博物学探訪記

福島県郡山市より

読書会書評 あのとき特別だったものの先に

 

「うまくいえないんだけど、すごくかなしいときとか、すごくうれしいときとかに、目の前に世界があって、それって世界の切れっ端なんだけど、そのときその人にとっては、その切れっ端が、においも、色合いも、全部完璧だってことだとわたしは思ったわけ。なんかつまんないなあとか思って暮らしてる人のなかに、一個はその完璧なものが残ってる、とも言えるじゃん。それ、すごいと思ったの。だからわたしも、その本を捜してみたいと思った」(角田光代『さがしもの』新潮社, 2008年, 134-135頁)。

 

 人と本、人と読書をめぐる角田光代の短編集『さがしもの』は、文庫化される以前に単行本として出版されたときには、『この本が、世界に存在することに』というタイトルだった。ある本が世界に存在する。でもその本が本当に世界に存在するためには、誰かによって見つけられ、読まれなければならない。その本が、この世界に存在するためには、誰かがその本をさがし出さなければならない。だからこそ、「本を読むのは、そのような行為のなかで、もっとも特殊に個人的であると、私は思っている」(前掲, 218頁)と角田はいう。

 

 角田光代が子どものとき、最後まで読んでつまらないと投げ出し、けれども高校生になって友達から同じ本を渡される。そして、「別世界へ連れ出してくれるばかりでなく、じつにいろいろ考えさせてくれる本だった。なんてすごい本なんだろう、でもどこかで読んだ気がする」という感想を抱く。過去に読んだ本の意味づけが変わる。その本こそが、サン=テグジュペリの『星の王子様』だった。

 

 『星の王子様』のキツネは語る。

 

「おいらにしてみりゃ、きみはほかのおとこの子10まんにんと、なんのかわりもない。きみがいなきゃダメだってこともない。きみだって、おいらがいなきゃダメだってことも、たぶんない。きみにしてみりゃ、おいらはほかのキツネ10まんびきと、なんのかわりもないから。でも、きみがおいらをなつけたら、おいらたちはおたがい、あいてにいてほしい、っておもうようになる。きみは、おいらにとって、せかいにひとりだけになる。おいらも、きみにとって、せかいで1ぴきだけになる……」(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ, 大久保ゆう訳『あのときの王子くん』青空文庫, 2014年)。

 

 キツネは、不特定多数の匿名者には価値を見出さない。キツネにとって価値があるのは、「なつけて」くれる誰かと互いに「せかいにひとりだけ」の存在になることだ。キツネの語りから、「せかいにひとりだけ」の「自分」に主体性を認めれば、長谷部さんが菅家博昭さんの著書から読み取ったことにつながる。長谷部さんは『イヌワシ保護一千日の記録』を読み、「この本の中では、たびたび『自分』が物事を判断する主体たり得たいという心情が書かれる箇所がある」、「他力本願になることは、自分の目に触れないものを受け入れ、信じることでもあると言えるだろう。著者が恐れたのは、その盲信が招く行動意思の喪失ではなかっただろうか。自らの意思の強度を過信せず、敢えて孤独に戦うことを選ぶのである」と、自分を信じて開発運動に取り組む著者の姿勢を評価する。

 

 知らない誰かにとって、菅家さんの住む昭和村大岐は、ただのさびれた、日本に無数にあるであろう辺境の地の一つといえるのかもしれない。だが、そこで何世代もの系譜の中で土地を、自然を「なつけ」てきた菅家さんの家にとっては決して代わりなどない唯一の場所である。それは安易に他の土地と置き換えて良いものではない。そうした志は万人に理解されるものではないかもしれないが、だからこそ、自らを信じて土地を守ろうとするその姿は、読者に強い印象を残すのではないだろうか。

 

 「せかいにひとりだけ」を他人にあてはめれば、渡部さんが指摘するような、「ある一定の地域を思い描くときに一緒に連想される人」のような「地域の人」が思い浮かぶ。渡部さんにとっては、「喜多方とは祖父母のいる土地であり、喜多方を思い描くときには決まって一緒に祖父母の姿がセットで連想された。私にとって、祖父母は喜多方の地域の人だった」とされる。それは親類縁者がいる土地にとどまらない。移動を繰り返す僕達にあっては、「三島町を思い描くとき、猪苗代町を思い描くとき、それぞれの土地に一緒に連想される人たちがいる」のであり、「彼らは私のそれぞれの土地での経験や思い出と結びついている」。

