博物学探訪記

奥会津より

群知堂読書会 課題本 フリードリッヒ・ニーチェ, 信太正三訳『善悪の彼岸 道徳の系譜(ニーチェ全集11)』筑摩書房, 1993年

テーマ:禁欲主義的理想による〈没意味〉からの離脱

 

  1. 人間の主体形成とその起源:〈良心の疚しさ〉

  • 人間主体は、思考[1]/〈活動〉[2]によって形成される[3]
  • 〈活動〉に〈作用〉[4]するのは〈権力への意志〉である 
  • 〈意志〉における〈約束〉[5]によって、人間は時間性を手に入れ、偶然的から必然的な存在となる。
  • 〈約束〉できる意志をもつ人間とは哲学者[6][7][8]・貴族[9]であり、彼らは自発的で責任の自覚をもち[10]、自己には畏敬を[11]、同格者には尊敬を[12]、奴隷へは感情の放埓[13]を向ける特徴をもつ。これこそが〈良心〉[14]である。
  • 〈約束〉ができない人間とは奴隷であり、彼らは外発的[15]なため命令者を必要とする
  • 生の本質[16]とは他者への侵害・抑圧・搾取および〈苦悩〉を与える悦楽[17]である。
  • 良心の疚しさが、意識の内面化[18]および非利己的価値の創造[19]、他者への暴力的働きかけ[20]をもたらした。
  • 良心の疚しさの起源は、①人間が所詮は社会と平和との制縛にからめこまれているのを悟ったとき[21]、②種族は徹頭徹尾ただ祖先の犠牲と功業とのおかげで存立するという確信、負債の意識をもったとき[22][23]、である。
  1. キリスト教の普及は人間を「崇高な奇形児」としてきたが[24]、それは〈隣人愛〉の処方による[25]

 

  1. 近代世界への所見

  • 〈意志の自由〉を欠いた畜群的人間の大発生[26]により、専制的支配の準備[27]がなされる。

Cf. 〈近代的理念〉[28]の影響を受けないユダヤ人の特質[29]

  • 汚染された哲学者[30]
  • 人間の〈権力への意志〉とは、禁欲主義的理想による〈没意味〉からの離脱である[31]

 

  1. フーコーニーチェミシェル・フーコー, 小林康夫石田英敬松浦寿輝訳『フーコー・コレクション5 性・真理』筑摩書房, 2006年を参照

ニーチェは歴史の偶然性と〈意志〉の作用については矛盾した見解を提起しており、その両義性をどのように架橋するかが課題となる。この課題に対して、フーコーは意志と作用の関係を切り捨て、外在化された権力が主体をつきうごかすと考えることにより、〈権力の網目〉という視点を獲得した。だがそれは「個々人の意志」を具体的に思考することを困難にした。ここには個人と主体、個と普遍をめぐる古い難問が横たわっている。

 

[1] 論理学者らの迷信に関しては、私は俗まずに、これら迷信家諸士の承認したがらない一つのちょっとした簡単な事実を繰りかえし力説したい。――それはすなわち、思想というものは、〈それ〉が欲するときにやって来るもので、〈われ〉が欲するときに来るのではない、したがって主語〈だれ〉が述語〈思う〉の条件であると主張するのは事実の歪曲である、ということだ。要するに、(それが)思う――(es dankt)――、だがしかしこの〈それ〉(es)をば、ただちにあの古くして有名な〈われ〉だとみなすのは、控え目に言っても、一つの仮定、一つの主張にすぎないもので、ましてや〈直接的確実性〉などでは決してない。つきつめたところ、この〈それが思う〉というものさえすでに言いすぎである。この〈それ〉がというのがすでに、思考過程の解釈を含んでおり、この過程そのものに属するものではない。ここでひとは文法上の刊慣に従って、「思考とは一つの活動であり、すべての活動には活動している主体がある、されば――」という式に推論しているのである。(40-41頁)

[2] ある量の力とは、まさにそれと同量の衝動、意志、作用のことである、――いなむしろ、じつにこの衝動のはたらき、意欲するはたらき、作用するはたらきそのものにはかならない。それがそうでなく見えるのは、すべての作用を作用者によって、すなわち一個の〈主体〉によって制約されたものと解し、誤解するところの言葉(さらには言葉のうちに化石した理性の根林獄謬) の誘惑に囚われるがためにはかならない。それはちょうど一般の民衆が稲妻をその閃光から切りはなし、後者を稲妻と呼ばれる主体の活動であり作用であると考えるのと同じく、民衆道徳もまた強さを強さの現われから切りはなし、あたかも強さを現わすも現わさないも自由自在といった超然たる基体が強者の背後にあるかのごとく思いなす。がしかし、そのような基体は存在しない。活動、作用、生成の背後にはいかなる〈存在〉もない。〈活動者〉とは、たんに想像によって活動に付加されたものにすぎない、――活動がすべてである。民衆が稲妻を閃めくものとなすとき、実のところこれは活動を二重化しているのだ。これは活動――活動ともいうべきものであって、同じ出来事を一度まず原因と見なし、次にもう一度それをその結果と見なすものだ。(404-405頁)

[3] 最後の一万年のあいだに地球上の若干の大陸において歩一歩と進歩がとげられ、かくてやがて行為の価値は、もはや結果によってではなく、その由来によって決められるようになった。(68頁)

[4] 最後に次のような問題がある。すなわち、われわれは意志をば真に作用するものとして認めるか、われわれは意志の因果関係を信ずるか、という問題である。もしわれわれがこれを肯定するとすれば――根本のところ、意志の作用力を信ずることは、われわれが因果関係そのものを信ずることだが――、そうならわれわれは意志の因果関係をば唯一の因果関係として仮定することを試みなければならない。もちろん〈意志〉は、〈意志〉にたいしてだけ作用しうるのであって――〈物質〉(Stoff)にたいしてではない(たとえば、〈神経〉にたいして作用することはできない――)。要するに、われわれは思いきって次のような仮説を立ててみなければならない。すなわち、〈作用〉が認められるところではどこでも意志が意志に作用しているのではないか――そしてあらゆる機械的な事象は、そのなかにある力がはたらいているかぎり、それはまさに意志の力、意志の作用ではないか、という仮説である。――かくて結局においてわれわれの衝動的生の全体を、意志の唯一の根本形態――すなわち私の命題にしたがえば、権力への意志――の発展的な形成および分岐として説明することができたなら、また、すべての有機的機能をこの権力への意志に還元して、そのうちに生殖や栄養の問題の解決――これは一つの間題だが――をも見いだすことができたならば、それによってわれわれはあらゆる作用する力を一義的に権力への意志として規定する権利を手に入れたことになろう。内部から観られた世界、この〈叡知的性格〉にしたがって規定された特色づけられた世界、―― これこそはまさに〈権力への意志〉なのであって、そのほかの何ものでもないだろう。(75-76頁)

