共有地をつくる
2023年4月23日(日)14時34分現在、三島町では町長選挙の投票日となっている。僕はすでに期日前投票を済ませた。三島町の未来に幸あれ。
前回からの続きとなる記事を書いている。
奥会津の廃校の一室に求める機能は、書斎であり、娯楽施設であり、子どもの遊び場である。けれども、この場所にはそのような私的目的だけではない意味をもたせたいとも考えている。
というわけで、本記事のタイトルである「共有地をつくる」となる。
僕は間違っても滅私奉公型の人間ではなく、むしろ、「わたくし」という自我と自尊心が肥大化した存在である。だからこそ、これまでの人生は自分という尺度や価値基準を確立することに腐心していたし、自分の意志を第一の行動規範として過ごしてきた。
ところが、そのような時間ばかりを過ごしていると、だんだんと自分自身に飽きがくる。もちろん、妻子をはじめとする親族や友人、あるいは職場の人間関係があるので、常に「わたし」で世界が完結しているわけではない。しかし、やはり肥大化した「わたし」の存在はよくぞここまで育ったという愛着が湧く一方で、どうにもうっとうしいやつだなこいつは、と思ったりもする。
「わたし」から少し離れることで、かえって自分がもう少し楽になるのではないか、そんな考えがふとよぎる。このように自意識をもてあそぶことは僕の常習的な性癖である。
前置きが長くなったが、上記のような意向でもって、一冊の本を読んだ。平川克美『共有地をつくる:わたしの「実践私有批判」』ミシマ社, 2022年
共有地をつくる~わたしの「実践私有批判」 | ミシマ社の本屋さんショップ (mishimasha-books.shop)
この本は、初めて楽天koboの電子書籍を購入して読んだ本である。読書には紙の本のほうが良いと常々思っていたけれども、本文と注釈をいったりきたりすることや、気になった箇所をマーカーで保存しておくこと、スマホやタブレット、パソコンなどの複数のデバイスで読み回すことに関しては、圧倒的に電子書籍のほうが便利で良い。インターネットですぐに購入できることもありがたい。
ただし、電子書籍の都合上、引用に使うときにページ数を明記できないというデメリットも存在する。論文で参照するときってどうしたら良いのだろうか。
実際に気になった箇所を添付してみる。
上記のような芸当ができることは、電子書籍の大きな利点だ。
さて、既述の引用により、ほとんどこの本に関して紹介したいことは言及したことになる。
そして、「共有地をつくる」として、果たしてそれは何をつくることになるのかを探ってみると、まずは自分が必要とする居場所をつくるということに他ならない。本書の作者が「隣町珈琲」という喫茶店をつくったのは、スタバやドトールといったしゃらくさい「カフェ」では、自分たちがくつろげる気がしないし、そもそもそんな「カフェ」には行きたくなかったからだ。
無ければ、自分でつくれば良い。自分が求めているものや場所を自分でつくる。それはけっこう楽しい体験だろうし、ないものねだりよりは建設的な気がする。
自分の居場所を自分でつくる。シンプルでわかりやすい。率直にいえば、この段階で終わってしまっても良いはずだ。
だが、もしそれ以上のことを求めるのであれば。自分がつくった場所を少し手放してみる。「わたし」を「みんな」に広げてみる。そのことで自分がどのような感慨をもつのかは今のところ未知数だが、興味深い結果が出てきそうだ。
けれども最終的にその場所の責任は自分で取る。自分がはじめたものを自分で終わらせる。平川克美氏の著作はそれなりに読んでいるが、その理由は氏の次のような姿勢に共鳴するからだ。
というようなことを、自分に課していきたい。
毎週文章を書くということは、筋トレみたいなもので、さぼると途端に書けなくなる。
今週はこれでおわり。疲れた。