博物学探訪記

奥会津より

地元の名士になりなさい

 

少し前に、と言ってもどれくらい前だったか思い出せない。たぶん半年から一年前くらいだろう。それくらいの時期に、えらいてんちょう『静止力:地元の名士になりなさい』(KKベストセラーズ、2019年)を読んだ。

 

「えらいてんちょう」こと矢内東紀(やうちはるき)の本は何冊か読んでいる。

 

『しょぼい起業で生きていく』(イースト・プレス、2018年)と『しょぼ婚のススメ 恋人と結婚してはいけません!』(ベストセラーズ、2019年)は確か読んだ気がする。

 

内田樹と対談か何をしていて、ちょっとおもしろい人だな、と感じたことがきっかけだったと思う。

 

やっていることや技術的なことで見れば、今どきの若者、という印象が強いのだが、思考の射程や社会的役割のような観点から見ると、際立って奥行きと幅広さを感じさせる。『彼岸の図書館』の作者である青木真兵と海青子のように、同世代の人物として注目している。

 

以下、印象に残った箇所を抜き書きしていく。

 

多動する若者が増える中、

静止する人の貴重性・重要性が高まる(30頁)

 

「地元の名士ランク表」(49頁)

 

 これ、何が重要かっていうと、集まった市民の数なんかでは当然ありません。公民館で議員と市民が集まる会を開いて、面と向かってリアルな意見交換ができる場をつくったっていう事実なんです。先の牧師の沼田さんの話に出ていた元自衛隊の方のエピソード同様、自分の利益のためではなく、人のために動く・人のための場をつくるというのは、これ、完璧に名士の行動なんですよ。(138頁)

 

【地元の名士ランクS(特級)】

※地域住民から尊敬される状態

・墓守になる(142頁)

 

 ゆくゆくは地元の名士が複数の墓守を務める時代もやってくるでしょう。10戸、20戸の墓を守れる人材に、日本の未来が託されるようになる。財産、文化、思想、土地、全てを背負う「統合された家の跡継ぎ」が、全国各地に誕生するのではないかと思っています。

 

 そして、さらに付け加えると、墓守を複数の地方で兼ねることも可能だと思います。「静止力」と言っておきながら矛盾を感じるかもしれませんが、それぞれの場所で信頼を得ることができれば、複数の拠点を持つことも決して夢ではない。

 私は、そんな人間になりたいんです。豊島区の名士でありながら、ほかの地方の名士も兼ねる。これが、私が考える新時代の地元の名士の姿です。(152-153頁)

 

 自治体も、本当に優秀な若者を呼び込みたいのなら、参入障壁を取っ払って、大胆な餌で釣って応募数を増やすべきなんです。

 試しに「YouTuber10人に10万円ずつ配ります。好きに使ってください!」とかやっちゃえばいい。確実に10人以上が応募してきますよ。それで、実際に集まった10人の動向を、ひとまず制約をつけずにジッと見守る。好きに撮ってもらう。そこでいい人材が見つかれば、好条件で囲い込んで離さない。血税をムダに使わない意識は大事だし分かりますけど、これくらいしなきゃダメですよ。(156頁)

 

つまり、本人の希望と関係なく、天皇陛下天皇陛下であらねばならない。奴隷という言葉が少し強いですが、天皇陛下は人権が制限されているんですよね。昔、上皇陛下が「世襲はツライ」と同級生に愚痴を漏らされたというエピソードがあるけれど、確かに世襲はツライ。でも、ツライけど世襲するわけなんです。それを続けられてきたからこそ、天皇制と天皇陛下にリスペクトが生まれる。我々は天皇陛下でもないし名家の生まれでもないけれど、「求められる役割を果たす」という行動理念は、陛下から倣うべき部分かと感じます。子どもを育てるのなんて難しいし、実際に育てる自分自身が立派な人物かといったら、そうじゃない人の方が多いでしょ? でも、歳を重ねるに連れて、その年齢に応じたムーブ、その立場に応じたムーブをしなくてはいけない。親なら親の役割を演じることが大切なんですよね。内田樹先生は「大人のフリをすることでしか大人になれない」と言っていますが、まさにその通り。すごくいい言葉だと思います。(187-188頁)

 

長く続いているモノに対するリスペクトが大事という話で、それは地元の名士という役割においても同じことが言える。伝統を受け継いでいこうよ、もらったモノはほかに返していこうよ、というちょっとした倫理観の集積を大切にしたい。地域の小さなお祭りや餅つき大会が、地域共同体を支えているのかもしれないし、支えていないのかもしれない。でも、いずれにしても伝統に敬意を払い、継承していく。少なくとも自分の代では終わらせないぞ、と。(189-190頁)

 

そう考えると、若い世代を中心に蔓延している「合理化」とは、すごく安っぽい思考だと思います。たかだか二十数年しか生きていないような若造が、合理化という陳腐な思考で早まった結論を出すなって話なんですよ。でも、結局のところ、次世代が何をカッコイイかと思うかでしか未来は決まらない。我々みたいな立ち位置よりも、ホリエモンの方がカッコ良く見えてしまったら本書の負け。でも、もしも「役割を果たすことがカッコイイ」と感じる人が増えれば、本書を出したかいがあると思います。(190頁)

 

 

自分が普段言語化していないけれども、漠然と考えていることを代弁してもらったという読後感があった。

 

また、「墓守」のことについてもけっこう感心させられた。

 

僕は現在のところ、父方の実家である田村市船引町にあるお墓の清掃やお参りを定期的に行っている。結婚してからは、奥さんの実家のお墓がある三島町西方地区のお墓の清掃も行うようになった。

 

それがそんなに嫌ではない。それなりに手間ではあるのだが、行為としては嫌いではないな、という感じだ。お墓の周囲の草を刈り、墓石の汚れを落としていくことは、なんとなく清々しいし、ものごとを整えていくことは自分の嗜好に合っている。

 

父親が熱心に墓掃除と墓参りをしていたこともあるのかもしれない。あまり家族とうまくいっていない父親だったが、一族という単位では自身の家柄に誇りをもっていた。

 

僕は特に家や血筋に執着がある性格ではない。現代の人間はだいたいそのようなものだろう。けれども、そこにある、現存しているものを整えていくことは割と好きだ。どうせなら続けていきたいと思っている。

 

お墓とか、お寺とか、線香の匂いだとか。そういうものは好きだ。

 

名士になりたいわけではないが、人から信頼される行為をする、そうした振る舞いを身に着けることは、理想とする自己のある部分を反映しているような気がする。

 

 

共有地をつくる

2023年4月23日(日)14時34分現在、三島町では町長選挙の投票日となっている。僕はすでに期日前投票を済ませた。三島町の未来に幸あれ。

 

前回からの続きとなる記事を書いている。

 

hinasaki.hatenablog.com

 

会津の廃校の一室に求める機能は、書斎であり、娯楽施設であり、子どもの遊び場である。けれども、この場所にはそのような私的目的だけではない意味をもたせたいとも考えている。

 

というわけで、本記事のタイトルである「共有地をつくる」となる。

 

僕は間違っても滅私奉公型の人間ではなく、むしろ、「わたくし」という自我と自尊心が肥大化した存在である。だからこそ、これまでの人生は自分という尺度や価値基準を確立することに腐心していたし、自分の意志を第一の行動規範として過ごしてきた。

 

ところが、そのような時間ばかりを過ごしていると、だんだんと自分自身に飽きがくる。もちろん、妻子をはじめとする親族や友人、あるいは職場の人間関係があるので、常に「わたし」で世界が完結しているわけではない。しかし、やはり肥大化した「わたし」の存在はよくぞここまで育ったという愛着が湧く一方で、どうにもうっとうしいやつだなこいつは、と思ったりもする。

 

「わたし」から少し離れることで、かえって自分がもう少し楽になるのではないか、そんな考えがふとよぎる。このように自意識をもてあそぶことは僕の常習的な性癖である。

 

前置きが長くなったが、上記のような意向でもって、一冊の本を読んだ。平川克美『共有地をつくる:わたしの「実践私有批判」』ミシマ社, 2022年

共有地をつくる~わたしの「実践私有批判」 | ミシマ社の本屋さんショップ (mishimasha-books.shop)

 

この本は、初めて楽天kobo電子書籍を購入して読んだ本である。読書には紙の本のほうが良いと常々思っていたけれども、本文と注釈をいったりきたりすることや、気になった箇所をマーカーで保存しておくこと、スマホタブレット、パソコンなどの複数のデバイスで読み回すことに関しては、圧倒的に電子書籍のほうが便利で良い。インターネットですぐに購入できることもありがたい。

 

ただし、電子書籍の都合上、引用に使うときにページ数を明記できないというデメリットも存在する。論文で参照するときってどうしたら良いのだろうか。

 

実際に気になった箇所を添付してみる。

 

タイトルページ

私有するものが何もなくとも、「その日暮らし」で生きていける社会を想像してみる。

この社会を安定的に持続させてゆくためには、社会の片隅にでもいいから、社会的共有資本としての共有地、誰のものでもないが、誰もが立ち入り耕すことのできる共有地があると、わたしたちの生活はずいぶん風通しの良いものになるのではないかと考えているのです。

「多くの重なり合う意志による真剣な努力」

 

そのことが意味しているのは、異なる社会が共存してゆくためには、二者択一の問題を、程度の問題へと変換することのできる場所が必要になるということなのです。

誰も所有権を主張しない、誰のものでもない、そして誰のものでもあるような「場」こそが共有地だということで、自分のものは他人のものでもあるが故に、他者に配慮しなければならないということなのです。

わたしが考えている「共有地」とは、自分の私有しているものを、他者と共有できるような場所のことです。行政によって形成されるような社会的な資本でもないし、村の共同の洗い場のような共同体の共有財産というものとも少し違います。