[5] ――彼は、なにごとにも〈片をつける〉ことができない。・・忘却がおのれ自身における一つの力、強壮な健康の一形式をなすほかならぬこの必然的に健忘な動物が、ところが今やそれとは反対の一能力を、ある場合には健忘を取りはずす助けとなるあの記憶という一能力を、育て上げるにいたった。――ある場合とはすなわち、約束しなければならないというときのことである。したがってこの能力は、一旦刻犠生まれた印象からまたと脱けだせないという受動的なものでは決してなく、また単に一旦抵当に入れた言質を再び請けもどせないという消化不良でもなく、むしろ、またとふたたび脱けだすまいとする一個の能動的な意欲、一旦欲したものはどこどこまでもこれを持ちこたえようとする意欲、本来的な意志の記憶である。したがって、根本の「私は欲する」・「私はなすだろう」と、意志の真の発現、その活動とのあいだには、かずかずの新しい異他の事物や事情や意志活動すらもが遠慮会釈なく入りこんできてもかまわないし、それによって別にこの永い意志の連鎖が断ち切られるわけではない。がしかし、これらのことすべての前提をなすものは何だろう! このようにして未来をあらかじめ意のままに処理しうるためには、いかに人間はまず、必然的な事象を偶然的な事象から区別することを、ことがらを因果的に考量することを、遥か先のことを現在のことのように観察し先取することを、何が目的で何がその手段であるかを確実に見定め、総じてこれを計算し算定しうることを、学ばねばならなかったことか! ―― これがためには、しかも、およそ約束者たるもののそうあるごとく遂には未来としての自己を保証しうるようになるためには、いかに人間はおのれ自身まずもって、自分自身の観念にたいしてすらも、算定しうる・規則的な・必然的な存在とならねばならなかったことか!(424-425頁)

[6] ――その使命は、彼が価値を創造することを求める。カントやヘーグルの高尚な模範にしたがうすべての哲学的労働者の仕事ときては、何かある巨大な価値評価の事実を、――いいかえれば、支配的なものとなって当分のあいだ〈真理〉と呼ばれている従来の価値評定、価値創造の事実を――確認して、これを公式におしこめるということである。これが、論理的なものの領域においてであれ、政治的(道徳的)なものの領域においてでぁれ、どこででもなされるのである。これら学者にとっての義務は、これまで起こったこと評価されたことの一切を概観できるように、熟考できるように、理解しやすく扱いやすいようにするということ、 一切の長大なものを、〈時間〉そのものをすらも切りつめて、全過去を制圧できるようにするということでぁる。まことにもってこれは巨大な驚嘆すべき課題というべきで、これに奉仕するとなれば、いかなる気取った矜持も、いかなる頑強な意志も、きっと満足することができるだろう。だがしかし真の哲学者は命令者であり立法者である。すなわち彼らは言う。「かくあるべし!」と。彼らこそがはじめて人間の〈何処へ?〉と〈何のため?〉とを決定し、その際にあらゆる哲学的労働者、あらゆる過去制圧者の予備工事を意のままに使いこなすのだ。――彼らは創造的な手をもって未来をつかみとる。存在するもの、存在したものの一切が、そのとき彼らの手段となり、道具となり、ハンマーとなる。彼らの〈認識〉は創造であり、彼らの創造は一つの立法であり、彼らの意志は、――権力への意志である。――今日このような哲学者が存在するだろうか? かつてこのような哲学者が存在したであろうか? このような哲学者が存在しなければならぬのではあるまいか?(208-209頁)

[7] すべて高い世界にたいしては、ひとは天稟をそなえているのでなければならない。もっとはっきりいって、そうした世界にたいしては、ひとは育成されているのでなくてはならない。すなわち、哲学にたいする権利――この言葉を広い意味にとって――をもつということは、ただただその人の素性によるものであり、ここでも決定的にものをいうのは先祖であり〈血統〉なのだ。哲学者が生まれるためには、前もって幾世代ものひとびとが基礎がための仕事をしていなければならない。哲学者の徳性のすべては一つ一つ獲得され、育てあげられ、遺伝され、血肉化されていなければならない。その徳性とは、ただに彼の思想の大胆な、軽快な、柔軟な歩みと運びばかりでなく、なお何よりまず偉大な責任を喜んで引き受ける覚悟、支配者的威厳をもって見下ろす眼光の高邁さ、大衆とその義務や徳からの懸絶感、神であると悪魔であるとを問わず誤解され誹謗されるものにたいする懇篤な保護と弁護――さらには、偉大な正義にたいする悦びとその実践、命令の伎価、意志の宏大さ、稀にしか驚嘆せず稀にしか敬仰せず稀にしか愛しない悠然たる眼差しなどがそれである・・・。(214-215頁)

[8] 哲学者とは、ああ、それはしばしば自己から逃走し、しばしば自己に恐怖をいだく者、―がしかし、そのあまりな好奇心のゆえに繰りかえしまた〈自己へと帰来〉する者である。(341頁)

[9] ――このゆえにまた、かかる貴族体制に本質的なことは、それが、みずからのために不完全な人間、奴隷、道具にまで圧し落とされ貶下されざるをえない無数の人間の犠牲を、良心の呵責もなく承認するということである。ほかならぬその根本信条は、社会は社会そのもののために現存するものであってはならない、むしろ社会はただ選り抜きの品種の人間が高次の課題へ、総じて高次の存在へと上りうるための下部構造かつ足場であるべきだ、というのでなければならない。(302-303頁)

[10] 高貴であることのしるし。すなわち、われわれの義務を、すべての人間にたいする義務にまで引き下げようなどとはけっして考えないこと。おのれ自身の責任を譲りわたすことを欲せず、分かちあうことをも欲しないこと。自己の特権とその行使を、自己の義務のうちに数えること。(329頁)

[11] ――高貴な人間たるを証しするのは行為ではない。――行為はつねに多義的であり、つねに測りがたい――。それは〈業績〉でもない。今日の芸術家や学者のなかには、彼がいかに高貴なものへの深い欲求に駆りたてられているかが、その業績によって察しられるような人が沢山いる。しかし、ほかならぬこの好奇なものへの欲望こそは、高貴な魂そのものの欲望とは根本的に異なるものである。むしろそれこそは高貴な魂の欲望の欠乏を示す雄弁にして危険な徴表である。ここで決定を下し、ここで位階を確定するのは、古い宗教上の慣用語をまたしても新しい一層深い意味にもちいていえば、業績ではなくして、信仰である。すなわちそれは、高貴な魂が自己自身についていだくある根本的確信である。それ自体求められも、見いだされも、おそらくはまた失われもしない何ものかである。――高貴な魂は自己にたいし畏敬の念をいだく。(338頁)