 

 しかし、このように思い浮かぶ特別な他者は、個人の経験にのみ還元させられるものではないと渡部さんは指摘する。例えば、ベネティクト・アンダーソンの『想像の共同体』によれば、国民共同体にとどまらず、「日々顔つき合わせる原初的な村落より大きいすべての共同体は(そして本当はおそらく、そうした原初的村落ですら)想像されたものである」とされる。このような人々の想像力は、その土地の「自然な」言語のみならず、土地を取り巻く資本主義を骨子とする出版言語などの制度の影響も受ける。個人の経験もまた社会と切り離されたものではないことがわかる。

 

 だが、それはそうした制度・文化的要因によって、人間の土地や自然、他者への関与が完全に規定されることを意味しない。シモーヌ・ヴェイユがいうように、人々の行為は「人為的な国境や言語や習俗や文化をこえて拡がる」不定形で人間的な場においてあらわれるものなのであろう。

 

 これらのことが示唆するのは、人間は「せかいにひとりだけ」の自分、あるいは特別な誰かや土地を基点にして、より広い世界や自然へと目を向ける存在であるということだ。『星の王子様』は、なつけた、特別な誰か・何かがいることを認めたうえで、そこから空を、世界を再び見上げることを促している。

 

「きみは、夜になると、星空をながめる。ぼくんちはちいさすぎるから、どれだかおしえてあげられないんだけど、かえって、そのほうがいいんだ。ぼくの星っていうのは、きみにとっては、あのたくさんのうちのひとつ。だから、どんな星だって、きみは見るのがすきになる……みんなみんな、きみの友だちになる。そうして、ぼくはきみに、おくりものをするんだよ……」(同上)。

 

 特別なだれかや土地の中の「当事者」にとどまっているだけでは、それらの前提となる「世界」をまなざしたことにはならない。それはかえって、特別だったものを貶めてしまう結果となってしまう。小松理虔さんの『新復興論』は、特別なものを失ってしまったからこそ、特別なものの基盤となる世界、すなわち「外部」へと思考を開くことを懸命に語っている。

 

 長谷部さんはこうした小松さんの姿勢を「『今ここ』の意見が進める復興の危うさは、海と堤防の例のように、結果としてその地域の特色や力を奪ってしまうところにある。著者は目の前の現実から飛び出し、広い時間軸と思想で考えるために、観光が持つ可能性を示した。外部との緩やかなつながりや娯楽的な要素が、『今ここ』の理論から飛び出した多様な語られ方ができる福島、あるいは地方を作るはずだ、という。この本の中で著者は二度、いわき市界隈へ読者をガイドする。著者自身の体験や個人的回想をめぐりながら、いわきという地域が持つ歴史とその特色を明らかにしつつ、すべての人が『当事者』たり得るきっかけを提示する」と評価してまとめた。

 

 渡部さんにとっても、小松さんの指摘は身近なものである。渡部さんは、「会津で暮らしていて日常の問題となるのは、小松理虔氏が言うところの『現実のリアリティー』だ。グローバリズムでもナショナリズムでもない、実名を伴う隣人との関係性についての話であり、仕事や娯楽を含めた地域で暮らすことについての話だ。政治や私怨で分断されるものについて、境界を敷かれるものについての話であり、境界をしくことのできない不定形なものについての話でもある」と述べる。

 

 このような「現実のリアリティー」にはまり込むことのないように、小松さんは他者との「相互不干渉的な共存」にたどり着く。長谷部さんは、「相互不干渉的な共存に不可欠なのは、当然ながら『相互』に不干渉な状態である。しかしながらそれは難しい。相手あっての相互的不干渉なのだ。そもそもそれができていれば、こんな共存の可能性を探る必要もない。相互に不干渉であるためには、まずこちらが不干渉であり続けることが、最初のステップとして要求されるだろう。それを実現する突破口として、この本のテーマとも言える観光(外部)の思想が提示されている」と捉えたうえで、「これは大人になることと似ているかもしれない。子どもは自分のコミュニティを選べない。あるいは選択肢が少ない。成長によって、行動範囲や見える世界が広がっていくのを感じながら、自分の居場所を選びとっていく。これは成長することそのもので、自由になるということでもある。観光によって外部とつながることは、地域という制限を超えても、自分の居場所を選ぶことは可能だということを示す一つの答えなのだと思う」と書いた。

