博物学探訪記

奥会津より

読書会@猪苗代町 渡辺京二『無名の人生』

 2018年8月26日、晴れ。郡山市は気温が32度ほどだが、午前9時ごろからかなり暑く感じる。午前中に庭の家庭菜園の草むしりを行うも、顔や腕を蚊にさされまくり、30分ほどで断念する。農家のおばちゃんが虫除けのために顔を覆う帽子が欲しいと強く感じた。

 

 準備を済ませて、猪苗代町の道の駅に向かう。自宅から車で1時間ほどで到着。現地で渡部さん、長谷部さんと合流し、デニーズに移動後、読書会を行う。課題本は渡辺京二の『無名の人生』(文芸春秋, 2014年)。新書のお勧めを聞かれたときに、家の本棚をあさってみてこの本を推薦した。地方(熊本)で暮らし、歴史書などを著した人がどのような人生を送ってきたのかを知るのに良い本だと思う。

 

 

 課題本が人生論的なこともあり、話題が各自のこれまでの経歴や、好き嫌い、生活や仕事の悩み、人生観などに広がった点がとても良かった。この本を通して、渡部さんと長谷部さんの人生について触れ、また自分がどのような人間であるのかを少しは人に伝えることができたと思う。日頃の生活ではなかなか話さない事柄であり、率直に話すには多少気兼ねする。その点、本をきっかけに互いの人生を語り合うような読書会も、とってもありだと思った。

 

 

 本のカバーには「生きるのがしんどい人びとにエールを送りたい」と書かれている。しかし、長谷部さんは率直に「この本を読んでも、人生が楽になる感じはしない」と感想を語る。うん、ですよね。一瞬、人間はなぜ本を読むのかとか、著者の話で他者を救うことができるのかという深遠な問いを抱きかけたが、その前にそもそもわれわれがしんどく感じていること、感じてきたことは何かについて話し合う。

 

 

 渡辺京二は語る。

 

 われわれは、みな旅人であり、この地球は旅宿です。われわれはみな、地球に一時滞在することを許された旅人であることにおいて、平等なのです。

 娑婆でいかに栄えようと虚しい。すべてが塵となるのですから。金儲けができなくても、名が世間にゆき渡らなくても、わずか数十年の期間だけこの地上に滞在しながら、この世の光を受けたと思えること。それがその人の「気位」だと思う。

 これが結論です。昔の日本人は「この世に滞在する旅人にすぎない」という結論が分かっていたからこそ、死ぬときには、あっさりと、かつ立派に死ねたのです。そう言えば、湯川秀樹さんの自伝のタイトルも『旅人』でしたね。

 自愛心の発達した現代人は、この結論がなかなか理解できません。この世の光といったって、なんのことか分からない。この世の光を浴びるとは、自分を自分としてあらしめている真の世界と響き合うこと。この世界――地理学的な世界ではなく、自分を取り巻くコスモスとしての世界――と交感しながら、人間が生きていることの実質を感じること。これが真の世界と響きあうことでしょう。(172-173頁)

 

 

 御年80歳を越えて人生の酸いも甘いも噛み分けた人が語ることは含蓄があるが、しょせんは30歳ほどのわれわれがそれを実感することは難しい。それでも、なぜ渡辺京二がこのような心境に達したのかと問うことには意味があるかもしれない。

 

 

 渡部京二は1930年に京都で生まれ、その後、満州の大連に移民している。ということは戦後は日本に引き揚げざるをえなくなったということであり、国家や時代による強制的な移動を強いられた経験をもっている。

 

 

 さて、本を買い集めたはいいが、結局はほとんどを大連に置いてくる羽目になりました。引揚げ船に持ち込める荷物は両手でトランクに提げられる分だけ。あとは布団包み一つ。大部分は処分して、大事な本だけトランクに詰めたのだけれど、乗船する際にソ連兵の検閲で全部没収されました。幸い布団包みの中に入れていた本が五、六冊あって、それだけ助かりました。田辺元の『哲学通論』とか、三木清の『歴史哲学』です。引揚げ後、古本屋へ持って行ったらとても高く売れた。その金で受験参考書を買いました。旧制高校に行くつもりでしたから。(31頁)

 

 考えてみれば、戦火に追われて流浪するという生き方は、私という一個の人間の原形をなしています。私が幼少時に経験した幸せな家庭生活など例外的なものであって、流浪することこそが人間本来の在り方だ、と。そういう実感があるのです。(33頁)

 

 

 移動の経験が引き起こすしんどさは現代人にも通じるだろう。ご多分にもれず、われわれもまた親の転勤や、進学、就職や退職をきっかけに環境を変え、新たな環境に適応せざるをえない人生を歩んできた。中学生などの多感な年頃にあっては、そうした経験から、「人付き合いはくだらない」と思うこともしばしばあったのだ。新たな環境で愛想笑いを浮かべながら、吐きそうな心地で自己紹介をすることに悩まされた人も多いのではないか。

 

 

