大英博物館には知がつまっています。
イギリスを訪れたならば、一度は訪れてみたい博物館が、大英博物館です。
イギリスの美術史において、「大英博物館以前」と「大英博物館以後」と区分されるほどその存在は大きいといえるでしょう。
実際にそれぞれの展示を見ると、イギリスがかつて大英帝国であり、世界を股にかけて博物を蒐集していたことがよくわかります。
ギリシャからローマ、エジプト、インダス、中国、メソポタミア、アメリカ大陸と、いま現在にまでつながるすべての文明の起源が史料として残され、展示されているということは、ある種の奇跡のようにも思えます。
まさに「世界」が目の前に現れるのです。アメリカやフランスをはじめ、世界には多くの著名な博物館・美術館がありますが、これほどのスケールを誇る博物館は、やはり大英博物館の他にはないようにわたしには思えます。
では、その大英博物館はどのように誕生したのでしょうか?
2017年3月現在、正面玄関から入り、右手のお土産処を抜けると、大英博物館の歴史やその設立に寄与した人物たちが展示されています。
その内容は非常に興味深く、イギリスの博物館の歴史という以上に、人類がどのように未知との遭遇を果たし、英知を獲得していったのかを知らしめているようです。
大英博物館のコレクションが一般に公開されたのは、1759年1月15日でした。当時の表現によれば、「学究心と好奇心旺盛な人々」を対象にしていたようです*1。
大英博物館のコレクションの基となったのは、バンズ・スローン卿の蒐集物でした。1660年生まれのスローンは、医師でありながら、古美術蒐集にのめり込み、科学的好奇心も旺盛な人物でした。西インド諸島に滞在後には、自らジャマイカの博物学史を著しています。
1753年にスローンが亡くなったとき、彼の所蔵品は7万9575点に及んでいたとされます。この所蔵品は国王ジョージ二世に献上されることを希望されましたが、最終的にはイギリス議会の所要するところとなり、大英博物館が誕生しました*2。
現在では膨大な人数の手によって支えられている大英博物館のコレクションですが、その成り立ちと拡充には個人の尽力が大きかったといえます。
エルギン卿とギリシャ
わたしが好きなギリシャや地中海の歴史を示す資料は、主にコンスタンティノープルの大使であった、エルギン卿によって蒐集されました。ギリシャ遺跡の荒廃を憂いたエルギン卿は、芸術家と建築家のチームを組織して、遺跡の記録を作成し、彫刻類を収蔵しましたが、後に財政難からイギリス政府に売却され、大英博物館の所蔵品となりました*3
古代ギリシャ・地中海の歴史に関して、わたしは岩明均の『ヒストリエ』という漫画がとても好きです。漫画に描かれていたような史料を実際に目の前にすると、身震いするような感動に包まれます。
「武器を道具に」
大英博物館は過去の収蔵品のみならず、現代美術の作品も蒐集しています。その中でもアフリカの作品については、その造形美だけでなく、政治的テーマについても非常に考えさせられました。
上の写真は、Throne of Weapons という作品で、2001年にCristovao Canhavatoによって作成されました。いくつもの銃が組み合わされて、玉座の形を示しています。
説明によると、これらの銃は1992年に起こったモザンヴィークの内戦で実際に使われていたものであるようです。しかもこの中の一つとしてアフリカで作られたものはありませんでした。
現在のアフリカでは、"Arms into Tools" (武器を道具に)というスローガンのもと、かつて使われた武器を人々の生活用具に変えるアート運動が行われているようです。
上記の「武器の玉座」のように、実は大英博物館のコレクションの歴史は、他国への侵略と略奪の歴史でもあります。イギリスが大英帝国として七つの海を征服した際に奪われた数々の歴史物への評価はたいへん難しいものがあります。
しかしその一方で、エルギン卿の例のように、イギリス人によって保護されなければ、そのまま荒廃し失われていたかもしれない史料の存在もまた否定できません。
多くの矛盾と葛藤を伴いながら、今日でも大英博物館の中には多くの展示品があります。けれどもわたしは思うのです。その過程について慎重な熟慮が必要であったとしても、そこにある歴史物は他に代えようがないほどに、美しく、わたしたちの世界の有り様を反映しているのだと。
2017年3月4日