「リンクを張らせろとかいうしゃらくせぇメールはよこすなバカ野郎! ケチなんかつけねーから、どこへでも黙ってさっさと張れ! そういうメールをよこしやがったら、断るからな。いちいち相手の身元を確認していいの悪いの判断するほど暇じゃねーんだ! そんなけちくさい真似するくらいなら、最初っから無料でこんなもん公開したりしねーぞ! 世間様におめもじさせられねぇと思ったら、その時点で引っ込めるわい」。

 

上記のような芸当ができることは、電子書籍の大きな利点だ。

 

さて、既述の引用により、ほとんどこの本に関して紹介したいことは言及したことになる。

 

そして、「共有地をつくる」として、果たしてそれは何をつくることになるのかを探ってみると、まずは自分が必要とする居場所をつくるということに他ならない。本書の作者が「隣町珈琲」という喫茶店をつくったのは、スタバやドトールといったしゃらくさい「カフェ」では、自分たちがくつろげる気がしないし、そもそもそんな「カフェ」には行きたくなかったからだ。

 

さて、喫茶店が見つからないわたしたちは、無くても必要なものなら自分たちでつくればいいじゃないかと考えました。

無ければ、自分でつくれば良い。自分が求めているものや場所を自分でつくる。それはけっこう楽しい体験だろうし、ないものねだりよりは建設的な気がする。

 

自分の居場所を自分でつくる。シンプルでわかりやすい。率直にいえば、この段階で終わってしまっても良いはずだ。

 

だが、もしそれ以上のことを求めるのであれば。自分がつくった場所を少し手放してみる。「わたし」を「みんな」に広げてみる。そのことで自分がどのような感慨をもつのかは今のところ未知数だが、興味深い結果が出てきそうだ。

 

けれども最終的にその場所の責任は自分で取る。自分がはじめたものを自分で終わらせる。平川克美氏の著作はそれなりに読んでいるが、その理由は氏の次のような姿勢に共鳴するからだ。

 

 

けど俺はさ、コミュニティは自分が作るつもりにならなかったらダメだ、って言っているの。つまりね、どこかで自分を救済してくれると思っているコミュニティはお金と同じなんですよ。お金に代わって、自分を助けてくれる、何かより楽に助けてくれる何かを求めているだけ。大事なことは自立なんですよ。

 

というようなことを、自分に課していきたい。

 

毎週文章を書くということは、筋トレみたいなもので、さぼると途端に書けなくなる。

 

今週はこれでおわり。疲れた。

森の校舎カタクリにて

2023年4月16日、午後2時20分現在。

 

三島町生涯学習センター「森の校舎カタクリ」の二年二組教室でこの文を綴っている。

 

「森の校舎カタクリ」正面

二年二組教室

久しぶりに、仕事や実務の用事を離れて文章を書いている。そうすると、濁流のようにこの時間に至る経緯が思い起こされてゆく。

 

思えば、実にいろいろなことが起きた。自分の人生において予期していなかったライフイベントが発生し、それらの出来事に翻弄されながらここ一、二年を過ごした。集中して文章を書くなんていう気にはとてもならない時間だった。

 

しかし、定期的に文章を書かないということは、どうにも座りが悪い気持ちになる。知らず知らずに負債が増えていくような、自分が課した責務を全うしていないような、そんな気持ちだ。

 

だからこそ、どうにかして自分が何かを書き上げるような時間と空間を用意したいと考えていたし、そういう機会が巡ってこないかとも思案していた。

 

そんなときに、このお知らせ版が届く。

 

 

ほとんど反射的に、この廃校となった校舎の空き教室を借りることにした。自分が暮らす町ながら、ちょっと思い切ったことをしたなと思うし、ほとんど反応はないらしいが、個人的には絶好の機会といったところだ。

 

4月1日から利用する形で教室を借り、少しずつ中を整えながら、自分が作業する空間をつくってきた。貸主からは、もともとあった備品はある程度好きに使っても良いという、実にゆるやかで好ましい言葉をもらっている。

 

平日は仕事があるので、特に使うことはないのだが、週末の休日に少しずつ自分が利用したい形をつくり上げていくことは、思いのほか新鮮で楽しい体験でもある。

 

もともとあった備品を移動し、家具の配置を考え、欲しいものを準備していく。メルカリでパソコンのモニターを購入し、キーボードやマウスは新調する。ノートパソコンやスピーカーは持っていたものを流用する。奥さんに頼んで、ハンドドリップでコーヒーが飲めるくらいの道具を貸してもらう。

 

自分の理想の空間をつくる。破格といってもいいような条件でこんなことができるのは、寂れた過疎地域ならではの特色なのかもしれない。真夏と冬場がどうなるかは今のところ不明だが。

 

まずは掃除から

もとの備品を再配置する

パソコン環境を整える

 

文章を書くための空間を欲したこともさることながら、その他にもいろいろな用途を模索している。

 

一つは、子どもが生まれてからは遠出をすることが難しくなってきたので、近場で自分のための娯楽施設を用意できないものかと考えた。具体的には、定期的に映画館に行くことを断念する代わりに、プロジェクターを買って映画を鑑賞する場を設けたい。

 

二年二組の教室を選んだ理由も、壁紙の色や柄が比較的プロジェクターの映写に適していると思ったからだった。というわけで、予算を考えながらひたすらプロジェクターについて調べ、YOUTUBEの関連動画を見漁った。結果的に予算上の妥協に妥協を重ね、wimius P62を購入した。

 

プロジェクターの投映サイズと輝度を確認

最適と思われる配置にしてみる

 

予想してはいたことだが、昼間に外光が入る場所でプロジェクターを見るためには、おそらく2000ansiルーメンくらいの輝度が必要であり、wimius p62の500ansiルーメン程度では歯が立たなかった。とはいえ、2000ansi出そうと思ったら、10万円を超えるプロジェクターを買わないといけないので、予算的に無理だった。まあ、夜だったらたぶん大丈夫だろうけれども、このプロジェクターは昼でも暗い自宅で使うほうが良いみたいだ。

 

こういうこともある。カタクリで映画鑑賞をするには、別の方法を考えよう。

 

現在時刻は、午後3時44分。プロジェクターに関しては軌道修正が必要だが、パソコンで文章を書くには、良い環境だった。ハンドドリップでコーヒーを淹れるのは、もっと修練が必要らしい。

 

ゆっくりとリラックスできる、楽しい時間だった。今後も、こういうことを徒然と書いていきたい。

 

おわり。

「生」と「世界」の映し方――押井守と映画論――

はじめに

 

 押井守の映画には、2020年度の前期に読んだニーチェの『善悪の彼岸 道徳の系譜』(筑摩書房, 1993年)に連なるような思想があらわれていると思う。個人の主体化とそれに伴う責任の問題や、その問題を取り巻く社会情勢への見方に両者の類似点が垣間見られる。その問題を突き詰めれば、「生」とはどのように描写できるのか、という問いと同時に、「生」を取り巻く世界のあり方をどの角度から映し取るべきか、という問いを引き受けることになるだろう。

 

 『押井守の映画50年50本』(立東舎, 2020年)を読み、さらにそこで紹介された映画を実際に見ていくと、ここ半世紀の間、映画という媒体はこの二つの問いに果敢に挑み、多彩な表現・表象を生み出してきたのだな、という実感が湧いてくる。では、映画において描かれる「生」と「世界」の関係性とはいかなるものか、そして、われわれはいかなる表現・描写からその関係性を想起し、把握できるのかという問いを、押井の映画を見る・語る視点にそって追及してみたい。

 

  1. 映画的リアリティ=世界観

 

2001年宇宙の旅』が宇宙の時間を固定したように、『ブレードランナー』は未来のリアリティを固定した。「未来は雑然としたものなんだ。カオスなんだ」というあの映像。もはやカオス的な表現なしに未来のリアリティを映画で表現できない。エポックメイキングとは、それくらい決定的な発明を指すんだよ(『押井守の映画50年50本』, 16-17頁)。

 

 ここでいうリアリティとは「世界」の表現である。真っ白な宇宙船の中で「美しき青きドナウ」が流れ、ゆったりと歩く乗務員が歩行しながら360度回転して方向転換を行う。あるいは、巨大なビルの壁面に舞妓のCMが流れる摩天楼を舞台に、1台の宇宙船から降り立った男が、雑然とした未来の都市空間の屋台でうどんをすすり出す。あらかじめ宇宙船や未来都市がそのようにあったのではない。そのように描写されて初めて宇宙船がある世界や未来都市がある世界が創造されたのだ。その世界では核戦争が間近に迫る中で人類の超人化が目指され、レプリカントが奴隷労働を強いられる。だからこそ、自分の生存の条件であるHALにボーマン船長が立ち向かう姿や、レプリカントと共に追われる立場となったデッカードの姿を描くことが、「生」を映すことにつながるのである。

 

  1. 快感原則=情動

 

――『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』のどこに惹かれるのでしょうか?