[12] 高貴な魂は、おのれのエゴイズムというこの事実をば、何の疑いをもいだくことなく、そこに冷酷とか強制とか恣意とかを感ずることさえもなしに、むしろそれが事物の原法則に基づいたものであるかのように受けとる。―― これに名をつけようとする段になると、高貴な魂の者は言うであろう、「これは正義そのものである」と。いろいろの事情のために彼ははじめ躊躇するにしても、結局は自分と同等の権利をもつ者が存在することを認める。この順位の問題に決着がつくやいなや彼は、自己自身に接すると同じく確かな羞恥心と繊細な畏敬の念をもって、これら同格者や同権者らと交際をかわす。――それはまるで、すべての星がその精通している本然の天体力学の法則に従うのと同じようなものである。おのれと同格な者との交わりにおけるこうした繊細さと自制、これが彼のエゴイズムの一段とすぐれた点である。――すべての星もこうしたエゴイス卜なのだ――。彼はおのれの同格者たちのなかに、また自分が彼らに与える権利のなかに、自己自身を尊敬する。尊敬と権利の交換が、すべての交わりの本質として、おなじくまた事物の自然な状態にぞくするものだということを彼は疑わない。高貴な魂はその根底にひそむ熱情的で敏感な報復の本能からして、自分の取るだけを他者に与える。〈恩恵〉という観念は、〈同等の者の間〉では何の意味も香気ももっていない。(320頁)

[13] これまでにわれわれが知りえたところの禁欲主義的僧侶の手段――生感情の全体的鈍麻、機械的活動、小さな喜び、とりわけ〈隣人愛〉のそれ、畜群組織、協同体的権力感情の喚起、かくして個人の自己嫌悪が共同体の繁栄をよろこぶ快感によって紛らされる――、こうしたものは、近代的尺度で測るなら、不快との闘いにおける禁欲主義的僧侶の罪のない手段なのだ。さて今からわれわれは、もっと興味ぶかい、〈罪のある〉手段の方に目を移すとしよう。そうした手段のすべてにおいて肝要な一事といえば、何らかのかたちでの感情の放埒ということである。――これは、重ったるい麻痺させるような長い苦痛に対してもっとも効力のある麻酔剤としてもちいられる。それゆえ、次のような問題を考え抜くことに僧侶一流の才略がまさに尽きることなく注がれた。それはすなわち、「何によって感情の放埒が得られるか?」という問題だ。・・。これでは聞き苦しい点があるが、たとえばこれを「禁欲主義的僧侶はいつでもつねに、すべての強烈な情念のうちにひそむ感激を利用した」とでもいえば、明らかにもっと気持ちよくひびき、おそらくもっと耳ざわりよく聞こえるであろう。だが、何のためにわが現今の柔弱者どもの優耳をさすってやらねばならぬことがあろう? 何のためにわれわれからして彼ら流の言葉の偽善に一歩たりと譲る必要があろう? われわれ心理学者にとっては、それがわれわれに嘔吐を催させるということは別としても、そうすることにはすでに一つの行為の偽善があると思えるのだ。つまり、心理学者というものが今日なんらかの点で良き趣味(――他の人なら、これを実直というかもしれないが)をもつとすれば、それは彼が、人間や事物に関する一切の近代的判断を次第に粘っこくしてゆく忌まわしいまで道徳化されたものの言い方に反抗するという点にある。かくいうのも、次の点を見損ってもらいたくないからだ、すなわち近代的魂や近代的書物のもっとも固有の特徴は虚偽ではなくして、道徳主義的嘘言が心から無邪気になされているその罪のなさがそれである、という点だ。この〈罪のなさ〉をいたるところにふたたび発見せねばならぬということ、――これこそはおそらく、今日の心理学者が引き受けねばならないところの、もともとは後込みしたくなるようなすべての仕事のなかでも、われわれにとってもっとも厭わしい仕事なのである。それはわれわれの大きな危険の一つでもある、――それはおそらくはかならぬこのわれわれをば大いなる嘔吐へとみちびく道でもあるのだ。(546-547頁)

[14] これこそは自己自身にのみ等しい個体、習俗の倫理からふたたび解き放たれた個体、自律的にして超倫理的な個体(というのも〈自律的〉と〈倫理的〉とは相容れないから)、要するに自己固有の、独立的な、長い意志をもつ約束することのできる人間である。――そして彼の内には、ついに達成されて彼自身それの化身となったそのものについての、全筋肉を震わせるほどの誇らかな意識が、真の権力と自由との意識が、人間そのものとしての完成感情が見られる。真実に約東することのできるこの自由となった人間、この自由なる意志の支配者、この主権者、―― この者が、かかる存在たることによって自分が、約束もできず自己自身を保証することもできないすべての者に比して、いかに優越しているかを、いかに多大の信頼・多大の恐怖・多大の畏敬を自分が呼びおこすか――彼はこれら三つのものすべての対象となるに〈値する〉――を、知らないでいるはずがあろうか? 同時にこの自己にたいする支配とともに、いかにまた環境にたいする支配も、自然および一切の意志短小にして信頼しがたい被造物どもにたいする支配も、必然的にわが評にゆだねられているかを、知らないでいるはずがあろうか? 〈自由なる〉人間、長大な毀たれない意志の所有者は、この所有物のうちにまた自己の価値尺度をもっている。彼は自己を基点にして他者を眺めやりながら、尊敬したり軽蔑したりする。彼は必然的に、自己と同等な者らを、強者や信頼できる者ら(約束することのできる者たち)を尊敬する、――要するに主権者のごとくに重々しく、稀に、ゆったりとして約束する者、容易には他を信頼せず、ひとたび信頼したとなればこれを賞揚する者、おのれの一言を災厄に抗してすら・〈運命に抗して〉すらも守りぬくほど十分に自分が強いことを知るがゆえに、頼むに足るだけの言質を他に与える者、こうしたすべての者を尊敬するのである――。同様また必然的に彼は、できもしないのに約束する法螺吹きの痩犬どもを足蹴にすべく身構えるだろうし、舌の根の乾かぬうちにはやくもその約束を破る虚言者どもに懲戒の笞を振るうべく身構えるであろう。責任という格外の特権についての誇らかな自覚、この稀有な自由の意識、自己と命運とを支配するこの権力の意識は、彼の心の至深の奥底まで降り沈んでしまって、本能とまで、支配的な本能とまでなっているのだ。――もし彼にしてこれを、この支配的な本能を、一つの言葉で名づける必要に迫られるとすれば、これを彼は何と呼ぶであろうか? 疑いの余地もなく、この主権者的な人間はこれを自己の良心と呼ぶ・・・(426-427頁)