 

 確かに、この理屈は大人の理屈だ。そのような理屈を講じる理由も共感できるし、実際に日々の生活を、仕事をする中で、物事をまわしていくためには必要な措置だということはわかる。だが、それでも、本当にそれで良いのだろうかと僕は思ってしまう。例えば、人としてやらなければならないことがあったとして、それが「現実のリアリティー」と相反するとき、僕達は自分にとっての特別なものをはっきりと選ぶことができるだろうか。「大人になること」は自由になるようでいて、不自由になることでもあるのではないか。

 

 この王子くん、しつもんをいちどはじめたら、ぜったいおやめにならない。ぼくは、ネジでいらいらしていたから、いいかげんにへんじをした。

「トゲなんて、なんのやくにも立たないよ、たんに花がいじわるしたいんだろ!」

「えっ!」

 すると、だんまりしてから、その子はうらめしそうにつっかかってきた。

「ウソだ!花はかよわくて、むじゃきなんだ!どうにかして、ほっとしたいだけなんだ!トゲがあるから、あぶないんだぞって、おもいたいだけなんだ……」

 ぼくは、なにもいわなかった。かたわらで、こうかんがえていた。「このネジがてこでもうごかないんなら、いっそ、かなづちでふっとばしてやる。」でも、この王子くんは、またぼくのかんがえをじゃまなさった。

「きみは、ほんとにきみは花が……」

「やめろ!やめてくれ!知るもんか!いいかげんにいっただけだ。ぼくには、ちゃんとやらなきゃいけないことがあるんだよ!」

 その子は、ぼくをぽかんと見た。

「ちゃんとやらなきゃ!?」

 その子はぼくを見つめた。エンジンに手をかけ、指はふるいグリスで黒くよごれて、ぶかっこうなおきものの上にかがんでいる、そんなぼくのことを。

「おとなのひとみたいな、しゃべりかた!」(同上)。

 

 これは近代という時代がもった不自由であるのかもしれない。近代は確かに出生率や寿命の向上、物質的な豊かさをもたらした。だが、それらによって近代人は前近代の人々と比べて、不自由になったのではないか。このように時代を見据えるのが渡辺京二という人である。

 

 『無名の人生』の書評において、長谷部さんは「この本の全体を通して語られるのは、今自分が生きているこの世界と、もう一つ別の次元にある世界を感じることの重要性、それから、各個人にはそれぞれの『職分』があるとする、ある意味での諦念ではないだろうか」と提起した。さらに、「ここで示されるもう一つの世界というのは、神の存在だとか、霊的なものの存在を肯定する言葉ではない。文明や社会の存在よりもずっと根源的な自然の世界である。自然の中で生きてきたはずの人間は、近代化によってその枠から外れ、その存在を無視すぎてしまったこと」であると補足する。

 

 「現実のリアリティー」が所与の事実というよりも、近現代に培われた人間の諸制度がもたらす思考形態であると捉えるならば、目の前にある現実はそこから抜け出せなくなるような現実なのではなく、われわれがそこから抜け出そうとしないような種類の現実なのかもしれない。

 

 そのように考えると、長谷部さんの『無明の人生』を読んでからの読後感は興味深い。

 

  この本は幸せに生きるために役立つか。この本は、僕たちが生きる社会が、物には事欠かない社会ではあるけれども、イコール幸せではなかったと言う気づきを与える。同時に、僕たちが、しかし社会に対する改善の有効打を持ち得ないことを教える。なんと絶望的だろう。