押井 やっぱり快感原則だよね。快感原則にものすごく忠実に作られている。それも映像と音楽の相乗効果による快感原則(同上, 23頁)。

 

 西部のとある駅に一人の男が降り立つ。荒野に軽やかでありながらも、どこか寂し気なハーモニカの音が響く。3人のガンマンが懐の銃に手をそえる。一瞬の銃声がこだまし、ガンマンが倒れる。物語の幕が上がる。

 

 寂しさの正体とは、アメリカを横断する大陸鉄道の敷設によるフロンティアの終焉であり、西部の荒野に生きたガンマン達の存在意義が資本家に取って代わられることだ。あるいは、自分の家族を殺した仇の復讐がついに終わることかもしれない。つまりは、時代の変遷である。それぞれの登場人物に執拗なまでのクローズアップでカメラが迫り、顔に刻まれた一つ一つの皺に各自が辿ってきた人生の年輪があらわれる。静と動の時間が重層的に流れ、最後の一対一の果し合いが物語の結末を告げる。映画の画面に没入し、胸が高ぶること、それが快感原則であり、「生」の歓びである。

 

  1. 映画的時間=主観的な時間=映画的整合性

 

ブレードランナー』と『ブレードランナー2049』に流れる重たい時間というものは、映画じゃないと実現できない、僕が大好きな時間。「だから映画を見ているんだ。だから映画が好きなんだ」と気づく瞬間。映画が醸し出す、独特の映画のなかだけで成立する時間というのかな。これは映画だけに流れる特権的な時間だと思うよ(同上, 119頁)。

 

 『ラストタンゴ・イン・パリ』において安アパートのベッドで戯れるだけの男女、『タクシードライバー』において深夜の都市を虚ろな顔で徘徊する男、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』において苦悩に満ちた異形の生涯を語る男。映画の中の光景と映画を見ている自分の意識の区分があやふやになり、時間が経つのを忘れ、いつのまにか意識を失い、そして目覚める。映画の筋書きも関係なく、ただ画面を眺め続ける時間。このような瞑想にも似た時間が流れるときが、映画にはある。映画の「世界」に入っていくときの「快感原則」、そして映画の中に滞在することの「映画的時間」。前者は映画の中の非日常を描き、後者は日常を描く。この3つの観点が、押井守が映画に向ける視線・まなざしである。

 

押井守の映画が示すもの:日常と非日常の溶解

 

 ところが高校生だった僕たちは、そうはいかなかった。デモが終われば家族の待つ自宅に帰らざるを得ない。家に帰ればおふくろが泣き、親父とは殴り合いになる。家族という小さな社会ではあったが、それでも、現実と戦わざるを得なかった。高校生の学生運動の方が、はるかに実践的な社会との格闘だったのだ。その時から僕は、現実と向き合わない理念はまるで意味がないと、ぼんやり考え続けてきた(押井守『凡人として生きるということ』幻冬舎, 2008年,170頁)。

 

 1960年代後半の学生運動に挫折した押井は、日本で革命は不可能だと判断し、映画監督を目指すようになる。そこで培った思想が上記の引用である。その思想が如実にあらわれているのが『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年)だ。高橋留美子原作の本作では、学園祭前夜の友引高校を舞台に、永遠に繰り返されると思われたどんちゃん騒ぎ=日常が、実のところラムの願望を反映した不変の「世界」の創出であり、その造られた日常を維持するために、世界の歪さに気づいた人物から順に、舞台から排除されていく物語を描いている。いわば現実の日常そのものが常に異物の排除から成り立っていることを示しており、だからこそ最後に、様々なシーンの片隅でひっそりと登場していた幼きラムを模した少女が、主人公のあたるに向かって「責任とってね」と告げるのである。

 

だから、僕は今、あえて「原発推進派になります」と言っている。

それはひとことで言えば「責任をとらなければいけないだろう」という話であり、文化的にも歴史的にもそれが正しい態度だと考えているからだ(押井守『コミュニケーションはいらない』幻冬舎, 2012年, 60頁)。

 

 「責任」とは、ニーチェが貴族と奴隷を区別する上で、非常に重視した資質であった。自らの行為に「責任」を持つことは、過去や未来の自己あるいは他者に対して「約束」することができるということであり、この姿勢が人をして時間性を獲得させるのである。だが、ニーチェや押井が過ごした社会においては、「責任」を引き受ける人間などごく少数であることから、両者は大衆を衆愚または「畜群」として描くことになる。

 

 では、日本社会における「責任」とは何か。幾重もの覆い(忘却・否認・修正・敬遠)が責任の内実と所在を曖昧にする日常において、それを明らかにするためには、非日常を呼寄せなければならなかった。押井は『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年)において、ベイブリッジへの1発のミサイル・テロによって、自衛隊の事件への関与を疑う警察組織が首都圏に非常事態宣言を発令し、東京で内戦が勃発するのではないか、という非日常の世界を描いてみせた。さらに言えば、その非日常すらも日常に溶け込んでいくような、もはや何が日常で何が非日常かを区分することができない「例外状態」がモニターに映し出された。この映画に対する飛鳥川強の描写が優れている。

 

 環状八号線や東京駅や渋谷駅前、新宿の大ガードの下に戦車が配置されるいかにもなカットの一方で、渋滞にはまっている戦車、犬や猫と戦車が同居する空間、戦車の前での記念撮影などの日常的な描写がたんたんと積み重ねられていく。やがて夜になり、人影の消えた街角に雪が降り始める。雪景色の中、国会議事堂を遠景に戦車が静止している(小野寺徹ほか編『押井守論』日本テレビ放送網株式会社, 2004年, 273頁)。

   

 つまり、押井守にとって「生」とは、日常に立脚する「世界」の暴力や歪みの構造を描くことではじめてその存在を浮かび上がらせるものなのである。反対に、日常において人間は、自らの主体などではなく、何らの責任も感じない、空虚な存在である。

 

 電車に乗っていても、周りの人間が空っぽに見える。僕もはた目からはそう見えるだろう。表情もないし、ぼんやり何か考えてるのかもしれないけど、特定の個人がそこにいるわけじゃなくて、反応するというレベルで人間がいるだけ(同上, 028頁)。

 

 押井守が自身の作品で描く人間は、キャラクター名を冠する人物を除くと、基本的に虚ろで表情がなく、まるで背景の一部のような存在感の無さを示す。だが、その元になっているのはわれわれが現実世界で実際に日々あきるほど見慣れた人間の虚無である。人間は身体を外在化し続けることで必然的に「人形」になるのだと押井は言い切る。

 

 ここにはニーチェと押井の相違点もあらわれている。ニーチェは空虚な人形(奴隷)としての人間から何とかして「超人」を目指すべきだという理念を唱えたが、押井にとっては人間が人形となるのは必然である。では、人形としての人間が示す「生」とは何か。それを描いたのが『イノセンス』(2004年)であった。ほぼ全身をサイボーグ化している主人公のバトーには、公安としての職務と愛犬、そしてある女の記憶が生活の全てである。そんな彼が何を望むのか。

 

 決まってるんだけど、残る思いというものはきっとあるはずだと思うんです。自分の運命を甘受するにせよ、そこに残る思いはきっとあるはずだと。それがある種の女性に対する思いだとか、自分と暮らしている犬に対する思いだとか、失われた自分の身体に対する思いだとか。(中略)思いを残すってことが生きることの内実なのかなあと(同上, 035頁)。

 

 押井が描く「生」とは、責任者なき日常において日々人間性を失い、人形に近づきつつある人間が残すもの、それこそが「記憶」であり、「ゴースト」と呼ばれるものの正体であった。このような押井の志向は、自身が見出した映画的世界を構成する3つの要素、「リアリティ(世界観)」・「快感原則(情動)」・「映画的時間(主観的時間)」のうちの「リアリティ」と「映画的時間」に重きを置いているといえるだろう。だが、この比重の偏りは、押井が「アニメーション監督」であるよりも「映画監督」であることを示唆している。果たして、押井守の作品はアニメーションである必要があるのだろうか。逆に言えば、アニメーション的世界における「生」の描写は、映画的世界とは別の道を辿るのではないか。

 

アニメーション的世界における「生」

 

 アニメ評論家の氷川竜介は、細田守の作品を論じながら、アニメーションの原義について、次のように論じる。

 

なぜならば、アニメーション(animation)の語源になっているのはラテン語のアニマ(anima)であり、その意味は「生命、心」だからです。つまり動く映像を通じて「《いのち》の有無」を伝えようとしているのか、形式的に動かしているに過ぎないのか、人はチェックしながらアニメーションを鑑賞しているわけです(氷川竜介『細田守の世界:希望と奇跡を生むアニメーション』祥伝社, 2015年, 27-28頁)。

 

 静止画を積み重ねることで「動き」を生み出し、動画として見せる。それがアニメーションの仕組みである。ならば、アニメーションが映す「生」の基盤は「動き, move, motio」となる。そこから派生してmovieが生まれたことを鑑みれば、映画とアニメーションの共通項は「動き」であるといえるだろう。この「動き」から「生」の躍動を描き続けてきたのが宮崎駿である。このことは押井守自身も指摘している。押井の常に冷徹な認識による映画の解体・再構成といった手法の作品制作では至ることができない「動き」の境地に宮崎駿は達している。そもそもアニメーションの「動き」を解体してしまえば静止画に戻るだけである。

 

 鈴木敏夫によれば、高畑勲宮崎駿の特性を「彼の人物の持つおそるべき現実感は、対象の冷静な観察によって生まれるのではない。たとえ彼の鋭い観察結果が織り込まれるとしても、彼がその人物に乗り移り、融即合体する際の高揚したエロスの火花によって理想が血肉化されるのだ」と語ったとされる(鈴木敏夫『仕事道楽:スタジオジブリの現場』岩波書店 2008年, 72頁)。『未来少年コナン』を見れば、滅亡した世界に生きる少年の「動き」が生命の豊かさを溢れんばかりに発揮していることがわかる。その「生」は世界の荒廃に引きずられず、むしろ「生」の豊かさが世界を豊かに変えていくかのようである。これこそが「快感原則」が示す「生」の情動ではなかったか。

 

 押井守は「世界」を通して「生」を映し、宮崎駿は「生」を通して「世界」を映す。そしてニーチェは、前者の視点を『善悪の彼岸 道徳の系譜』で描き、後者の視点を『ツァラトゥストラはこう言った』で描いている。「世界」を解体していった先に見出される「生」を描くか、「生」の躍動が「世界」に投影される様子を描くか、甘美な問いでありながら、回答者の嗜好や人生があからさまに映し出される問いでもある。

 

ニーチェにおける閉ざされた感応 ――〈ディオニュソス〉の翳りと〈権力への意志〉への没落――

 1887年に刊行された『道徳の系譜』は、副題および巻頭言にあるように、「一つの論駁書」であり、「最近公刊された『善悪の彼岸』の補遺および解説」として世に出た。ゆえに、ニーチェが表現手段としてこだわったアフォリズムの形式が影を潜め、学術論文のような文章が書き連ねられている。訳者の信太正三が解説するように、『ツァラトゥストラはこう言った』への誤解に対して『善悪の彼岸』を執筆し、さらにその『善悪の彼岸』への誤解に対して本書を執筆するなど、当時のニーチェは自身の思想が社会に理解されず、その対応に追われる混迷の中にあった。その結果、ニーチェが思想家として打ち出した初期の思想は変質していき、『道徳の系譜』は「彼の生涯と思想の道程の分水嶺ともいうべき象徴的意味をになっている」のである(624-625頁)。