[15] ――道徳における奴隷一揆は、ルサンチマン(怨恨 Ressentiment) そのものが創造的となり、価値を生みだすようになったときにはじめて起こる。すなわちこれは、真の反応つまり行為による反応が拒まれているために、もっぱら想像上の復讐によってだけその埋め合わせをつけるような者どものルサンチマンである。すべての貴族道徳は自己自身にたいする勝ち誇れる肯定から生まれでるのに反し、奴隷道徳は初めからして〈外のもの〉・〈他のもの〉・〈自己ならぬもの〉にたいし否と言う。つまりこの否定こそが、それの創造的行為なのだ。価値を定める眼差しのこの逆転――自己自身に立ち戻るのでなしに外へと向かうこの必然的な方向――こそが、まさにルサンチマン特有のものである。すなわち奴隷道徳は、それが成り立つためには、いつもまず一つの対立的な外界を必要とする。生理学的にいえば、それは一般に働きだすための外的刺戟を必要とする、――それの活動は根本的に反動である。(393頁)

[16] 生そのものは本質において他者や弱者を我がものにすること、侵害すること、圧服することであり、抑圧すること、厳酷なることであり、おのれ自身の形式を他に押しつけること、摂取同化することであり、すくなくとも――ごく穏やかに言っても搾取することである。――しかし、ことの真実を示すには、かならずしも、昔から誹謗の意図が刻みこまれているそうした言葉を使わねばならぬというわけではなかろう? 先に仮定されたように、その内部でも各個人が平等に振舞っている――これはすべての健全な貴族体制に見られるところだが――ような団体にしても、それが生きている団体であって滅びかけている団体でないかぎり、他の団体に対しては、おのが内部では各個人とも抑制しあっている一切のことを進んで行なわなければならない。その団体は権力への意志の化身であらねばならない。それは生長しようと欲し、周りのものへとつかみかかり、これをおのれの方へ引きよせ、圧服しようと欲するであろう。――これは何らかの道徳性や背徳性からでることではなくて、それが生きているからこそであり、生こそは権力への意志だからである。ところがヨーロッパ人の一般の意識は、いかなる点についてよりもこの点について教えられることを一番に嫌がるのである。今日いたるところで世人は、科学的な仮装をこらしてまで、〈搾取的性格〉が廃絶されるはずの来たるべき社会状態について夢中で論じあっている。――それは私の耳には、あらゆる有機的機能を営まなくなってしまった一個の生命の発明を約束するもののように聞こえる。〈搾取〉というものは、須廃した社会とか不完全な原始的社会とかに属する現象なのではない。それは有機的根本機能として、生あるものの本質に属するものなのだ。それは、生の意志そのものにはかならぬ本来的な権力への意志が然らしめるところなのだ。(304-305頁)

[17] かくして、この領域、つまり債務法のうちに、〈負い目〉とか〈良心〉とか〈義務〉とか〈義務の神聖〉とかいった道徳的な概念世界の発祥地がある。―― この概念世界の始まりは、地上のあらゆる大事件の始まりと同じく、じつにひどく久しきにわたって血で汚されていた。ここで、こう付言してもよいのではなかろうか? ――ひっきょうあの世界からは、 一種の血と拷間との臭いがまたとふたたび完全に払拭されることはなかった、と。(老カントにあってすらそうだ、彼の定言命法には残忍の臭いがする……。)同様ここにおいてこそまた、〈負い目と苦悩〉というあの不気味な、おそらくは解き離しがたいものとなった固い観念結合が、はじめて鎹でとめられるにいたったのだ。いま一度問うが、いかにして苦悩は〈負債〉の補償となりうるか? それは、苦悩させることが最高度の快感を与えるからであり、被害者がその損害さらには損害からくる不快と引き替えに異常な悦楽を手に入れるからである。すなわち、苦悩させることは――一つの真の祝祭なのであり、すでに述べたごとく、債権者の身分や社会的地位が低ければ低いほど、それだけ反対にいよいよ高く値ぶみされるものなのである。これは推測して言っただけにすぎない。というのも、こういう地下的に秘密なことがらは、そうすることのやりきれなさは別として、これを根本的に究明することは困難だからである。(434-435頁)

[18] しかもこれとともに、人間が今日なおそれから癒っていないあのもっとも重い不気味きわまる病気もはじまったのだ。すなわち、人間が人間たることに、自己自身たることに悩む、という病気がだ。これは、人間が野獣的な過去から無理矢理に引き離されたことの結果、いわば新しい状態と新しい生存条件とのなかへ跳びこみ落ちこんだことの結果、それまで彼の力や悦びや怖れの根基であった古い本能にたいし宣戦布告をしたことの結果であった。(464頁)

[19] すなわち、その悦楽は残忍の一種なのである。――道徳的価値としての〈非利己的なもの〉の由来、およびこの価値を発生せしめた地盤の標示については、まず差し当たってのところ次の点だけを示唆しておこう。良心の疚しさこそが、自虐への意志こそが、非利己的なものの価値を生みだす前提となったのだ、と。――(468頁)

[20] この現象の全体が、もともと醜悪で惨愴としているからとて、ゆめこれを軽視しないでもらいたい。根本のところをいえば、あの暴力芸術家や組織者らの内で豪壮に活動して国家を創建するのとまさに同じあの能動的な力が、ここでは内面的に、ちんまりと、こせこせと、退行的に、グーテの言葉をかりれば〈胸奥の迷宮〉のなかで、みずから良心の疚しさを創りだし、否定的な理想を築いているのである。この力というのは、ほかならぬあの自由の本能(私の言葉でいえば、権力への意志)のことだ。(467頁)