 福島には未だに閉鎖的な土地柄だといわれる場所もある。雪が降らない所から引っ越してくれば、雪に違和感と拒否感を覚えることもある。東北の人が関西や西日本に引っ越せば、そのあまりの饒舌ぶりに驚かされる。それでも、住んだ場所は自分の人生観に影響を与えていたのだと、振り返ってみると気がつくものだ。

 

 

 移動に伴う流浪の経験、これが渡部京二の思想の核の一つである。さらに、彼には二つ目の核として、前近代への歴史認識がある。

 

  日本近代化論は、私が書いた本とは似て非なるものです。前者が、「日本の近代は江戸時代に用意されていたものである」と二つの時代の連続性をいうのに対し、私は不連続性を強調しているからです。明治期に日本を訪れ、西洋に日本を紹介したB 。H ・チェンバレンも、その著『日本事物誌』のなかで「古き日本は滅びた」と言いきっています。私が尊敬する中野三敏さんも、江戸時代は近代とまったく違う世界だからおもしろいのだとおっしゃっていて、私は同感です。

 今を生きる人間にとっては、現代文明は所与のものであり、自明なものです。だけど、それとはまったく異なる文明の在り方があるのだよ、それはそれなりにいい文明なのだよ、ということなのです。

 二つの文明のあいだに決定的な「優劣」があるわけではない。前の文明が後の文明へと「進歩」したわけでもない。現在の社会システムは、 一つの時代性に規定されたシステムであるのに、その中に生きている人間にはその相対性が見えず、それ以外のありようはないように絶対化してしまう。私は江戸時代を賛美するのじゃなくて、それを現代文明を相対化する鏡として用いたいのです。(111頁)

 

 

 現代を相対化するための目をもつこと。そして近現代がもつ問題を、前近代の人々の生活のあり方から逆照射することで、浮かび上がるものが出てくる。彼の主著と目される『逝きし世の面影』を読めば、前近代がもっていたのは貧しさゆえの自立性であり、近代が獲得したのは貧困からの脱出とそれに伴う人々への生命の管理、言い換えれば自立性の喪失であることがわかる。管理社会がもたらす弊害を福島の文脈で見れば、補助金目当ての企画や活動が横行することでもあるだろう。

 

 

 地方は都市と比べて娯楽に乏しい。それゆえ、自ら能動的に時間を潰す手段を見つける必要がある。渡部京二にあっては、花鳥風月を愛でるような時間がすこやかなひと時となるという。

 

 

 しかし、私たちの日々の生を支えているのは、もっとささやかな、生きていることの実質や実感なのかもしれません。

 本当に何げないもの。たとえば、四季折々に咲く花を見てほっとするような小さな感情とでもいったらいいのか。あるいは花を咲かせない樹木であっても美しいし、山が好きな人は山登りをすることに生きがいを感じたりもする。あるいは街角に佇んでいて、ふと斜めに日の光が差し込んできたその一瞬、街の表情が変わってしまうようなこと。空を見上げていたら雲のかたちが何かに似ているなと感じること。この自然、この宇宙は、われわれにいろんな喜びを与えてくれるのですが、案外、人間の一生は、そうした思いもかけない、さりげない喜びによって成り立っているのかもしれません。(73頁)

 

 もちろん、町に行って娯楽におぼれることは楽しいことだ。しかし、地方で暮らす場合は常にそのような時間を過ごすわけにはいかない。畢竟、一人で本を読む時間や音楽を聴く時間、あるいは自然のレジャーなどに費やす時間が長くなる。

 

 

 それでも、われわれは孤立したいわけではない。自立を望みながら、誰かと時間を、場所を、食べ物を、考えを、何かを共有したいのだ(おっと、ファミレスには全てがそろっていそうだ)。一人で本を読んだり、音楽を聴いて、自分の中に貯めたものを、誰かと共有したい。誰かと過ごす居心地の良い場所を作り上げたい。

 

 

 『苦海浄土』の著者で詩人の石牟礼道子さんの文学の根本には、小さな女の子がひとりぼっちで世界に放り出されて泣きじゃくっているような、そういう姿が原形としてあります。一個の存在が世の中に向かって露出していて、保護してくれるものがない、この世の中に自分の生が露出していて誰も守ってくれないところから来る根源的な寂しさ――それがあの人の文学の中核なのです。

 考えてみれば、人間はみな、本来そういう存在です。危険にさらされることも、寂しいことも、それは誰だって望んでいるわけではありません。だから、そこから抜け出そうとして人とつながり、家族をこしらえ、社会的な交わりが生まれ、さらには、自分の生存を保障してくれる制度が生まれてくる。文明とは何かといえば、生がむき出しになった寄る辺ない実存を、東の間、なんとか救い出そうとする仕組み、それを文明と呼んでいるのでしょう。だけど、やはり原点には、寂しさを抱えた自分があるということを自覚しておいたほうがいい。(13頁)

 

 

