異星人が同じく四〇〇万年前に月に残した目印、すなわちもうひとつのモノリスが掘り出され、太陽の光を浴びた瞬間に発した電波エネルギーの飛跡をたどり、土星(映画では木星)をめざすべく巨大宇宙探査船ディスカバリー号が送り出されるも、あいにく船体を統御するスーパー・コンピュータHAL9000の発狂という異常事態が発生。そして、まさしくその結果、人類の代表者デイヴィッド・ボーマン船長は、土星木星)をめぐる巨大なるいまひとつのモノリス、すなわちスター・ゲートヘ呼び込まれ、彼は時空間を超えていよいよ超人類として生まれ変わり、かくして大団円では、巨大なるスター・チャイルドが核武装された地球を見下ろすように虚空に浮かぶ。(巽孝之『『2001年宇宙の旅』講義』, 平凡社, 2001年, 14頁)。

 

 ところで、人はなぜ危機を感じることができるのだろうか。もちろん、それは想像力の問題でもあるだろう。だが、多数の地域で多数の人々がある危機への想像を「肌身に感じる」ためには、身体への働きかけが重要となるのではないか。クーンが唱えた「通常科学の危機」は生身の科学者が実験器具を用いて実験を繰り返すことによって気づかれるものであった。科学と身体を結びつけるもの、それが「技術」(テクノロジー)という視座である。マルセル・モースは身体技法について次のように述べる。

 

道具を用いる技法に先立って、ありとあらゆる身体技法がある。わたくしは心理‐社会学分類学の仕事なる、この種の作業の重要性を誇張するつもりはない。しかし、それは無視できない事柄ではある。なにひとつとして秩序のなかった諸観念の真っただ中に、秩序がもち込まれたのである。諸事実を配置する場合にも、原則に基づく正確な分類がその内部で可能となった。この物理的、機械的、化学的目的への不断の適応(たとえば、われわれが飲むときの)は、一連の整備された行為、それも、個人にあってはみずからによってのみならず、その受けた一切の教育、彼みずからが属する社会全体をとおし、その社会で占める位置において、整備された行為のなかで追求されるのである(M・モース, 有地亨, 山口俊夫訳『社会学と人類学Ⅱ』弘文堂, 1976, 133頁)。

 

 映画館に行って座席に座り、音響を聞きながらスクリーンをまなざす行為とは、どこまでも身体的活動であり、さらに複数の人間が共通の空間に身を置く共時的体験でもある。キューブリックは『2001年』の演出に関して、「わたしが狙ったのは視覚的体験だ。言葉で整理することを避けて、潜在意識に直接突き刺さるエモーショナルで哲学的な映画だ」と非常に意図的であった。この技法を執り行うためには、1952年の『これがシネラマ』に代表される、「観客を巨大スクリーンで包囲するシネラマは、現在のアイマックスのような体感映像システム」装置を要したことはいうまでもない(町山智浩『<映画の見方>がわかる本』洋泉社, 2002年, 19-20頁)。

 

 科学が無目的にやっかいなものを生み出してしまうこと、それは目的論的世界観から機械論的世界観への一つの移行を示している。だが、科学が無目的に不特定多数の人間に働きかけることは、それ自体が危機の象徴であると同時に、危機に対処するための、あるいは危機に反応して革命を起こすための人々を身体的に動員する契機ともなりえる。

 

 ボブ・ディランが1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでフォークギターからエレキギターに持ち替えたことの意義をもう一度捉えたい。

 

ロックンロールを商業主義に侵された悪魔の音楽と見なしていたフォーク・ファンからは、激しいブーイングが巻き起こり、ディランは途中で演奏を切り上げることを余儀なくされた。しかし、そのときこそ、ロックンロールの野性とフォークの知性が融合して、新しい音楽ロック・ミュージックが誕生した瞬間であった。ディランは、ロックンロールに新しい機知と言語運用能力を持ち込み、同時にフォークに電気増幅に伴う直接性をもたらした。このようにして、ティーンエイジャーと大学生の音楽市場を力ずくで接続したディランは、インテリもエレキギターを手にする新たなる音楽シーンを創造したのであった(福屋利信「ボブ・ディランと対抗文化」『英語と英米文学』 (45), 2010年, 90頁)。

 

 既存の身体技法にそぐわない体験をすることは、諸種の「驚異」によって一種の停滞・白紙状態を生み出す。ロック・フェスティバルの場に身をおいて起きたことを言語化することは難しい。映画館で『2001年宇宙の旅』を見た直後に誰かその内容をすぐさま説明できるだろうか。現在の空白を説明するためには、過去が必要となる。『2001年』は未来のビジョンのみならず、人類の歴史を新た形式(モノリスというキューブに魅せられる人類)で語ってみせた。過去と未来が交錯する時間と場所。エイリアンな体験こそが、パラダイムの変革のきっかけとなる。危機と驚異を身体的に察知した人々こそが、革命を起こすのである。

 

 伊藤報告は、科学における非目的性を強調した松崎とは対照的に、科学に目的を授与することにまつわる科学者集団内の政治性を重視した。さらにこれまでの論旨をふまえれば、クーンのパラダイム論が現代どのように扱われているかを例証するものでもある。ハリー・コリンズはクーンの科学革命への思考を現在、次のように説明している。