[21] ここにいたってはもはや私は、〈良心の疚しさ〉の起源についての私自身の仮説を一まず暫定的に述べておくことを避けるわけにゆかない。この仮説は、容易には人の耳に入りがたいもので、永いあいだ考量され見守られ熟思されるべきものである。私は、良心の疚しさというものをば、およそ人間がその体験したあらゆる変化のなかでも最も根本的なあの変化の圧力のため、罹らざるをえなかった重い病気だと考える。――もっとも根本的なあの変化とは、人間が所詮は社会と平和との制縛にからめこまれているのを悟ったときの、あの変化のことである。陸棲動物になるか、それとも死滅するかの選択を余儀なくされたときに、水棲動物のうえに起こらざるをえなかったと同じことが、人間というこの野蛮。戦争・放浪・冒険にうまく適応していた半獣の上にも起こった、――彼らの本能のすべては一挙にしてその価値を失い、〈蝶番をはずされ〉てしまった。彼らはそれまでは水によって運ばれていたところをば今や足で歩き、〈自分で自分を運ば〉ねばならなくなった。恐ろしい重みが彼らの身にのしかかってきた。きわめて簡単な仕事をするにも彼らは自分をぎこちなく感じた。この新しい未知の世界にたいして、彼らはもはや、その昔ながらの案内人を、無意識のうちにも確実に先導してくれるあの統制本能を、もたなくなっていた。――この不幸な半獣たち、彼らは、もっぱら思考・推理・計測・因果連結だけに依存し、その貧弱きわまる・誤りを犯しがちな器官である彼らの〈意識〉だけに依存するようになったのだ! 思うに、これほど惨めな気持ち、これほど重苦しい不快感は、かつて地上にあったためしはないであろう。――もちろん、そうなったからとて、あの古い本能がその要求を提出することをばったり止めてしまったわけではない―ただそれら本能の欲求を叶えることが困難になり、ほとんどできなくなっただけなのだ。要するに、これらの本能は、新しい。いわば地下的な欲求満足を求めざるをえなくなったのだ。外に向かって発散されないすべての本能は、内向する。――これこそが、私の呼んで人間の内面化というやつである。これによってはじめて、のちのち人間の〈魂〉と呼ばれるようになるものが、人間の内に成長してくるのである。全内面世界、はじめには二枚の表皮のあいだに張られたもののように薄っぺらだったこの世界は、人間本能の外への発散が阻まれるにつれて、いよいよ分化し膨れあがり、深さと広さと高さとを得るようになった。古い自由の本能に対して国家的組織がおのれを防護するため築いたあの怖るべき堡塁――なかんずく刑罰がこうした堡塁の一つだが――は、野蛮で放縦で浮浪的な人間のあの本能のすべてを追い退けて、これをば人間自身の方へと向かわせた。敵意、残忍、迫害や襲撃や変改や破壊の悦び、―― これらすべてが、こうした本能の所有者自身ヘと方向を転ずること、これこそが〈良心の疚しさ〉の起源なのだ。(462-463頁)

[22] ――そこで当面のところまずわれわれは、いま一度、先述の観点に立ち戻らなければならない。先にすでに綾々と陳述した債務者の債権者に対するあの私法的関係は、さらにまた、しかも歴史的に見てはなはだ注目すべき、いかがわしい仕方で、われわれ近代人にはおそらくどうにも理解に苦しむような別個の関係に、すなわち現存者のその祖先に対する関係に解釈し変えられるにいたった。原始的な種族共同体――われわれは太古のことをいっているのだが――の内部にあっては、いついかなるときにも現存の世代は先行の世代に対し、とりわけ種族を草創した最初の世代に対して、ある種の法的義務を負っていることを承認する(が、これはけっして単なる感情上の責務ではない。この感情上の責務なら、およそ人類のいとも永きにわたる存続のためには、いわれなく無下に否定さるべきものではないであろう)。そこでは、種族は徹頭徹尾ただ祖先の犠牲と功業とのおかげで存立するという確信が、――したがってまたこれは犠牲と功業とによって祖先に返済されなければならぬという確信が、支配している。(469頁)

[23] こうした素朴な論理のゆきつくはてを考えると、どうなるか。そのときには、もっとも強力な種族の祖先は、想像された恐怖そのものの増大によってついに恐るべき巨大なものにまで成長し、神的な不気味さと不可思議さの暗闇のなかに押しやられざるをえなくなる。――かくしてついに祖先のすがたは必然的に一個の神に変えられてしまう。おそらくはここにこそ神々の起源が、つまりそれの恐怖からの起源が存するのだ!(470-471頁)

[24] あらゆる価値評価を逆立ちさせること――これこそがそれであった! そして強者を挫き、大いなる希望を病みつかせ、美のうちにある幸福を中傷し、あらゆる独立自尊のもの・男らしさ・征服欲・野心的なもの、つまり〈人間〉という最高の最も出来のよい類型に特有な本能のすべてを、疑わしいもの・良心の呵責・自己破壊にまでへし曲げてしまうこと、いな、この地上のものと大地の支配にたいする愛のことごとくを、大地と地上のものとにたいする憎しみにまで逆転してしまうこと、――こうしたことを教会はみずからの任務としたし、またせざるをえなかったのだ。かくしてついに、教会の評価にとっては、〈現世厭離〉と〈官能滅却〉と〈高級の人間〉という三つのものが一つの感情に融け合うようになってしまった。もしひとが、エビクロスの神のような皮肉で虚心な眼をもって、ヨーロッパのキリスト教の奇態にも痛ましい、粗野ながらも巧妙な喜劇を見わたすことができたとしたら、だれしもびっくり仰天すると同時に笑いだして止めようもなくなるだろうとおもわれる。人間を崇高な奇形児につくりあげようとする一つの意志が、一八世紀にわたるあいだヨーロッパを支配してきたとしか思えないではないか?(114-115頁)

[25] このように喜びが医薬として処方されるもっとも通例の形式は、ひとを喜ばせる(たとえば慈善、施与、慰安、援助、励まし、力づけ、賞揚、顕彰などをする)という喜びである。禁欲主義的僧侶は〈隣人愛〉を処方することによって、じつは、きわめて慎重な匙加減をもってではあるが、もっとも生肯定的な最強の衝動――すなわち権力への意志を処方するのである。すべての慈善、恵与、援助、顕彰などの行為に必然的にともなう〈極小の優越感〉の幸福こそは、生理的障害の所有者たちが常用する結構至極な慰藉手段なのである。(544頁)

[26] しかも、このような雑種的人間にあってもっとも深く病みつき、顔廃するのは、意志である。彼らは決意の独立性、意欲することの勇壮な快感をもはやまったく知らない。――彼らは夢のなかにあってさえも〈意志の自由〉というものを疑う。この現代ヨーロッパは急激な階級混浦の、したがってまた人種混清の、気違いじみて突発的な試みの舞台と化し、これがために懐疑的な空気が上下にくまなく滲みわたっている。かくて、時にはあの移り気な懐疑に襲われては、いらだたしく物欲しげに一つの枝から他の枝へと飛びうつり、時には疑間符を積みすぎた雲のように暗漕と陰鬱になる。――そして、みずからの意志には、しばしば死ぬほどうんざりとなる! これは意志麻痺症というものだ。今日この片輪者が坐っていない場所などあるだろうか! しかもそれが、しばしば派手にめかしこんでいるとくる!じつに誘惑的に盛装をこらしてお目見えとくる! この病気を飾るにうってつけの、華麗きわまる虚飾的な衣装もあるとくる。たとえば、こんにち〈客観性〉とか、〈科学性〉とか、〈芸術のための芸術〉とか、〈意志ある自由な純粋の認識〉とかいって陳列棚に飾りたてられる代物の大部分は、じつは盛装した懐疑や意志麻痺症であるにすぎない。(200頁)