 しかし、他者に働きかけることはいつでも難しい。自分の考えをまとめることも、考えなきゃいけないこと自体にも自信がない。他者に何かを伝える明晰な論理があるわけでもないし、渡辺京二のように水俣病問題で社会と衝突し葛藤したなどの、伝えられる経験があるわけでもない。

 

 

 他者と同じ時間を過ごすだけで、何かが共有できるわけでもない。仕事場で仲のよい友達がむしろできにくいのは、共有よりもメンタリティなどのずれや意見の食い違いを感じるからであり、主張の内容よりも声の大きさで物事が決まってしまうことの違和感があるからだ。仕事は苦しいものだと思い込む人は、同僚に苦痛をおしつけることをためらわない。遊びの延長に仕事を求めるような心構えは、この時代の若者に特有の傲慢さなのだろうか?世代間のギャップは埋めがたい溝をつくる。言いたいことを言えない環境は、「共有」よりも「強制」に支配されている。そのような世間の中で、地方暮らしの中で、自分の居場所をどのように見つけられるのだろうか。

 

 

 ですから、当面、われわれに必要なのは、まずは自分の身のまわりに目を向けること、この生きづらい社会のなかに自分の居場所を何とか探しだすことでしょう。

「どこにも属せないから、自分たちで独立国家をつくる」と坂口さんは言います。「高度消費社会」と言われようとも、この社会にはまだまだ利用できるエアポケットがあるものです。そういう場を見つけて、友だちと何かの店を開くのもいい、百姓仕事を始めてもいい。とにかく自分たちの力で何かをやってみること。高収入は望めなくとも、自分と家族が生きてゆけるだけの場を見つけられればいい。(87頁)

 

 昭和の終わりと平成の始まりに生まれた30前後のわれわれには、先行世代はあらゆるものが過剰であったり、極端であったように見える。現代人は「接続過剰」なのだと千葉雅也は言う。成長、成長、経済成長。家族、家族、庭付き郊外一戸建て。えとせとら、えとせとら。でも僕らはそれほど過剰に過激にはなれないし、あぁ無常と悟りを開くこともできそうにない。あっちに行ったりこっちに行ったり、一人になったり仲間を求めたり、職場で小さくなりながら、バランスをとって生きているのだ。

 

 

 自分のやりたいことを探しながら、人から影響を受けたり傷ついたりして、強制ではない自立と共有が得られる場所を探したり、作りあげたりしていくのだ。読書会だってその試みだ。僕らは社会や歴史に目を向けながら、その時間と空間の中にバランスをとって居場所を見つけていくのだ。きっとそうなのだ。そのための実践が、今後の課題となっていくのだろう。

 

 

 もちろん、個人の気構えに問題を矮小化しても根本的な解決にならないことは百も承知です。それに、人間の耐性の劣化はなるべくしてなっているわけで、大きくいえば現代文明のはらむ深刻な問題ともいえます。

 それでもなお、私は、それを社会や制度のせいにはしてほしくないと思う。社会がよくなる前に、自分自身が死んでしまうからです。嫌な仕事でも我慢をしなければ飢え死にしてしまうからです。生きたいという強い意欲をもたなければ、厳しい現実のなかでは生きていけないからです。(55頁)

 

 

 

渡辺京二 経歴】

・1980年 京都府出生

・○○年? 大連一中、旧制第五高等学校文科卒業

・アジア太平洋戦争後、熊本に引き揚げ

・法政大学社会学部卒業

・熊本に戻り? 河合塾で働く

・○○年? 水俣病問題に関わる

・2010年 熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授に就任

 

【著作例】

・『熊本県人 日本人国記』 新人物往来社、1973年/言視舎(改訂版) 2012年

・『小さきものの死 渡辺京二評論集』 葦書房(福岡)、1975年

・『北一輝朝日新聞社「朝日評伝選」 1978年、朝日選書、1985年/ちくま学芸文庫、2007年-毎日出版文化賞受賞(第33回)

・『地方という鏡』 葦書房(福岡)、1980年

・『逝きし世の面影』 葦書房(福岡)、1998年/平凡社ライブラリー、2005年-和辻哲郎文化賞受賞

・『江戸という幻景』 弦書房、2004年

・『黒船前夜~ロシア・アイヌ・日本の三国志洋泉社、2010年-大佛次郎賞受賞

・『ドストエフスキイの政治思想』 洋泉社新書、2012年

・『もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙』 弦書房、2013年

・『幻影の明治 名もなき人びとの肖像』 平凡社、2014年3月/平凡社ライブラリー、2018年8月

・『無名の人生』 文春新書、2014年8月

・『死民と日常 私の水俣病闘争』 弦書房、2017年11月

・『原発とジャングル』 晶文社、2018年5月

 

 

 読書会の途中で、猪苗代の十六橋水門に連れていっていただく。江戸と明治、前近代と近代が重なる史跡がここにはある。会津猪苗代湖から郡山の猪苗代湖へ。われわれの足元にはこうした歴史が今なお歴然とそびえ立つ。

 

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