 

もし科学革命の経過の中で、科学者が世界について考える仕方が変わり、それによって、世界が変化するとしたら、そのとき、世界は固定した基準ではなくなってしまう。世界は、もはや、すべての理論形成の基盤ではないのである。もし、科学者が異なった考え方で世界を考えたときに、世界そのものが変化するならば、何が真とみなされるかが、科学者の生きる場所や時代によって変わるだけではなく、何が真であるかも、科学者の生きる場所や時代によって変わることになる(ハリー・コリンズ『われわれみんなが科学の専門家なのか?』法政大学出版局, 2017年, p.35-6)。

 

 コリンズはクーンのパラダイムの変動性に注目して論旨をうち立てていると言って良いだろう。では、このような変動の契機を科学者の行為に即して捉えると、どのような事態が想定されるのだろうか。

 

 伊藤・徳安は伊藤が主催した事前会、エヴァレット・カール・ドルマン『21世紀の戦争テクノロジー』(2016)の輪読において、「技術の流出」について論を進めている。科学者集団の内部で自閉している限り、クーンのパラダイム論や通常科学は変動してなお安定的だといえる。だが実際のところ、科学技術をだれが、どのように共有するかはすぐれて政治的な問題でもある。そして、「『どの技術は普及を認められ、どの技術は流出を防ぐか』という政治的な意思決定者(≒国家や資本家)の存在による権力の行使を無条件に追認することでもあるのではないか?」という問いを立てる。

 

 この問いから現代の科学の状況を考察すると、次のような仮説が生まれる。

 

中国で遺伝子操作した双子が生まれた。このことが含意する問題は非人道的であるとかいう話ではなくより本質的には、ヒトが「目的的に生まれる」という点にある。本来、生命というのは生まれた時点ではあらゆる可能性が無制限に与えられて生まれてきている。ところが、遺伝子操作で生まれた双子は生まれながらにして「遺伝子操作によって生まれた子はどうなるのか?」という命題を背負わされており、その命題に答えるという目的からは例え自ら死を選んだとしても逃れることができない(なぜなら、死を選ぶ、ということもまた「遺伝子操作によって生まれた子」の選んだ行動として結論づけられるからである)

このことが意味するのは、技術というものは「問いとそれに対する解」として規定されるといえるのではないか。別の言い方をすれば、技術の持つ暴力とは「問いとそれに対する解を規定する」という点に起因するのだろう。

 

 問いを立てているようで、実はそれは答えをあらかじめ用意している。このような視座は、ハンナ・アレントが現代の「人工的リアリティ」について描いてみせたことに不思議なほど重なる。つまり、「実際、今日人間の創造力は、かつて夢とか幻想の中で精いっぱい想像されたものをはるかに越えているだろう。しかし残念なことに、そのおかげで今ふたたび人間は、以前よりももっと強力に自分自身の精神の牢獄の中に閉じ込められ、人間自身が作り出したパターンの枠の中に閉じ込められているのである」と(前掲『人間の条件』, 455頁)。コリンズが唱えるように、もし万物の尺度を人間だけに求めるのであれば、このような事態が起きることは想像にかたくない。

 

 この「精神の牢獄」に対する伊藤・徳安の見解は、問いと答えの一元化された結びつきをずらしていくことだとされる。

 

だとすれば、我々が技術に対して持ちえる権利とは、「問いとそれに対する解」を読み直すということにこそ生じるといえる。つまり、水を入れ持ち運ぶという瓶を使って、発火させるという「火炎瓶」、あるいはこね混ぜて食べるという目的の小麦粉を使って、引き起こす「粉塵爆発」そうした事象に象徴されるような、問いと解を読み直すということが、抵抗の端緒となるのかもしれない。

 

 クーンのパラダイム論を安易に受け入れると、伊藤が指摘するように、「コリンズの議論の方向性は基本的にはクーンの提示したパラダイムの構造をより細分化して呈示しているにすぎず、パラダイムそのものを根拠づける理論的基礎についての検討がなされていない、ということに尽きる。このことは別の観点から捉えるならば、クーンのパラダイム論は、科学者集団の特殊な性質については明らかにしてはいるけれど、科学者と社会との接点については考察されていない」という問題に行き着く。だが、これまでの各報告者は、まさにクーンのパラダイム論を下(歴史的)から見たり、横(社会的)から見たり、はたまた上(現代的)から見たり、斜め(系譜的)から見て、考察してきた。

 

 田中報告はクーンと同時代のカンギレムの科学史を検討することで、「パラダイムパラダイム」が存在することを指摘し、黒岩報告はそこから「歴史的パラダイム」を、松崎は「社会的パラダイム」を描写してみせた。伊藤報告はクーンの「パラダイムのその後」について言及することで、クーンのパラダイム論を批判的に検討することの重要性を再び指摘したといえるだろう。以上が今期の群知堂の活動報告、「政治的なものと科学技術」をテーマに、各報告者が「パラダイム――下から見るし、横からも見る――」を試みた。これまでの叙述が、打ち上げ花火のように発火され、爆発し、光臨を降り注ぎ、やがて散って消えていくような情景を浮かび上がらせるものであれば良い。みなが、「人間火薬庫」でありますように。