 僕と言う個人は、一つの時代しか生きることはできない。たまたま生きた時代の中で、例えば幸せを感じることができなかったとしても、自分が生きないまた別の時代の中では違っているかもしれない。そんな「かもしれない」というだけの心細い存在であったとしても、自分の受け入れ先があると感じることは、生きることを楽にしてくれると思う。そんな風に、長い時間軸を持って、あるいは時代というものに区分されない自然を感じることができるなら、この本は救いになるのではないだろうか。

 

 そのとおり。われわれはいつだって複数の土地に同時に存在することはできないし、別々の時間を同時に過ごすこともできない。だから、一つの時間、一つの場所は常に特定の時空間なのであり、絶対的に特別なものだ。けれども、われわれは自分にとっての絶対が誰かにとっての相対であり、誰かにとっての絶対が自分にとっての相対であることを知っている。

 

 あるいは、人類史という観点に即せば、自分が体験する悲劇も、喜劇も取るに足らないことであろう。自分の外や、世界を強固に捉えてしまうと、そのような諦観が生まれる。それは自分が不可避的に老いていくことへの境地であるのかもしれない。

 

 だからこそ、長谷部さんは渡辺京二に対して「おそらく著者は、この人間の社会も生態学的な自然のサイクルと同じ視点で語ることができると考えていて、極相がいつかは崩れるのと同じように、今の社会にもほころびが現れることを予感している。その上で、そのほころびを埋めるように生まれてくる社会の一端が、それまでの価値観とはまた違うものとなる可能性に期待しているのではないだろうか」という見解を抱く。

 

 しかしながら、諦念の中にも希望は宿る。2016年4月14日に起きた熊本地震に直面した後で、渡辺京二は次のような文を書く。

 

 だが世の中、私みたいな老骨ばかりではない。熊大近くに住む友人の話では、学生たちはこの地震でかえって活気づいて、笑い声をあげながら彼の家の前を往き来するそうだ。こういう若い人たちが、自分たちの文明がいかにもろい基盤の上に建っているか自覚し、今日の複雑化し重量化した文明を、どうやってもっと災害に強いばかりでなく、人間に親和的な文明に転換するか、考えてみる機会を与えられたのは、ほんとうによいことだ。禍を福に転じるとは、このことをいうのだ。

 私はまた福岡から来た記者から、JRに乗り合わせた客たちがみな重いリュックを背負っているのに、席を譲り合って座ろうとせぬと聞いた。コンビニで買い物すると、店員が話しかけて来るとも聞いた。私自身気づいてみると、街ですれちがう人に、大変だったでしょうと自然に声を掛けていた。私が『逝きし世の面影』で描いたあの人なつこい日本人、人情溢れる日本人が帰って来たのだ。

 自閉していた心が開かれたのではなかろうか。瓦礫の中から、かくありたい未来の人間像が、むっくり立ち上がったようにさえ見える。個として自立していながら、いつでも他者に心が開ける人間。束の間の幻影かも知れない。復興の過程ではかなく消えていく、いっときの和みかも知れない。それでも私たちが、何かきっかけをつかんだのは確かだ(渡辺京二原発とジャングル』晶文社, 2018年, 100-101頁)。

  

 このような災害後の光景は、渡辺が水俣病闘争に人生をかけた後で、つかみとった見地と通じている。渡辺は1990年12月16日に真宗寺で自らの運動の総括を行った。すなわち、「『それじゃお前は何であんなことをやったんだ』という問い、さらに、あんなことをやったということと、今日の自分という在り方がどう繋がっているのかという問いをですね、やはりこれは課せられるわけでして、そこは答えをきちんと出しておかないといかん、しかし誰もやらないということがあります」と(前掲『死民と日常』, 166-167頁)。

 

 だけど一方では「銭はいらん」って。「一銭もいらん」て。「銭貰うための裁判してんじゃない」って言ってんです。それは緒方正人さんもそうおっしゃいましたね。「銭をとったら駄目だ。銭はいらんと思ったから、要するに申請を取り下げた」と。患者認定の中請を取り下げたと緒方正人さんは言われましたね。それが何かってことですよ。