 

 ニーチェ思想の分水嶺である本書の意義を捉えるためには、ニーチェがそれまでに展開してきた思考や概念を把握する必要がある。ゆえに以下では、ニーチェの総特集が組まれた『現代思想』第4巻12号(青土社, 1976年)の各論考をもとに、ニーチェを読む際に注意しなくてはならない彼の経歴や思想、概念について述べる。

 

 ニーチェ実証主義的古典文献学者としてのキャリアに見切りをつけ、思想家としての独自性を発揮したのは1889年に『音楽の精神からの悲劇の誕生』を出版した際であった。この『悲劇の誕生』では、芸術を芸術たらしめている概念として「ディオニュソス的」と「アポロ的」という概念が提起されている。「ディオニュソス」とは激情と陶酔の神であり、生の根源に潜む懊悩する意志そのものである。反対に、「アポロ」は静観と夢想の神であり、根源的意志が現象的に分化する中で夢見た華やかな表象の神である(三島憲一ニーチェ著作解説」304頁)。この両者の調和による悲劇を描いたギリシャ人こそが芸術を創造したのであり、ニーチェの世界観においては自身が文献学者として慣れ親しんだ古代ギリシャ世界こそが基底をなしている。

 

ディオニュソス的〟という言葉で表現されているのは、一者性への衝動であり、個人、日常、実在を越え、消滅の深淵を越えて包越するはたらきである。つまり、それは、より暗い、より豊満な、より浮動的な諸状態へと激情的に、かつ苦悩しつつ溢れ出るはたらきであり、あらゆる変転のうちにありながらも、等しいもの、等しく力あるもの、等しく至福なるものとしての生の全体的性格にたいし、狂喜しつつ肯定を発語するはたらきである。それは、生のもっとも恐ろしい、もっとも問題とすべき諸特性をも是認し、神聖視する大なる汎神論的な共歓と共苦である(『力への意志』)。

 

 ディオニュソス的世界観が提示しているのは、主客の対立といった二元論を越えて、一者 性、すなわち一元論的な「生」の根源・全体性の視点から世界と人間の和解・回復・調和を展望した思想である(山崎庸佑「ニーチェ現象学」86頁)。主客二元を基調とした近代哲学において、人間と世界、人間と自然の一元的把握による全体的「生」を希求したことが、ニーチェの最も偉大な点であるだろう。

 

 この一元論の追求はニーチェの著作の随所に看取できる。山崎庸佑によれば、ツアラトゥストラ=ニーチェのいう「身体」や「自己」は、「力への意志」と呼ばれる根源の生のことであり、「大地」や「生」とほぼ同義であるとされる(同上, 87頁)。また、足立和浩によれば、ニーチェにとって「自己」とは「仮面」のことであり、自己解釈のたびに新たな仮面が想定され、それが永遠回帰として繰り返されると、やがて自己と仮面は区別ができなくなり、無名性の主体、あるいは言語(エクリチュール)のみが生ずるとされる(足立和浩永遠回帰としての『ニーチェ』:来るべき『後語』のためのプロペドイティーク」)。ニーチェの用語法は上記の概念を考慮して検討しなければならない。ニーチェは個別なものが個別でありながらなお、自然や世界、根源的かつ全体的な生へと「開かれていく」ことを夢想していたのである。

 

 さて、以上のニーチェの思想や概念を踏まえた上で、『道徳の系譜』を検討してみると、ニーチェの思想的変遷が明らかになると思われる。まずは、『道徳の系譜』がいかなる論述を提示しているのかを確認したい。以下は筆者による本書の要約である。

 

1. 人間主体は、思考/〈活動〉によって形成される。

2.〈活動〉に〈作用〉するのは〈権力への意志〉である 

3.〈意志〉における〈約束〉によって、人間は時間性を手に入れ、偶然的から必然的な存在となる。

4.〈約束〉できる意志をもつ人間とは哲学者・貴族であり、彼らは自発的で責任の自覚をもち、自己には畏敬を、同格者には尊敬を、奴隷へは感情の放埓を向ける特徴をもつ。これこそが〈良心〉である。

5.〈約束〉ができない人間とは奴隷であり、彼らは外発的なため命令者を必要とする。

6. 生の本質とは他者への侵害・抑圧・搾取および〈苦悩〉を与える悦楽である。

7. 良心の疚しさが、意識の内面化および非利己的価値の創造、他者への暴力的働きかけをもたらした。

8. 良心の疚しさの起源は、①人間が所詮は社会と平和との制縛にからめこまれているのを悟ったとき、②種族は徹頭徹尾ただ祖先の犠牲と功業とのおかげで存立するという確信、負債の意識をもったときである。

9. キリスト教の普及は人間を「崇高な奇形児」としてきたが、それは〈隣人愛〉の処方による。

10. 近代世界では〈意志の自由〉を欠いた畜群的人間の大発生により、専制的支配の準備がなされる。

11. 人間の〈権力への意志〉とは、禁欲主義的理想による〈没意味〉からの離脱である。

(引用元は次を参照

hinasaki.hatenablog.com

 

 

 これらの理路において、基底となるのは〈権力への意志〉であり、生の全体的根源が「ディオニュソス的」なものから変容したことがわかる。その結果、ニーチェの思想は「人間と世界、自然との調和」から「力による支配」の肯定へと切り替わった。

 

真実に約束することのできるこの自由となった人間、この自由なる意志の支配者、この主権者、――この者が、かかる存在たることによって自分が、約束もできず自己自身を保証することもできないすべての者に比して、いかに優越しているかを、いかに多大の信頼・多大の恐怖・多大の畏敬を自分が呼びおこすか――彼はこれら三つのものすべての対象となるに〈値する〉――を、知らないでいるはずがあろうか? 同時にこの自己にたいする支配とともに、いかにまた環境にたいする支配も、自然および一切の意志短小にして信頼しがたい被造物どもにたいする支配も、必然的にわが手にゆだねられているかを、知らないでいるはずがあろうか?(426頁, 下線筆者)

 

 現実の進歩はつねにより大なる権力への意志と進行という形であらわれ、そしてつねにおびただしい数の弱小な権力を犠牲にすることによって遂行されるということである。それどころか、ある〈進歩〉の大きさは、そのために犠牲にされねばならなかったものすべての量のいかんによって測定される。(453-454頁)

 

 この理路には二つの大きな瑕疵がある。一つは、根源的生とは、芸術のごとく、世界や自然との感応によって呼び起こされるものであったが、〈権力への意志〉は明らかに思考によって形成されたものである。つまり、ニーチェがあれほど軽蔑した理性によって構想された〈権力への意志〉としての「生」とは、果たして全体的かつ根源的な生であるといえるだろうか。二つ目は、仮に〈権力への意志〉を生の根源として措定するならば、その意志がふるった自然や世界への侵害・抑圧・搾取もまた肯定されるはずであり、つまるところニーチェが批判する近代世界の在り方が肯定されるということである。結果として、貴族や哲学者が二元論的に世界を把握し、支配し、形骸化することに対して、ニーチェは批判の術を失うのである。

 

 この思想的変遷がもたらすものを、ニーチェ自身が予期していた可能性がある。というのも、ツァラトゥストラが10年こもった山から人里に下りていくとき、「わたしも、あなたのように没落しなくてはならない」(傍点筆者)と太陽に向かって呼びかけるからである。

 

 さらに、この〈権力への意志〉がもたらす没落こそが、〈永劫回帰〉と〈超人〉への呼び水でもある。「力が慈しみとかわり、可視の世界に降りてくるとき、そのような下降をわたしは美と呼ぶ」。ツァラトゥストラはこう言った

 

 

筆者レジュメへのコメントと応答

 

コメント:

「明らかに思考によって形成された」で引っかかりました。権力への意志は理性的活動の産物といえる根拠はありますか?もちろん、長年の思索の末に結晶したものではあると思うのですが、もっと直観的な、もしくはニーチェ自身の欲望や願望の具現という点で情念的な気もするんですよね。権力への意志は理性によって構成されたという割には理詰っておらず『道徳の系譜』の中でも強引な適用が目立つため、本当にそうなのかと疑問です。それが、畜群に対して反復的になされる攻撃的な記述、もしくは価値判断の基準や内実を最後まで理論化できなかったことにつながっているのかもしれません。

 

前ページの要約で触れられているように、確かに人間主体は思考/〈活動〉によって形成され、かつまた〈活動〉に〈作用〉するのは〈権力への意志〉だと思います。けれど、人間主体は超えでて超人たろうとしたニーチェはそれこそ世界や自然との感応を通じて<権力の意志>を獲得/直観したのではないかというのは解釈的すぎるかもしれませんが、可能性としてはあるのかなと。

 

コメントへの応答:

「最後に次のような問題がある。すなわち、われわれは意志をば真に作用するものとして認めるか、われわれは意志の因果関係を信ずるか、という問題である。もしわれわれがこれを肯定するとすれば――根本のところ、意志の作用力を信ずることは、われわれが因果関係そのものを信ずることだが――、そうならわれわれは意志の因果関係をば唯一の因果関係として仮定することを試みなければならない。もちろん〈意志〉は、〈意志〉にたいしてだけ作用しうるのであって――〈物質〉(Stoff)にたいしてではない(たとえば、〈神経〉にたいして作用することはできない――)。要するに、われわれは思いきって次のような仮説を立ててみなければならない。すなわち、〈作用〉が認められるところではどこでも意志が意志に作用しているのではないか――そしてあらゆる機械的な事象は、そのなかにある力がはたらいているかぎり、それはまさに意志の力、意志の作用ではないか、という仮説である。――かくて結局においてわれわれの衝動的生の全体を、意志の唯一の根本形態――すなわち私の命題にしたがえば、権力への意志――の発展的な形成および分岐として説明することができたなら、また、すべての有機的機能をこの権力への意志に還元して、そのうちに生殖や栄養の問題の解決――これは一つの間題だが――をも見いだすことができたならば、それによってわれわれはあらゆる作用する力を一義的に権力への意志として規定する権利を手に入れたことになろう。内部から観られた世界、この〈叡知的性格〉にしたがって規定された特色づけられた世界、―― これこそはまさに〈権力への意志〉なのであって、そのほかの何ものでもないだろう」(75-76頁)