[27] ――この過程は、おそらく、〈近代的理念〉の使徒たるその素朴な促進者や讃美者たちの夢にも予想しないような結果を生むであろう。この新しい条件のもとでは、概して人間の均等化と凡庸化がつくりだされ――有用で、勤勉で、いろいろと役に立つ器用な畜群的人間が生まれてきているが、反面その同じ条件は、もっとも危険で魅力的な性質をもった例外的人間を発生せしめるうえに最適である。すなわち、一面において例の適応力は、たえず変化する条件を一つ一つこなしてゆき、一世代ごとに、いなほとんど十年ごとに新しい仕事をはじめることになるから、およそ強力な型の人間はまったくつくられえないようになる。こうした未来のヨーロッパ人について全体としての印象をいえば、それは、いろいろさまざまの口やかまし意志薄弱な、きわめて器用な労働者といったものであり、彼らは日々のパンを必要とすると同じように命令者を必要とする。かくしてヨーロッパの民主主義化は、もっとも精密な意味での奴隷制度にあつらえむきな型の人間を生みだすであろう。しかしその反面、個々の例外的な場合においては、強力な人間は、おそらくかつてこれまであったより以上に強く、豊かにならざるをえなくされるであろう。――それも、彼の教育が先入見なしに行なわれるがため、またその訓練、技巧、仮面がおそるべく複雑多彩であるがためである。私の言いたいのはこうだ。ヨーロッパの民主主義化は、同時に専制的支配者――この語をあらゆる意味にとって、またもっとも精神的な意味にとって――の育成にたいする、思いもかけない準備となる。(266-267頁)

[28] 私はまた、理想主義を奉ずるあの最近の相場師ども、すなわちあの反ユダヤ主義者どもを好かない。この連中ときては、今日そのキリスト教的・アーリア的・良民的な眼をむきだし、安直きわまる場動手段たる道徳的ポーズを我慢ならないほどに濫用して、民衆のなかの頓馬どもを残らず煽りたてようとしている(――今日のドイツにおいてあらゆる種類のインチキ精神主義が成功を収めているという事実は、いまやすでに否定すべくもない歴然たるドイツ精神の荒廃と関連したものである。私の見るところでは、この精神荒廃の原因は、あまりにも新聞と政治とビールとヴァーグナー音楽ばかりを摂りすぎたことにあるのだ。これに加えて、この飲食法の前提たるものもまた、その原因のうちに含められる。すなわち、まず国民的な緊縛と虚栄、「ドイツ、ドイツ、万邦に冠たるドイツ」というあの強烈ながら偏狭な原理、つぎにまた〈近代的理念〉の震頭麻痺がそれである。(578頁)

[29] しかるにユダヤ人は、疑いの余地もなく今日ヨーロッパに生存している種族のなかでも最も強壮な、強靭な、純粋な種族である。彼らは、最悪の条件のもとでも(むしろ恵まれた条件のもとにおけるよりもよりよく)生きぬく道を心得ている。それも、今日ひとがよく悪徳という烙印を押したがるある種の徳性によるものであり、――なかんずく、いわゆる〈近代的理念〉の前に恥じるを要しない確固たる信仰のおかげによるものである。(281頁)

[30] ところで、私の言わんとするところは、とっくにお分かりのことだろう。――つまるところ、われわれ心理学者とて今日われわれ自身にたいするそこばくの不信から脱しきれないということにも、充分の理由が存するのではなかろうか? ・・・おそらくわれわれもなおいまだにわれわれの職分にたいして〈善良すぎる〉のであろう。おそらくはわれわれもまたこの道徳化された時代趣味の犠牲、餌食、患者であるのだろう、どんなにわれわれがこの趣味の侮蔑者をもって任じていようともだ、――おそらくこの趣味はわれわれにもなお感染しているのだ。(550頁)

[31] 禁欲主義的理想を外にしては、人間は、人間という動物は、これまで何の意味をももたなかった。地上における人間の生存には何の目標もなかった。「いったい人間は何のためにあるのか?」――これは答えのない問いであった。人間と大地のための意志が欠けていた。あらゆる大きな人間の運命の背後には、さらに大きな〈無駄だ―〉というリフレーンがひびいていた。何ものかが欠けていたということ、巨大な空所が人間をとりかこんでいたということ、まさにこれこそが禁欲主義的理想の意味するものなのだ。――人間は自己自身を弁明し、説明し、肯定するすべを知らなかった。人間は自己存在の意味の問題に悩んだ。彼はそのほかにも悩んだ。人間は要するに、一個の病める動物であったのだ。だが、苦悩そのものが彼の問題だったのではなくて、〈何のため苦悩するのか?〉という問いの叫びにたいする答えが欠けていることこそが問題であった。人間、このもっとも勇敢で苦悩に慣れた動物は、苦悩そのものを否みなどはしない。いな、苦悩の意味、苦悩の目的(Dazu)が示されたとなれば、人間は苦悩を欲し、苦悩を探し求めさえする。これまで人類の頭上に広がっていた呪いは、苦悩の無意味ということであって、苦悩そのものではなかった。――しかるに禁欲主義的理想は人類に一つの意味を供与したのだ! それがこれまで唯一の意味であった。何であれ一つの意味があるということは、何も意味がないよりはましである。禁欲主義的理想は、どの点から見ても、これまで存在したものとしては上等の〈やむをえない代用品〉であった。その理想によって苦悩は解釈された。あの巨大な空所はうめられたように見えた。あらゆる自殺的ニヒリズムにたいし一扉が閉ざされた。が、この解釈は――疑いの余地もなく――新しい音悩をもたらした。それは、より深い、より内面的な、より有毒な、より生を蝕む苦悩であった。その解釈は、あらゆる苦悩を負い目の遠近法の下に引きずりこんだ。 ・・・それが、それにもかかわらず――人間はそれによって救われた。人間は一つの意味をもつにいたった。それ以来人間はもはや風にもてあそばれる一枚の木の葉のごときものではなくなった、もはや無意味の、〈没意味〉の手まりではなくなった。いまや人間は何かを意欲することができるようになった、――何処へむかって、何のために、何をもって意欲したかは、さしあたりどうでもよいことだ。要するに、意志そのものが救われたのである。禁欲主義的理想によって方向を定めてもらったあの全意欲が、そもそも何を表現しているかは、とうてい覆い隠すわけにゆかないところである。つまりは、人間的なものにたいするこの憎悪、それにもまして動物的なものにたいする、さらにはまた物質的なものにたいするこの憎悪、官能にたいする、また理性そのものにたいするこの嫌悪、幸福と美にたいするこの恐怖、あらゆる仮象から、変転から、生成から、死から、願望から、欲望そのものからさえも逃れようとするこの欲望――これらすべては、あえてこれをはっきりと規定するなら、虚無への意志であり、生にたいする嫌厭であり、生のもっとも基本的な諸前提にたいする反逆である。だが、これとてもあくまで一つの意志ではあるのだ! ・・・さて、最初に言ったことを締めくくりにもう一度言うならば、――人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する・・・。(582-584頁)