 それが何かってことはね、まっとうな世の中のね、正義ってものを求めたんでしょうねえ。その正義っていうのは何もさ、修身の教科書に出てくるような、背中がピーンとしてせせこましい、そういう正義じゃない。それは人情と言い換えてもいいんだけども。要するに地域社会でですね、地域社会っていろいろあるわけですよ、もうたまらんようなこといっぱいあるわけなんで。だけど地域社会で実現されてる一番いい部分ですね。日本の庶民の道徳ですね、原理ですね、最低限の規範ですね。つまり人と人が何で一つの部落という社会を作って住んでいけるのかっていうことですね。人と人を繋ぐものは何かっていうことですね。それによって自分たちは規定されている。自分たちはそれさえあれば救われる。ところがチッソはどうか。チッソにそれを見せてほしいわけですよ。見せてくれない。同じ人間同士としてですね、同じ人間同士で、自分は当然こうだと思うことがどうして通らないのか。なぜチッソはそのことを認めないのか。どうして世の中がこれを認めないような世の中なのかってことです。

 ですから根本的にはですねえ、やはり人間がお互いの共同性ということでね、お互いの共同性の繋がりで信頼しあって生きていける世界ということでしょうね。共同的な社会は現実にはいろんなもう大変で嫌なことあるわけですよ。あるにしてもね、この人間と人間がお互いそこで信じあって、支えあってですね、そこでちゃ―んとした当然の道理が通る、そういう世の中をですね、求めなはったんですよ。世の中ってのはおかしいけど。そういう生き方を求めなはったわけです、チッソに対して。「どうしてあんたたちはそれができんとかい」って、「ああたたちはどうしてそれが言えんとかな」って、こう言ったんですよ。これを聞きたくてしょうがなかった。ついに聞けなかったわけですけどねえ(同上, 230-231頁)。

  

 ここに渡辺京二(僕との年齢の隔たりのせいか、なぜか彼をこう呼んでしまう)が求める世界観があらわれている。「人と人とをつなぐもの」。星の王子様が「なつける」と言って表現したものを、渡辺は「義理と人情」と言い換える。国家間の戦争に巻き込まれ、水俣病闘争で企業と戦った先に見えたもの。そのように生きてこられたのは、地域共同体のつながりがあったからだと渡辺はいう。

 

 地域社会の具体的な生活にもとづく人々のつながりをまなざすという渡辺京二の姿勢は、菅家博昭さんの思想と重なる。菅家博昭さんがイヌワシ保護活動の先に見据えたものこそが、三島町にある奥会津書房の遠藤由美子さんと共に主催した会津学研究会の発足と、『会津学』の発刊であった。

 

 久島桃代さんが行ったインタビューによれば、遠藤さんには「話者や執筆者の生活の中に今後の会津で生きていくためのヒントが隠されているはずだ、という強い信念がある。そして、人々の生活や生き方を話者の語りを忠実に記録しようとする『会津学』は、次の世代が会津で生活していくための手引書であるとE氏は語る。『会津学』が残そうとしていることの中には、それが何の役に立つものなのか、現状では作り手である自分たちにもはっきりと分からないものもある。しかしそうした「路傍の石」を10冊の『会津学』として積み上げていけば、後にこれを読んだ誰かがその意味を見つけてくれるのではないか、という期待がある」とされる(久島桃代「自地域学『会津学』の活動とその理念」『季刊地理学』62(3),  2010年, 135頁)。

 

 また、菅家さんは「奥会津の山奥にある集落を維持していく仕組みは、先祖から伝えられてきた、日常の家庭や集落での営みのなかにこそあるとK氏は考えている。そこでK氏が採用したのが、地域をより広い視野でとらえながら生活している地域住民の言葉を、出来るだけ多く正確に記録する聞き書きという方法である。K氏の『記憶の森を歩く』は、会津の山間に暮らす人々から、地図には示されないが地域の人々に共有されている地名(呼称)を聞き出す試みである。地名がつけられた場所に込められた人々の記憶を掘り起こし、人びとが集落を維持するための仕組みを暮らしの中から明らかにしようとしている」とされる(同上)。

 

  菅家さんは自身の経験を次のように総括する。

 