 

 この文からわかるとおり、〈権力への意志〉という概念は、「衝動的生の全体」の作用概念として「仮説」されたものです。この「仮説」づける作業をコメントさんが言うようにニーチェの「直観」として解釈することも可能ですが、その場合においても、直観として得た「権力への意志」という概念を「生の全体」と関連付けることは、論理的思考であり、因果で説明するものです。しかし、その論理性に潜む理性そのものを疑ったのがニーチェの思想ですので、ここではニーチェ自身の論理性に潜む「理性」(論理付け)を問題にしなくてはなりません。なぜ、「生の全体」の根源的作用因を「権力への意志」として仮説できるのか、それが直観においてであるのならば、その直感が自然や世界との調和において発露されたものであるとどうして言えるのかが説明されていません。ニーチェがもし「人間と世界、自然との調和による支配」を字義通りに「調和」的かつ直観的に発想したのであれば、コメントさんや私が指摘するような理論的欠陥も本来問題とはならないですし、それが調和的に感応されるのではないでしょうか。

 

コメント:

「〜措定するならば…肯定されるはず…」の両者のつながりがわからなかったです。措定することと肯定されるということの関係性については説明が欲しい(口頭でされるかもですが)かなと思いました。


確かに自然支配は権力の意志の発現で、人間ひいては万物の根源的な衝動だとは思うのですが、ニーチェはそれが畜群道徳という形式で行使されていることを問題化しているのであって(したがって、そうした道徳がもたらす自然支配は否定される)、426pの引用にあるような主権者による自然支配のみを肯定しているのではないか、筆者さんの論じられた意味での措定と肯定はそんなに必然的な関係にないのではないかと思いました。


してみると、人間の位階のように、権力の意志のうちにもニーチェなりの序列や価値判断があると思ったのですが、どう考えられますか?

 

コメントへの応答:

 生の根源的作用としての「権力の意志」によってなされたことの全てが自然や世界の結果なのであり、そこに人為がいかに関わろうが、その人為もまた自然状態(権力の意志)の結果であるといえるのではないか、と私は解釈します。つまり「畜群道徳」だろうが「貴族道徳」だろうが、「権力の意志」のあらわれであるので、その一方を批判することは理性あるいは道徳的判断基準を設定しなければできないはずではないでしょうか。しかし、ニーチェはそれを「畜群道徳」として価値判断するという理性ないし道徳的基準を定めています。さらにそれをキリスト教の歴史として例証しようとしています。形式批判を行うということは、その形式を含んでいるはずの生の全体の部分的に切り貼りするということにつながるのではないでしょうか。

 

「人間の位階のように、権力の意志のうちにもニーチェなりの序列や価値判断があると思ったのですが、どう考えられますか?」


 この『道徳の系譜』を読むと、そのように読めてしまうことが、ニーチェの思想においては問題であると思いました。つまり、位階があるとすればその理由を提示しなくてはなりません。とすると、ある作用のさらに作用因が、というように無限後退していきます。そのように概念を細分化していくことは、全体的かつ根源的生という一元論的発想と矛盾します。ですので、あらゆる作用の元となる「権力の意志」を仮に位階分けした場合、その時点で細分化された権力という発想を可能にしてしまうと私は思います。これは「生成」の論理ではなく、還元論です。


 私とコメントさんのニーチェを読むことの相違点は、おそらく直観や理性のはたらきをどのレベルに置くかという点にあると思います。私は位階分けや関連付けが根拠をあげて説明される場合は、それを理性のはたらきとして解釈しますが、コメントさんは直観によって上記の発想が生まれる可能性を想定しているような気がします。なので、私が一元論者としてのニーチェ像を強く押し出すのに対して、コメントさんはニーチェの概念の区分け(それによって理論が破綻してもいるわけですが)を重視し、「超人」と「個人」への流れを強調されるのではないでしょうか。

 

群知堂読書会 課題本 フリードリッヒ・ニーチェ, 信太正三訳『善悪の彼岸 道徳の系譜(ニーチェ全集11)』筑摩書房, 1993年

テーマ:禁欲主義的理想による〈没意味〉からの離脱

 

  1. 人間の主体形成とその起源:〈良心の疚しさ〉

  • 人間主体は、思考[1]/〈活動〉[2]によって形成される[3]
  • 〈活動〉に〈作用〉[4]するのは〈権力への意志〉である 
  • 〈意志〉における〈約束〉[5]によって、人間は時間性を手に入れ、偶然的から必然的な存在となる。
  • 〈約束〉できる意志をもつ人間とは哲学者[6][7][8]・貴族[9]であり、彼らは自発的で責任の自覚をもち[10]、自己には畏敬を[11]、同格者には尊敬を[12]、奴隷へは感情の放埓[13]を向ける特徴をもつ。これこそが〈良心〉[14]である。
  • 〈約束〉ができない人間とは奴隷であり、彼らは外発的[15]なため命令者を必要とする
  • 生の本質[16]とは他者への侵害・抑圧・搾取および〈苦悩〉を与える悦楽[17]である。
  • 良心の疚しさが、意識の内面化[18]および非利己的価値の創造[19]、他者への暴力的働きかけ[20]をもたらした。
  • 良心の疚しさの起源は、①人間が所詮は社会と平和との制縛にからめこまれているのを悟ったとき[21]、②種族は徹頭徹尾ただ祖先の犠牲と功業とのおかげで存立するという確信、負債の意識をもったとき[22][23]、である。
  1. キリスト教の普及は人間を「崇高な奇形児」としてきたが[24]、それは〈隣人愛〉の処方による[25]

 

  1. 近代世界への所見

  • 〈意志の自由〉を欠いた畜群的人間の大発生[26]により、専制的支配の準備[27]がなされる。

Cf. 〈近代的理念〉[28]の影響を受けないユダヤ人の特質[29]

  • 汚染された哲学者[30]
  • 人間の〈権力への意志〉とは、禁欲主義的理想による〈没意味〉からの離脱である[31]

 

  1. フーコーニーチェミシェル・フーコー, 小林康夫石田英敬松浦寿輝訳『フーコー・コレクション5 性・真理』筑摩書房, 2006年を参照

ニーチェは歴史の偶然性と〈意志〉の作用については矛盾した見解を提起しており、その両義性をどのように架橋するかが課題となる。この課題に対して、フーコーは意志と作用の関係を切り捨て、外在化された権力が主体をつきうごかすと考えることにより、〈権力の網目〉という視点を獲得した。だがそれは「個々人の意志」を具体的に思考することを困難にした。ここには個人と主体、個と普遍をめぐる古い難問が横たわっている。

 

[1] 論理学者らの迷信に関しては、私は俗まずに、これら迷信家諸士の承認したがらない一つのちょっとした簡単な事実を繰りかえし力説したい。――それはすなわち、思想というものは、〈それ〉が欲するときにやって来るもので、〈われ〉が欲するときに来るのではない、したがって主語〈だれ〉が述語〈思う〉の条件であると主張するのは事実の歪曲である、ということだ。要するに、(それが)思う――(es dankt)――、だがしかしこの〈それ〉(es)をば、ただちにあの古くして有名な〈われ〉だとみなすのは、控え目に言っても、一つの仮定、一つの主張にすぎないもので、ましてや〈直接的確実性〉などでは決してない。つきつめたところ、この〈それが思う〉というものさえすでに言いすぎである。この〈それ〉がというのがすでに、思考過程の解釈を含んでおり、この過程そのものに属するものではない。ここでひとは文法上の刊慣に従って、「思考とは一つの活動であり、すべての活動には活動している主体がある、されば――」という式に推論しているのである。(40-41頁)

[2] ある量の力とは、まさにそれと同量の衝動、意志、作用のことである、――いなむしろ、じつにこの衝動のはたらき、意欲するはたらき、作用するはたらきそのものにはかならない。それがそうでなく見えるのは、すべての作用を作用者によって、すなわち一個の〈主体〉によって制約されたものと解し、誤解するところの言葉(さらには言葉のうちに化石した理性の根林獄謬) の誘惑に囚われるがためにはかならない。それはちょうど一般の民衆が稲妻をその閃光から切りはなし、後者を稲妻と呼ばれる主体の活動であり作用であると考えるのと同じく、民衆道徳もまた強さを強さの現われから切りはなし、あたかも強さを現わすも現わさないも自由自在といった超然たる基体が強者の背後にあるかのごとく思いなす。がしかし、そのような基体は存在しない。活動、作用、生成の背後にはいかなる〈存在〉もない。〈活動者〉とは、たんに想像によって活動に付加されたものにすぎない、――活動がすべてである。民衆が稲妻を閃めくものとなすとき、実のところこれは活動を二重化しているのだ。これは活動――活動ともいうべきものであって、同じ出来事を一度まず原因と見なし、次にもう一度それをその結果と見なすものだ。(404-405頁)

[3] 最後の一万年のあいだに地球上の若干の大陸において歩一歩と進歩がとげられ、かくてやがて行為の価値は、もはや結果によってではなく、その由来によって決められるようになった。(68頁)