[32] (吉本)なにより必要だと私が思うのは、まず権力の配置をとらえること、身体そのもののうえに行使されるような、ある権力の配置から出発してそれらの諸要素を理解することだと思うのです。私が求めたものは、いかにして権力の諸関係が、主体の表象に媒介される必要すらなくして、肉体的に、身体の厚みそのもののなかを通過できるのか、それを明らかにすることでした。権力が身体に達するのは、まえもって人びとの意識のなかに権力が内面化されるからではありません。ある、バイオ・パワーの網目、すなわち身体権力の網目が存在するのです。つまり、その網目を通して歴史的、文化的現象としてのセクシュアリテが生まれ、またその網目のなかでわれわれが自己を認識し、しかも自己を見失ってしまうような、そういう身体権力の網目が存在しているのです。(19頁)

[33] フーコー わたしはギリシア人の大問題は、自己の技術ではなく、生活のテクネー、テクネー・トウ・ビウ、つまり生活の仕方であったことを示したいと思っています。たとえば、ソクラテスセネカプリニウスなどを読んでみると、明らかに、彼らは、生命の後には何が来るのか、死後どういうことが起こるか、あるいは神は存在するのかということについては、心配していませんでした。そんなことは彼らにとっては、本当は重大な問題ではなかった。彼らの問題とは、わたしはよく生きなければならない、それとともに、よく生きるためにはわたしはいかなるテクネーを用いるべきか、ということだったのです。だからわたしは、古代文化の大きな変化のうちの一つは、この生活の技術が次第に自己の技術になってきたということだと考えています。紀元前五世紀または四世紀のギリシア市民は、この生活の技術が都市国家を気遣い、自分の仲間たちを気遣うところに成り立つのだと感じていたにちがいありません。ところが、たとえばセネカの場合、主要な問題は自己自身を気遣うことでした。プラトンの『アルキビアデス』を見ればはっきりしていることですが、人は都市を統治する必要があるのだから、自分のことを気遣うべきだとあります。ところが、この自己自身への配慮という愛情は、快楽主義哲学者によって初めて言われるようになって、セネカプリニウスで広まっていきます……。ギリシア人の道徳の中心が、個人の選択の問題、生存の美学の問題に絞られていくのですね。(187頁)

[34] ――今のお話を伺っていると、ニーチェが、「永い間の修練と毎日の労苦」によって人は自らの人生に様式を与えなければならないと言っている『悦ばしき知識』(二九〇)の考察が浮かんできます。

フーコー そうです。わたしの視点はサルトルよりもニーチェのほうに近いのです。(192-193頁)

[35] 「思考」という言葉によって私が考えているのは、まず、その可能なさまざまの形態において真と偽の戯れを創始し、その結果人間存在を認識の主体としてつくり上げるようなもののことであり、次に、規則の受け入れもしくは拒絶を根拠づけ、人間存在を社会的で法的な主体としてつくり上げるようなもののことであり、最後に、自分自身そして他者に対する関係を打ち立て、人間存在を倫理的主体としてつくり上げるもののことである。(283頁)

[36] 要するに、思考とは出来事なのだ。そして最後に、この企図には第三の原理がある。それはすなわち、批判というものを、真理、規則、および自己に対する諸関係が構成される際の歴史的諸条件の分析として解すとき、批判とは、超えることの不可能な境界を定めるものでもなければ、閉じられた体系を描き出すものでもない、というものである。批判は変容可能な諸々の特異性を明らかにするのであり、そしてそうした変容は、思考が思考自身に対してはたらきかけることによってのみ可能となるのである。ここに、思考とは批判的活動である、という原理があると言えるだろう。以上が、「思考諸体系の歴史」というタイトルのもとになされる研究と講義に対して私が与えた意味である。この研究および講義は、常に、二つのものとの関連のもとに行われる。一つは哲学であり、これに対しては、思考が一つの歴史を持つということはどのようにして可能であるのかと問わねばならない。そしてもう一つは歴史であり、これに対しては、思考のさまざまな形式が、その具体的な諸々の側面(表象、制度、実践の体系)のもとにどのようにして産出されるのかと問わねばならない。哲学にとって、思考の歴史の値打ちとはどのようなものであろうか。歴史において、思考や思考に固有の出来事がもたらす効果とはどのようなものであろうか。個人ないし集団における諸経験は、思考の特異な諸形式、すなわち、真なるもの、規則、および自己との関係のもとで主体を構成するものとしての思考の諸形式に、どのようなかたちで従属しているのだろうか。五〇年代初頭におけるニーチェ読解が、現象学マルクス主義という二重の伝統を断ち切りつつ、そうした種類の問いへの接近を可能にしたことが推察されるだろう。(285-286頁)

[37] だからエングルスはマルクスと違って、ヘーゲルの『精神現象学』の全領域をうまく整理づけて、それを個人にわたるものと、共同のものにわたるものとに振分けました。そして歴史を決定する要因としては、個人の意志とか個人の道徳、つまり人格的道徳とかですね、そういうようなものは、全然偶然的な要素で入ってこないから、それは無視してもいいとみなしました。ぼくはマルクスがヘーグルを始末しないで、ヘーゲルの試みた全意志論の体系をそのまま残したことを、大きく問題にしてきたようにおもうのです。

ぼくはそのエングルスの整理づけ、ヘーゲルにたいする始末のしかたにはどこか欠陥があるんじゃないか。そしてその欠陥はどういうふうにすれば克服されて、現在もなお生かすことができるだろうかということをかんがえていきました。その意志論の領域をぼくは個人の幻想の領域、そういう言葉を使っているわけですが、また社会史学あるいは民族学でいう家族、親族の領域、またセックスにわたる領域、そういうものを対なる幻想の領域、それから共同の幻想にわたる領域とに相として分離することが重要な課題じゃないかとかんがえていきました。ぼくはそういうふうに分離することで、マルクスヘーゲルを始末しなかったところを生かすことができるんじゃないかとかんがえて、そういうことの追及をやってきたとおもうんです。

フーコーさんにそこのところでお訊きしたいのですが、マルクス主義を始末したそのあとでどういう問題が残るのかという場合に、ぼくなりの読み方によりますと、フーコーさんはヘーゲルの意志論にわたる領域を、全体の考察、つまり世界認識の方法から全部抜いてしまったとおもえるのです。そして全体の構想のなかから省いたあとはそれを個別的な問題のようにみなして、刑罰の歴史とか狂気の歴史とかの追及に向かわれた。ヘーゲルがたいへん問題にした領域は全部個別的な課題に転化してしまって、全体の構想からヘーゲルのいう意志論は排除したのではないのかなとおもわれました。

それから『言葉と物』を読んで、ぼくの読み方で特徴的だとおもえたことは、ある事物ないし言葉の表現、つまり思想というものから、その背後に意味の核、中心を捜していくという方法をフーコーさんは徹底的に否定したんじゃないか。それを拒否するという態度の問題を提出してきたのではないかなということです。そしてその問題意識はニーチェから由来するのではないかというのがぼくの読み方です。