 私は一九九〇年代、三十歳になったときに一人子どもができたのですが、生まれた子どもの将来を考えたときに、できるだけ村の森にあるブナとか猛禽類クマタカとかイヌワシとかを残そうと思って十年ぐらい活動したのですが、そのときやった仕事の意味はなんだったかと今考えると、「地域の財産目録を作る」ということだったんだと思います。

 私たちの暮らしている村にはこういう樹がある、こういう草がある、こういう動物がいるということを表現して、だからあまり暴力的な開発はしないでほしいということを表現しました。ところが、財産目録はできたんですが、それだけでは欠けている。いま思うのは、『からむしを育む民具たち』のような仕事をしなくてはいけないんです。

 たとえばブナの樹の物語を集める、ヒロロという草の物語を集める。物語という形をとらないと、小さな子どもたちには理解しがたく、たぶん次の世代に残せないと思うんですね。報告書は物語の基礎になるものだと思うんですが、もっと噛み砕いた物語を、語り回調でまとめて伝えるとうまくそのことが残るんじゃないかなと思うんですね。

 私たちが『会津学』でやっていることは、語り言葉で伝えてきたことを引き受けるということをまず第一にやるんですが、たとえば蓑の話を聞きに行ったとします。はじめの十分位はその話なんですが、後は自分の語りたいことを語るんです。それを大切に受け止めます(会津学研究会『会津学』Vol.5, 奥会津書房, 2009年, 43-44頁)。

  

 このような活動を経て、菅家さんは2018年に『イヌワシ保護一千日の記録』以来、約20年ぶりの単著を著した。その本の「はじめに」は、「なつかしい20世紀と、原発事故を経た21世紀の社会環境はかなり異なるものとなっている。人間が管理できない巨大技術よりも、適正規模で、身の丈にあった暮らしの基本に戻ること、つまり『小さな暮らし』が社会の価値・文化になりつつある」として、時代の変遷を捉えている(菅家博昭『地域資源を活かす 生活工芸双書 苧(からむし)』農山漁村文化協会, 2018年, 1頁)。そして自らの知見を次世代へと残すために、次のような提案を行っている。

 

 生活のために行なう仕事、仕事としてのモノづくりの時代が縮小し、趣味としてのモノづくり、自分のためのモノづくりの時代を迎えていると考えたとき、私は地域のなかでの生活につながる事例調査の提案をしたい。

 私のいう事例調査とは、その土地に自生している植物素材の取得、あるいは田畑・原野・山地で栽培した作物の収穫を経て、一次加工する際に、そこで行なわれた事例を調査することである。それぞれの地域の歴史民俗資料館・博物館などには、加工具(民具)が収蔵されている。その実物を実測作図し、持ち主によって使い込まれた痕を観察し、使用経験者を探し、聞き取り調査を行なう。その際、道具の素材の取得時期、加工の仕方、禁忌、伝承などもできるだけ土地の言葉で聞き取り、記録する。不明な場合はカタカナ表記でよい。

 作業手順についても同様に調査する。これは現在まで日本国内ではほとんど行なわれていない。とくに、産業化する以前の手仕事の時代のことを詳細に聞き取ることが求められる。まだ時間はたっぷりあり、経験者も各地に多く生存している(同上, 2頁)。

  

 菅家さんの思想はどこまでも伝承への真摯さがある。自分が偶然に生まれ育った土地は、先人が人為をもって切り開いていった土地なのであり、それと同時に大地の自然から借り受けたものである。だからこそ、当代の身勝手な人間の開発の論理や、「現実のリアリティー」という言い訳によってこれらの土地を破壊されることには我慢がならない。そして、自分が受け取ったものは次の世代へと託さなければならない。そのために、人と土地の結びつきが希薄となった近現代の世界において、もう一度人間がその土地に住まう意味、その土地と人間が築いてきた過去、自然において生きていくことの意味を掘り起こしているのである。その成果が、菅家博昭『別冊会津学Vol. 1 暮らしと繊維植物』(会津学研究会/奥会津書房, 2018年)にまとめられている。

 

 小松理虔さんにとって、『新復興論』を書いた意味とはいかなることだったのだろうか。渡辺京二と菅家博昭さんに比べればまだ年齢が若い小松さんにとっては、自分の経験を総括するための時間がまだ必要なのだろう。だが、地域において個人が主体的に動くことの意義については次のような確信を抱いている。