[4] 最後に次のような問題がある。すなわち、われわれは意志をば真に作用するものとして認めるか、われわれは意志の因果関係を信ずるか、という問題である。もしわれわれがこれを肯定するとすれば――根本のところ、意志の作用力を信ずることは、われわれが因果関係そのものを信ずることだが――、そうならわれわれは意志の因果関係をば唯一の因果関係として仮定することを試みなければならない。もちろん〈意志〉は、〈意志〉にたいしてだけ作用しうるのであって――〈物質〉(Stoff)にたいしてではない(たとえば、〈神経〉にたいして作用することはできない――)。要するに、われわれは思いきって次のような仮説を立ててみなければならない。すなわち、〈作用〉が認められるところではどこでも意志が意志に作用しているのではないか――そしてあらゆる機械的な事象は、そのなかにある力がはたらいているかぎり、それはまさに意志の力、意志の作用ではないか、という仮説である。――かくて結局においてわれわれの衝動的生の全体を、意志の唯一の根本形態――すなわち私の命題にしたがえば、権力への意志――の発展的な形成および分岐として説明することができたなら、また、すべての有機的機能をこの権力への意志に還元して、そのうちに生殖や栄養の問題の解決――これは一つの間題だが――をも見いだすことができたならば、それによってわれわれはあらゆる作用する力を一義的に権力への意志として規定する権利を手に入れたことになろう。内部から観られた世界、この〈叡知的性格〉にしたがって規定された特色づけられた世界、―― これこそはまさに〈権力への意志〉なのであって、そのほかの何ものでもないだろう。(75-76頁)

[5] ――彼は、なにごとにも〈片をつける〉ことができない。・・忘却がおのれ自身における一つの力、強壮な健康の一形式をなすほかならぬこの必然的に健忘な動物が、ところが今やそれとは反対の一能力を、ある場合には健忘を取りはずす助けとなるあの記憶という一能力を、育て上げるにいたった。――ある場合とはすなわち、約束しなければならないというときのことである。したがってこの能力は、一旦刻犠生まれた印象からまたと脱けだせないという受動的なものでは決してなく、また単に一旦抵当に入れた言質を再び請けもどせないという消化不良でもなく、むしろ、またとふたたび脱けだすまいとする一個の能動的な意欲、一旦欲したものはどこどこまでもこれを持ちこたえようとする意欲、本来的な意志の記憶である。したがって、根本の「私は欲する」・「私はなすだろう」と、意志の真の発現、その活動とのあいだには、かずかずの新しい異他の事物や事情や意志活動すらもが遠慮会釈なく入りこんできてもかまわないし、それによって別にこの永い意志の連鎖が断ち切られるわけではない。がしかし、これらのことすべての前提をなすものは何だろう! このようにして未来をあらかじめ意のままに処理しうるためには、いかに人間はまず、必然的な事象を偶然的な事象から区別することを、ことがらを因果的に考量することを、遥か先のことを現在のことのように観察し先取することを、何が目的で何がその手段であるかを確実に見定め、総じてこれを計算し算定しうることを、学ばねばならなかったことか! ―― これがためには、しかも、およそ約束者たるもののそうあるごとく遂には未来としての自己を保証しうるようになるためには、いかに人間はおのれ自身まずもって、自分自身の観念にたいしてすらも、算定しうる・規則的な・必然的な存在とならねばならなかったことか!(424-425頁)

[6] ――その使命は、彼が価値を創造することを求める。カントやヘーグルの高尚な模範にしたがうすべての哲学的労働者の仕事ときては、何かある巨大な価値評価の事実を、――いいかえれば、支配的なものとなって当分のあいだ〈真理〉と呼ばれている従来の価値評定、価値創造の事実を――確認して、これを公式におしこめるということである。これが、論理的なものの領域においてであれ、政治的(道徳的)なものの領域においてでぁれ、どこででもなされるのである。これら学者にとっての義務は、これまで起こったこと評価されたことの一切を概観できるように、熟考できるように、理解しやすく扱いやすいようにするということ、 一切の長大なものを、〈時間〉そのものをすらも切りつめて、全過去を制圧できるようにするということでぁる。まことにもってこれは巨大な驚嘆すべき課題というべきで、これに奉仕するとなれば、いかなる気取った矜持も、いかなる頑強な意志も、きっと満足することができるだろう。だがしかし真の哲学者は命令者であり立法者である。すなわち彼らは言う。「かくあるべし!」と。彼らこそがはじめて人間の〈何処へ?〉と〈何のため?〉とを決定し、その際にあらゆる哲学的労働者、あらゆる過去制圧者の予備工事を意のままに使いこなすのだ。――彼らは創造的な手をもって未来をつかみとる。存在するもの、存在したものの一切が、そのとき彼らの手段となり、道具となり、ハンマーとなる。彼らの〈認識〉は創造であり、彼らの創造は一つの立法であり、彼らの意志は、――権力への意志である。――今日このような哲学者が存在するだろうか? かつてこのような哲学者が存在したであろうか? このような哲学者が存在しなければならぬのではあるまいか?(208-209頁)

[7] すべて高い世界にたいしては、ひとは天稟をそなえているのでなければならない。もっとはっきりいって、そうした世界にたいしては、ひとは育成されているのでなくてはならない。すなわち、哲学にたいする権利――この言葉を広い意味にとって――をもつということは、ただただその人の素性によるものであり、ここでも決定的にものをいうのは先祖であり〈血統〉なのだ。哲学者が生まれるためには、前もって幾世代ものひとびとが基礎がための仕事をしていなければならない。哲学者の徳性のすべては一つ一つ獲得され、育てあげられ、遺伝され、血肉化されていなければならない。その徳性とは、ただに彼の思想の大胆な、軽快な、柔軟な歩みと運びばかりでなく、なお何よりまず偉大な責任を喜んで引き受ける覚悟、支配者的威厳をもって見下ろす眼光の高邁さ、大衆とその義務や徳からの懸絶感、神であると悪魔であるとを問わず誤解され誹謗されるものにたいする懇篤な保護と弁護――さらには、偉大な正義にたいする悦びとその実践、命令の伎価、意志の宏大さ、稀にしか驚嘆せず稀にしか敬仰せず稀にしか愛しない悠然たる眼差しなどがそれである・・・。(214-215頁)

[8] 哲学者とは、ああ、それはしばしば自己から逃走し、しばしば自己に恐怖をいだく者、―がしかし、そのあまりな好奇心のゆえに繰りかえしまた〈自己へと帰来〉する者である。(341頁)

[9] ――このゆえにまた、かかる貴族体制に本質的なことは、それが、みずからのために不完全な人間、奴隷、道具にまで圧し落とされ貶下されざるをえない無数の人間の犠牲を、良心の呵責もなく承認するということである。ほかならぬその根本信条は、社会は社会そのもののために現存するものであってはならない、むしろ社会はただ選り抜きの品種の人間が高次の課題へ、総じて高次の存在へと上りうるための下部構造かつ足場であるべきだ、というのでなければならない。(302-303頁)

[10] 高貴であることのしるし。すなわち、われわれの義務を、すべての人間にたいする義務にまで引き下げようなどとはけっして考えないこと。おのれ自身の責任を譲りわたすことを欲せず、分かちあうことをも欲しないこと。自己の特権とその行使を、自己の義務のうちに数えること。(329頁)

[11] ――高貴な人間たるを証しするのは行為ではない。――行為はつねに多義的であり、つねに測りがたい――。それは〈業績〉でもない。今日の芸術家や学者のなかには、彼がいかに高貴なものへの深い欲求に駆りたてられているかが、その業績によって察しられるような人が沢山いる。しかし、ほかならぬこの好奇なものへの欲望こそは、高貴な魂そのものの欲望とは根本的に異なるものである。むしろそれこそは高貴な魂の欲望の欠乏を示す雄弁にして危険な徴表である。ここで決定を下し、ここで位階を確定するのは、古い宗教上の慣用語をまたしても新しい一層深い意味にもちいていえば、業績ではなくして、信仰である。すなわちそれは、高貴な魂が自己自身についていだくある根本的確信である。それ自体求められも、見いだされも、おそらくはまた失われもしない何ものかである。――高貴な魂は自己にたいし畏敬の念をいだく。(338頁)

[12] 高貴な魂は、おのれのエゴイズムというこの事実をば、何の疑いをもいだくことなく、そこに冷酷とか強制とか恣意とかを感ずることさえもなしに、むしろそれが事物の原法則に基づいたものであるかのように受けとる。―― これに名をつけようとする段になると、高貴な魂の者は言うであろう、「これは正義そのものである」と。いろいろの事情のために彼ははじめ躊躇するにしても、結局は自分と同等の権利をもつ者が存在することを認める。この順位の問題に決着がつくやいなや彼は、自己自身に接すると同じく確かな羞恥心と繊細な畏敬の念をもって、これら同格者や同権者らと交際をかわす。――それはまるで、すべての星がその精通している本然の天体力学の法則に従うのと同じようなものである。おのれと同格な者との交わりにおけるこうした繊細さと自制、これが彼のエゴイズムの一段とすぐれた点である。――すべての星もこうしたエゴイス卜なのだ――。彼はおのれの同格者たちのなかに、また自分が彼らに与える権利のなかに、自己自身を尊敬する。尊敬と権利の交換が、すべての交わりの本質として、おなじくまた事物の自然な状態にぞくするものだということを彼は疑わない。高貴な魂はその根底にひそむ熱情的で敏感な報復の本能からして、自分の取るだけを他者に与える。〈恩恵〉という観念は、〈同等の者の間〉では何の意味も香気ももっていない。(320頁)