歴史に原因があり結果があり、人間に意志があれば、意志どおりに実現するかしないかという課題について、ニーチェは、原因があれば結果があるという概念は記号的な概念の水準でしか成り立たないので、歴史そのものは原因もなければ結果もない、原因と結果の連鎖などはないんだという考え方を述べています。歴史にはまったく偶然しか起こってこない、歴史は偶然に起こる出来事の連鎖なんて、何らそこには進歩という概念もなければ法則性というものもかんがえられないという考え方をニーチェは提出しているとおもいます。フーコーさんの考え方はたいへんそれに似てるんじゃないでしょうか。ぼくらが、ヘーゲルの意志論の領域をうまく残すことによって、マルクスの考え方、つまり社会の歴史法則というものにできる限り接近できるんじゃないかとかんがえているところを、フーコーさんは始末し切っているような気がします。あとは偶然に生起する問題、原因も結果も連鎖もなくて起こってくる問題の無限の系列のなかで、ある系列を区分けしていくことによって、歴史はあるひとつの視え方をするんだとフーコーさんはかんがえているようにおもうのです。そこのところをもう少し核心的にズバリと意見を加えて下さったら、ぼくはたいへんありがたく、じぶんの考えに役立ち、参考になるとおもいます。(68-71頁)

[38] (吉本)たぶん諸個人の意志と実行の現われの総が、必ずしも歴史のなかでは、社会の動向をきめていくように表われてこない。あたかも歴史は、いつでも偶然のように、または理念の失敗のように出てくるのはなぜか。歴史が諸個人の意志とは何ら関係のないように出てくるという問題は、マルクス主義よりももっと先まで詰められるべき余地ある問題のようにおもえるのです。そこで諸個人の意志の総和のなかには、ヘーゲル的な言い方をすれば、道徳も実践的な倫理も入ってきます。その問題を全部捨象してただ全体の意志、階級的な意志というところに集約してもっていったところに、哲学の不適応の問題が生じているんじゃないか。権力に坐している諸個人の意志の総和と、全体の権力として出てくる意志とが、まったく別なものとして出てきてしまっているところに問題があるんじゃないか。それは原則として詰めていけば、もう少し詰められるんじゃないか。もう少しぼくの考えで申しますと、歴史の展開は偶然にしか左右されないという考え方には疑間の余地があるようにおもうのです。  

それはどういうことかといいますと、偶然というものが無数に積み重なり組み上げられて必然が出てきているということであるし、また偶然という要素は必ずそのなかに必然という要素が見出されるとしますと、歴史はその偶然に支配されるか、あるいは必然に支配されるかというような問題に対しては偶然の積み重なりがどこかでその必然に転化していくその境界と範囲が確定されるならば、まだまだフーコーさんのおっしゃるように政治を貧困にするものとして始末してしまわなくて、マルクスの思想及び歴史的な予言は生きさ

せることができるんじゃないかとぼくはかんがえます。

ですから、たとえばニーチェが歴史は偶然にしか左右されない、必然もなければ原因と結果の連鎖もない、つまり、因果性もないというようにきめつけている問題はぼくには、そう簡単に受けいれられないところがあります。ニーチェは偶然と必然との関連の詰めがまだ粗雑だった。そこは直感に支配された。あるいはむしろ感性的な問題に支配されていたんじゃないかとおもわれます。そこの問題はもう少し詰めていくということで、まだマルクスの思想は、生きた現実の政治のモデルたり得るとかんがえているのです。そこの偶然と必然の問題ですね。フーコーさんの書かれたものからも、歴史の偶然と必然の関係、つまり偶然の積み重なりが必然に転化していくその境界の問題、あるいはその範囲の問題、領域の問題については、もう少し詰めて語られる必要があるんじゃないかとかんがえるので、そこの点が一つ質問したい点なんです。(88-89頁)

[39]フーコー)しかし、はっきりいって、事態はそれで完全にくつがえったわけではなく、もとのままにとどまったというべきかもしれません。ニーチェ以後、フッサールによる現象学、さまざまな実存主義の哲学者たち、そしてハイデッガーといった人たちは、とりわけハイデッガーは意志の問題を解明せんとしていながら、ついに現象というものを、意志という視点から分析しうる方法を明確に定義するには至っていません。つまり、この意志の問題というものをそれにふさわしく思考することは、西洋の哲学にはついに不可能だったわけです。

そこで、では一体、どんな形で意志の問題が考えられうるのかという点に触れねばなりません。さきほども申しましたとおり、人間のさまざまな行動と意志との関係を語るにあたって西欧は、いままで二つの方法しか持ってはいませんでした。つまり方法においても、概念においても、あの伝統的な自然‐力という形か、それから法‐善悪という形でしか間題が提起されていなかったわけですが、奇妙なことに、意志を思考するにあたって、人はこれまで軍事的な戦略にその方法を借りることはなかったのです。私としては、いわゆる意志の問題を闘争といいますか、あるいはさまざまな抗争関係が展開されてゆく場合の、その葛藤を分析する戦略的視点といった形で提起され得るのではないかと考えています。

たとえば、事態は、すべてが理由もなく生起するというのではなく、事態は、自然の領域にそうした事態が起こっているときの因果律に従ってすべてが生起するわけではなく、人類の歴史的事件や人間の行動を解読可能にするものは、抗争、葛藤の原理としての戦略的視点だと宣言することによって、人は、いままで定義しえずにいたタイプの合理的視点に立ちうるのだと思います。そうした視点に立ちえた場合、活用すべき根本的な概念は、戦略であり、抗争であり、葛藤であり、事件であるということになりましょう。こうした概念を援用しつつ明らかにしうるものは、敵対者同士が相まみえるといった事態が進行しているときの、その敵対関係――一方が勝ち一方が敗れるという勝敗であり、つまりは事件なのです。ところで、西欧哲学なるものを概観した場合、事件という概念も、また戦略的視点をかりた分析の方法も、抗争、葛藤、勝敗といった概念も充分に究明されていないことがおわかりでしょう。したがって、今日の哲学がもたらすべき新たなる知的解読の契機は、こうした戦略的視点による概念や方法の総体なのです。もたらすべき、と申しましたが、それは少なくともそのようにつとめようと試みるべきだというにすぎず、ことによったら失敗するかもしれませんが、しかし試みてみる必要はあるでしょう。

こうした試みは、ニーチェ的な系譜につらなるものだといえるかもしれません。しかし、あの晴れがましくも謎めいた権力の意志という概念にさらに推敲され、理論的に深められた内容を盛る必要があるし、同時にまた、ニーチェの場合よりもいっそう現実に即した内容を盛らねばならないと思います。(82-84頁)