 

 私がわかりやすさを文章に求めるのには、もう一つ理由がある。わかる人にしかわからないような文章を書いたところで世の中が変わらないからだ。地方都市というのは得てしてコミュニティに流動性がない。これまで力を持ってきた人たちが、今も未来も変わらず力を持ち続けるというような構造がある。ローカルメディアには、この「変わらなさ」をかき回す役割があると私は感じている。既存のコミュニティからは漏れてしまうようなマイノリティをすくい上げ、新しいコミュニティをつくり、担い手を育てていくべきだ。そのためには、尖ったテーマを、わかりやすい文章で書く必要があると思う(小松理虔「文章術と心構え――誰かではなく『私』が書く」影山裕樹編『ローカルメディアの仕事術――人と地域をつなぐ8つのメソッド』学芸出版社, 2018年, 151頁)。

 

 菅家さんが、子どもが話を理解するためには平易な「物語」が必要であると述べたように、小松さんも「わかりやすい文章」の重要性を指摘する。しかしそのうえで、小題に「『私』が書く」とあるように、誰でもない自分自身が動き回ることによって、結果的に地域の中に循環が生まれることを例証している。だからこそ、他の人々に向けて「徹底して現場に肉薄し、人と人とをつなげ、地域の文化や歴史にアクセスしながら、アクティビストとして発信していって欲しい」(同上, 154-155頁)と提案する。

 

 僕は、小松さんに二度直接対面したことがある。一度目は2017年12月10日にいわき市小名浜にあるさんけい魚店で開かれた「さかなのば」というイベントに参加したときのことだった。以前からブログやWebの記事を読んでおり、その作者に会いに行くことは、人見知りの僕にとっては死ぬほど緊張したし、お酒を何杯も飲まないと話しかけに行けなかったことをよく覚えている。そのときの感想を自分のブログに書いた。

 

 ようやく声をかけることに成功し、お話をさせていただきました。理虔さんはまず自分が動くということを心がけていらっしゃるようで、何もないところに何かを生み出し育む、ということを続けたいとおっしゃっていました。その意味では一つの場所にこだわるのではなく(もちろんご家族の都合もあるので完全に自由になれるわけではない)、新しい場所に飛び込んでいきたい、というお考えであるようです。それは、場を立ち上げた自分がやがて地元の権威になってしまい、せっかく開いた場所が再び閉じてしまうことを懸念されているようでもありました。

 あぁ、世の中はこのような人によって動いているのだと思いました。地域をかきまぜ、場所を、人を外に開かせる。そうしなければ固定化した価値観のもとで地域は衰退にはっきりと向かってしまう。地方を転々として生活してきたわたしにも思い当たることが多々あります。

 動く、というのはとても大事なことです。身体を動かして、自分の視界を別の場所に、別の方角に向ける。見たことがない景色を見る。右に行ったことがなければ、左には行けない。下に行ったことがなければ、上には行けない。

 イベントの途中で店主の方がお話をされました。イベントを開くことによって、これまで来なかった人がお店を訪れるようになった。さかなをおいしいと伝えてくれた、とおっしゃっていました。自分たちの住む場所、言い換えれば足元にだってまだ見たことのない景色が広がっています。普段は見ることがない魚の流通や加工を担う魚屋さんの営み。スーパーマーケットだけがわれわれの生活に関わっているわけではない。さんけい魚店のような魚屋さんがあるからこそ、わたしはお酒を片手に、さかなを箸でつかむことができる。

 魚屋という場所から、わたしたちの日々の営みをもう一度考えてみよう。いま食べているものがどのようにしてわたしたちの口に運ばれるかに思いをはせてみよう。それが自分の生のありかを、地域との関わりを見直すことにつながるはずだ。そんな思想があらわれているイベントだったと思います。

http://hinasaki.hatenablog.com/entry/2018/03/29/143423?_ga=2.114169927.1538336736.1553558485-1100865628.1550105425

 