[13] これまでにわれわれが知りえたところの禁欲主義的僧侶の手段――生感情の全体的鈍麻、機械的活動、小さな喜び、とりわけ〈隣人愛〉のそれ、畜群組織、協同体的権力感情の喚起、かくして個人の自己嫌悪が共同体の繁栄をよろこぶ快感によって紛らされる――、こうしたものは、近代的尺度で測るなら、不快との闘いにおける禁欲主義的僧侶の罪のない手段なのだ。さて今からわれわれは、もっと興味ぶかい、〈罪のある〉手段の方に目を移すとしよう。そうした手段のすべてにおいて肝要な一事といえば、何らかのかたちでの感情の放埒ということである。――これは、重ったるい麻痺させるような長い苦痛に対してもっとも効力のある麻酔剤としてもちいられる。それゆえ、次のような問題を考え抜くことに僧侶一流の才略がまさに尽きることなく注がれた。それはすなわち、「何によって感情の放埒が得られるか?」という問題だ。・・。これでは聞き苦しい点があるが、たとえばこれを「禁欲主義的僧侶はいつでもつねに、すべての強烈な情念のうちにひそむ感激を利用した」とでもいえば、明らかにもっと気持ちよくひびき、おそらくもっと耳ざわりよく聞こえるであろう。だが、何のためにわが現今の柔弱者どもの優耳をさすってやらねばならぬことがあろう? 何のためにわれわれからして彼ら流の言葉の偽善に一歩たりと譲る必要があろう? われわれ心理学者にとっては、それがわれわれに嘔吐を催させるということは別としても、そうすることにはすでに一つの行為の偽善があると思えるのだ。つまり、心理学者というものが今日なんらかの点で良き趣味(――他の人なら、これを実直というかもしれないが)をもつとすれば、それは彼が、人間や事物に関する一切の近代的判断を次第に粘っこくしてゆく忌まわしいまで道徳化されたものの言い方に反抗するという点にある。かくいうのも、次の点を見損ってもらいたくないからだ、すなわち近代的魂や近代的書物のもっとも固有の特徴は虚偽ではなくして、道徳主義的嘘言が心から無邪気になされているその罪のなさがそれである、という点だ。この〈罪のなさ〉をいたるところにふたたび発見せねばならぬということ、――これこそはおそらく、今日の心理学者が引き受けねばならないところの、もともとは後込みしたくなるようなすべての仕事のなかでも、われわれにとってもっとも厭わしい仕事なのである。それはわれわれの大きな危険の一つでもある、――それはおそらくはかならぬこのわれわれをば大いなる嘔吐へとみちびく道でもあるのだ。(546-547頁)

[14] これこそは自己自身にのみ等しい個体、習俗の倫理からふたたび解き放たれた個体、自律的にして超倫理的な個体(というのも〈自律的〉と〈倫理的〉とは相容れないから)、要するに自己固有の、独立的な、長い意志をもつ約束することのできる人間である。――そして彼の内には、ついに達成されて彼自身それの化身となったそのものについての、全筋肉を震わせるほどの誇らかな意識が、真の権力と自由との意識が、人間そのものとしての完成感情が見られる。真実に約東することのできるこの自由となった人間、この自由なる意志の支配者、この主権者、―― この者が、かかる存在たることによって自分が、約束もできず自己自身を保証することもできないすべての者に比して、いかに優越しているかを、いかに多大の信頼・多大の恐怖・多大の畏敬を自分が呼びおこすか――彼はこれら三つのものすべての対象となるに〈値する〉――を、知らないでいるはずがあろうか? 同時にこの自己にたいする支配とともに、いかにまた環境にたいする支配も、自然および一切の意志短小にして信頼しがたい被造物どもにたいする支配も、必然的にわが評にゆだねられているかを、知らないでいるはずがあろうか? 〈自由なる〉人間、長大な毀たれない意志の所有者は、この所有物のうちにまた自己の価値尺度をもっている。彼は自己を基点にして他者を眺めやりながら、尊敬したり軽蔑したりする。彼は必然的に、自己と同等な者らを、強者や信頼できる者ら(約束することのできる者たち)を尊敬する、――要するに主権者のごとくに重々しく、稀に、ゆったりとして約束する者、容易には他を信頼せず、ひとたび信頼したとなればこれを賞揚する者、おのれの一言を災厄に抗してすら・〈運命に抗して〉すらも守りぬくほど十分に自分が強いことを知るがゆえに、頼むに足るだけの言質を他に与える者、こうしたすべての者を尊敬するのである――。同様また必然的に彼は、できもしないのに約束する法螺吹きの痩犬どもを足蹴にすべく身構えるだろうし、舌の根の乾かぬうちにはやくもその約束を破る虚言者どもに懲戒の笞を振るうべく身構えるであろう。責任という格外の特権についての誇らかな自覚、この稀有な自由の意識、自己と命運とを支配するこの権力の意識は、彼の心の至深の奥底まで降り沈んでしまって、本能とまで、支配的な本能とまでなっているのだ。――もし彼にしてこれを、この支配的な本能を、一つの言葉で名づける必要に迫られるとすれば、これを彼は何と呼ぶであろうか? 疑いの余地もなく、この主権者的な人間はこれを自己の良心と呼ぶ・・・(426-427頁)

[15] ――道徳における奴隷一揆は、ルサンチマン(怨恨 Ressentiment) そのものが創造的となり、価値を生みだすようになったときにはじめて起こる。すなわちこれは、真の反応つまり行為による反応が拒まれているために、もっぱら想像上の復讐によってだけその埋め合わせをつけるような者どものルサンチマンである。すべての貴族道徳は自己自身にたいする勝ち誇れる肯定から生まれでるのに反し、奴隷道徳は初めからして〈外のもの〉・〈他のもの〉・〈自己ならぬもの〉にたいし否と言う。つまりこの否定こそが、それの創造的行為なのだ。価値を定める眼差しのこの逆転――自己自身に立ち戻るのでなしに外へと向かうこの必然的な方向――こそが、まさにルサンチマン特有のものである。すなわち奴隷道徳は、それが成り立つためには、いつもまず一つの対立的な外界を必要とする。生理学的にいえば、それは一般に働きだすための外的刺戟を必要とする、――それの活動は根本的に反動である。(393頁)

[16] 生そのものは本質において他者や弱者を我がものにすること、侵害すること、圧服することであり、抑圧すること、厳酷なることであり、おのれ自身の形式を他に押しつけること、摂取同化することであり、すくなくとも――ごく穏やかに言っても搾取することである。――しかし、ことの真実を示すには、かならずしも、昔から誹謗の意図が刻みこまれているそうした言葉を使わねばならぬというわけではなかろう? 先に仮定されたように、その内部でも各個人が平等に振舞っている――これはすべての健全な貴族体制に見られるところだが――ような団体にしても、それが生きている団体であって滅びかけている団体でないかぎり、他の団体に対しては、おのが内部では各個人とも抑制しあっている一切のことを進んで行なわなければならない。その団体は権力への意志の化身であらねばならない。それは生長しようと欲し、周りのものへとつかみかかり、これをおのれの方へ引きよせ、圧服しようと欲するであろう。――これは何らかの道徳性や背徳性からでることではなくて、それが生きているからこそであり、生こそは権力への意志だからである。ところがヨーロッパ人の一般の意識は、いかなる点についてよりもこの点について教えられることを一番に嫌がるのである。今日いたるところで世人は、科学的な仮装をこらしてまで、〈搾取的性格〉が廃絶されるはずの来たるべき社会状態について夢中で論じあっている。――それは私の耳には、あらゆる有機的機能を営まなくなってしまった一個の生命の発明を約束するもののように聞こえる。〈搾取〉というものは、須廃した社会とか不完全な原始的社会とかに属する現象なのではない。それは有機的根本機能として、生あるものの本質に属するものなのだ。それは、生の意志そのものにはかならぬ本来的な権力への意志が然らしめるところなのだ。(304-305頁)

[17] かくして、この領域、つまり債務法のうちに、〈負い目〉とか〈良心〉とか〈義務〉とか〈義務の神聖〉とかいった道徳的な概念世界の発祥地がある。―― この概念世界の始まりは、地上のあらゆる大事件の始まりと同じく、じつにひどく久しきにわたって血で汚されていた。ここで、こう付言してもよいのではなかろうか? ――ひっきょうあの世界からは、 一種の血と拷間との臭いがまたとふたたび完全に払拭されることはなかった、と。(老カントにあってすらそうだ、彼の定言命法には残忍の臭いがする……。)同様ここにおいてこそまた、〈負い目と苦悩〉というあの不気味な、おそらくは解き離しがたいものとなった固い観念結合が、はじめて鎹でとめられるにいたったのだ。いま一度問うが、いかにして苦悩は〈負債〉の補償となりうるか? それは、苦悩させることが最高度の快感を与えるからであり、被害者がその損害さらには損害からくる不快と引き替えに異常な悦楽を手に入れるからである。すなわち、苦悩させることは――一つの真の祝祭なのであり、すでに述べたごとく、債権者の身分や社会的地位が低ければ低いほど、それだけ反対にいよいよ高く値ぶみされるものなのである。これは推測して言っただけにすぎない。というのも、こういう地下的に秘密なことがらは、そうすることのやりきれなさは別として、これを根本的に究明することは困難だからである。(434-435頁)

[18] しかもこれとともに、人間が今日なおそれから癒っていないあのもっとも重い不気味きわまる病気もはじまったのだ。すなわち、人間が人間たることに、自己自身たることに悩む、という病気がだ。これは、人間が野獣的な過去から無理矢理に引き離されたことの結果、いわば新しい状態と新しい生存条件とのなかへ跳びこみ落ちこんだことの結果、それまで彼の力や悦びや怖れの根基であった古い本能にたいし宣戦布告をしたことの結果であった。(464頁)

[19] すなわち、その悦楽は残忍の一種なのである。――道徳的価値としての〈非利己的なもの〉の由来、およびこの価値を発生せしめた地盤の標示については、まず差し当たってのところ次の点だけを示唆しておこう。良心の疚しさこそが、自虐への意志こそが、非利己的なものの価値を生みだす前提となったのだ、と。――(468頁)