 二度目は、2018年9月21日に郡山市のSHOKU SHOKU FUKUSHIMAで行われた「『新復興論』出版記念 小松理虔さんといわきの旨い魚と酒を楽しもうナイト」というイベントの場であった。また一人で不安になりながら『新復興論』を片手におそるおそるお店のドアを開けると、本に付箋を貼りまくったせいか、小松さんと以前よりもじっくりお話することができた。このとき僕が抱いた印象は、小松さんが本で書いたことは、ある意味ではそうであってほしいという希望であり、それこそ「現実のリアリティー」とはこんなにも地域で活動する人を脅かしてしまうのか、というものだった。『新復興論』を書くことによって小松さんにもたらされた日々の苦悩が、小松さんを仏教の教えへと導いていた。また、自分の限界と役割を非常に自覚しており、自分は次世代のための捨石になれれば本望だ、という主旨のことを語られた。

 

 あのとき特別だったもの。いや、自分の意志とは関係なく特別にされてしまったもの。大連からの引揚げ、水俣病闘争、博士山リゾート開発反対運動、イヌワシ保護運動、そして東日本大震災。これらの出来事が渡辺京二や菅家博昭、小松理虔を「個人」たらしめた。平穏無事に生きていれば、いつまでも匿名の集合体の中で、健やかに、波風立てることなく暮らしていけたのかもしれない。けれども、僕達はきちんと認識しないだけで、災害が、テロが、貧困が、戦争が起きている「世界」の中で今日も暮らしている。これらの著者達が書いたそれぞれの特別を僕達読者はなぞるように少しずつ読み込んでいき、比較をし、自分の経験に照らし合わせる。そしてコーヒーやお酒を飲みながら、思ったことを語り、自らもまた文章を書いていく。そうして、僕達の中にも特別が生まれる。だから、人は、あのとき特別だったものを経て、その先にあるものを望んでいる。

 

 いわゆる『星の王子様』と呼ばれる作品の青空文庫版の翻訳を行った大久保ゆうは、タイトルを『あのときの王子くん』にしている。その意図は、原題のLe petit princeにおける定冠詞、Leをどのように訳するかにあらわれる。unや aなどの不定冠詞が名詞につく場合は原則的には「そのものが世の中にたくさんあって、そのどれでもいいからひとつを取り出したいとき」である。かといってLeの固有性を重視しすぎると、それはthe Earthのような普遍性を示すだけで、個人の具体的経験を軽んじてしまう。

 

 ゆえに、大久保は「この "petit prince" に定冠詞がつくだけの関係が、操縦士と少年の間にあります。少年が星にいたから、操縦士にとって大事になったわけではありません。6年前、あるひとりの小さな王子が操縦士の前に現れ、その少年と操縦士はしばらく時をともに過ごします。つまり、操縦士は少年のために時間をなくすのです。そして、ふたりは絆を作ります。だからこそ、6年後の操縦士は、その少年に定冠詞を付けることができますし、付けなければなりません」という(前掲, 『あのときの王子くん』)。ありふれたものが特別なものに変わっていくための共有された時間こそが、われわれを不特定多数の誰かから、固有の名前をもった個人の付き合いへと変えていくのである。

 

 語り手にとって、〈星の王子さま〉だから大切なのでなく、6年前のサハラ砂漠に下りたとき、〈あのとき〉に出会って一緒に過ごしたからこそ、少年はかけがえのない存在なのです。そのほかのどのときに出会えたかもしれない王子くんではなく、〈あのとき〉の王子くんが大事なのです。だから童話のように超越した時間を話すのではなく、追憶の話として、個人的な体験の話として語られます。

 そして、語り手から〈あのとき〉が語られると同時に、読み手はそれを追体験し、操縦士と同じようにその少年と関わりを持ちます。本を読む行為によって時間をなくし、そのために少年が大切なものとなることもあるでしょう。そして、王子くんというのは、ほかの誰が読んだときでもなく、自分がこの本を読んだ〈あのとき〉の王子くんとなるはずです(同上)。 

 

 ここに、本を読むことの、だれかと読むことの、そしてそれを書いた作者について考えることの思想があらわれている。そして、その先にあるものとして行ったのが、僕達が書いた書評だと思う。願わくばこの読者の想いが作者に伝わりますように。