[20] この現象の全体が、もともと醜悪で惨愴としているからとて、ゆめこれを軽視しないでもらいたい。根本のところをいえば、あの暴力芸術家や組織者らの内で豪壮に活動して国家を創建するのとまさに同じあの能動的な力が、ここでは内面的に、ちんまりと、こせこせと、退行的に、グーテの言葉をかりれば〈胸奥の迷宮〉のなかで、みずから良心の疚しさを創りだし、否定的な理想を築いているのである。この力というのは、ほかならぬあの自由の本能(私の言葉でいえば、権力への意志)のことだ。(467頁)

[21] ここにいたってはもはや私は、〈良心の疚しさ〉の起源についての私自身の仮説を一まず暫定的に述べておくことを避けるわけにゆかない。この仮説は、容易には人の耳に入りがたいもので、永いあいだ考量され見守られ熟思されるべきものである。私は、良心の疚しさというものをば、およそ人間がその体験したあらゆる変化のなかでも最も根本的なあの変化の圧力のため、罹らざるをえなかった重い病気だと考える。――もっとも根本的なあの変化とは、人間が所詮は社会と平和との制縛にからめこまれているのを悟ったときの、あの変化のことである。陸棲動物になるか、それとも死滅するかの選択を余儀なくされたときに、水棲動物のうえに起こらざるをえなかったと同じことが、人間というこの野蛮。戦争・放浪・冒険にうまく適応していた半獣の上にも起こった、――彼らの本能のすべては一挙にしてその価値を失い、〈蝶番をはずされ〉てしまった。彼らはそれまでは水によって運ばれていたところをば今や足で歩き、〈自分で自分を運ば〉ねばならなくなった。恐ろしい重みが彼らの身にのしかかってきた。きわめて簡単な仕事をするにも彼らは自分をぎこちなく感じた。この新しい未知の世界にたいして、彼らはもはや、その昔ながらの案内人を、無意識のうちにも確実に先導してくれるあの統制本能を、もたなくなっていた。――この不幸な半獣たち、彼らは、もっぱら思考・推理・計測・因果連結だけに依存し、その貧弱きわまる・誤りを犯しがちな器官である彼らの〈意識〉だけに依存するようになったのだ! 思うに、これほど惨めな気持ち、これほど重苦しい不快感は、かつて地上にあったためしはないであろう。――もちろん、そうなったからとて、あの古い本能がその要求を提出することをばったり止めてしまったわけではない―ただそれら本能の欲求を叶えることが困難になり、ほとんどできなくなっただけなのだ。要するに、これらの本能は、新しい。いわば地下的な欲求満足を求めざるをえなくなったのだ。外に向かって発散されないすべての本能は、内向する。――これこそが、私の呼んで人間の内面化というやつである。これによってはじめて、のちのち人間の〈魂〉と呼ばれるようになるものが、人間の内に成長してくるのである。全内面世界、はじめには二枚の表皮のあいだに張られたもののように薄っぺらだったこの世界は、人間本能の外への発散が阻まれるにつれて、いよいよ分化し膨れあがり、深さと広さと高さとを得るようになった。古い自由の本能に対して国家的組織がおのれを防護するため築いたあの怖るべき堡塁――なかんずく刑罰がこうした堡塁の一つだが――は、野蛮で放縦で浮浪的な人間のあの本能のすべてを追い退けて、これをば人間自身の方へと向かわせた。敵意、残忍、迫害や襲撃や変改や破壊の悦び、―― これらすべてが、こうした本能の所有者自身ヘと方向を転ずること、これこそが〈良心の疚しさ〉の起源なのだ。(462-463頁)

[22] ――そこで当面のところまずわれわれは、いま一度、先述の観点に立ち戻らなければならない。先にすでに綾々と陳述した債務者の債権者に対するあの私法的関係は、さらにまた、しかも歴史的に見てはなはだ注目すべき、いかがわしい仕方で、われわれ近代人にはおそらくどうにも理解に苦しむような別個の関係に、すなわち現存者のその祖先に対する関係に解釈し変えられるにいたった。原始的な種族共同体――われわれは太古のことをいっているのだが――の内部にあっては、いついかなるときにも現存の世代は先行の世代に対し、とりわけ種族を草創した最初の世代に対して、ある種の法的義務を負っていることを承認する(が、これはけっして単なる感情上の責務ではない。この感情上の責務なら、およそ人類のいとも永きにわたる存続のためには、いわれなく無下に否定さるべきものではないであろう)。そこでは、種族は徹頭徹尾ただ祖先の犠牲と功業とのおかげで存立するという確信が、――したがってまたこれは犠牲と功業とによって祖先に返済されなければならぬという確信が、支配している。(469頁)

[23] こうした素朴な論理のゆきつくはてを考えると、どうなるか。そのときには、もっとも強力な種族の祖先は、想像された恐怖そのものの増大によってついに恐るべき巨大なものにまで成長し、神的な不気味さと不可思議さの暗闇のなかに押しやられざるをえなくなる。――かくしてついに祖先のすがたは必然的に一個の神に変えられてしまう。おそらくはここにこそ神々の起源が、つまりそれの恐怖からの起源が存するのだ!(470-471頁)

[24] あらゆる価値評価を逆立ちさせること――これこそがそれであった! そして強者を挫き、大いなる希望を病みつかせ、美のうちにある幸福を中傷し、あらゆる独立自尊のもの・男らしさ・征服欲・野心的なもの、つまり〈人間〉という最高の最も出来のよい類型に特有な本能のすべてを、疑わしいもの・良心の呵責・自己破壊にまでへし曲げてしまうこと、いな、この地上のものと大地の支配にたいする愛のことごとくを、大地と地上のものとにたいする憎しみにまで逆転してしまうこと、――こうしたことを教会はみずからの任務としたし、またせざるをえなかったのだ。かくしてついに、教会の評価にとっては、〈現世厭離〉と〈官能滅却〉と〈高級の人間〉という三つのものが一つの感情に融け合うようになってしまった。もしひとが、エビクロスの神のような皮肉で虚心な眼をもって、ヨーロッパのキリスト教の奇態にも痛ましい、粗野ながらも巧妙な喜劇を見わたすことができたとしたら、だれしもびっくり仰天すると同時に笑いだして止めようもなくなるだろうとおもわれる。人間を崇高な奇形児につくりあげようとする一つの意志が、一八世紀にわたるあいだヨーロッパを支配してきたとしか思えないではないか?(114-115頁)

[25] このように喜びが医薬として処方されるもっとも通例の形式は、ひとを喜ばせる(たとえば慈善、施与、慰安、援助、励まし、力づけ、賞揚、顕彰などをする)という喜びである。禁欲主義的僧侶は〈隣人愛〉を処方することによって、じつは、きわめて慎重な匙加減をもってではあるが、もっとも生肯定的な最強の衝動――すなわち権力への意志を処方するのである。すべての慈善、恵与、援助、顕彰などの行為に必然的にともなう〈極小の優越感〉の幸福こそは、生理的障害の所有者たちが常用する結構至極な慰藉手段なのである。(544頁)

[26] しかも、このような雑種的人間にあってもっとも深く病みつき、顔廃するのは、意志である。彼らは決意の独立性、意欲することの勇壮な快感をもはやまったく知らない。――彼らは夢のなかにあってさえも〈意志の自由〉というものを疑う。この現代ヨーロッパは急激な階級混浦の、したがってまた人種混清の、気違いじみて突発的な試みの舞台と化し、これがために懐疑的な空気が上下にくまなく滲みわたっている。かくて、時にはあの移り気な懐疑に襲われては、いらだたしく物欲しげに一つの枝から他の枝へと飛びうつり、時には疑間符を積みすぎた雲のように暗漕と陰鬱になる。――そして、みずからの意志には、しばしば死ぬほどうんざりとなる! これは意志麻痺症というものだ。今日この片輪者が坐っていない場所などあるだろうか! しかもそれが、しばしば派手にめかしこんでいるとくる!じつに誘惑的に盛装をこらしてお目見えとくる! この病気を飾るにうってつけの、華麗きわまる虚飾的な衣装もあるとくる。たとえば、こんにち〈客観性〉とか、〈科学性〉とか、〈芸術のための芸術〉とか、〈意志ある自由な純粋の認識〉とかいって陳列棚に飾りたてられる代物の大部分は、じつは盛装した懐疑や意志麻痺症であるにすぎない。(200頁)

[27] ――この過程は、おそらく、〈近代的理念〉の使徒たるその素朴な促進者や讃美者たちの夢にも予想しないような結果を生むであろう。この新しい条件のもとでは、概して人間の均等化と凡庸化がつくりだされ――有用で、勤勉で、いろいろと役に立つ器用な畜群的人間が生まれてきているが、反面その同じ条件は、もっとも危険で魅力的な性質をもった例外的人間を発生せしめるうえに最適である。すなわち、一面において例の適応力は、たえず変化する条件を一つ一つこなしてゆき、一世代ごとに、いなほとんど十年ごとに新しい仕事をはじめることになるから、およそ強力な型の人間はまったくつくられえないようになる。こうした未来のヨーロッパ人について全体としての印象をいえば、それは、いろいろさまざまの口やかまし意志薄弱な、きわめて器用な労働者といったものであり、彼らは日々のパンを必要とすると同じように命令者を必要とする。かくしてヨーロッパの民主主義化は、もっとも精密な意味での奴隷制度にあつらえむきな型の人間を生みだすであろう。しかしその反面、個々の例外的な場合においては、強力な人間は、おそらくかつてこれまであったより以上に強く、豊かにならざるをえなくされるであろう。――それも、彼の教育が先入見なしに行なわれるがため、またその訓練、技巧、仮面がおそるべく複雑多彩であるがためである。私の言いたいのはこうだ。ヨーロッパの民主主義化は、同時に専制的支配者――この語をあらゆる意味にとって、またもっとも精神的な意味にとって――の育成にたいする、思いもかけない準備となる。(266-267頁)

[28] 私はまた、理想主義を奉ずるあの最近の相場師ども、すなわちあの反ユダヤ主義者どもを好かない。この連中ときては、今日そのキリスト教的・アーリア的・良民的な眼をむきだし、安直きわまる場動手段たる道徳的ポーズを我慢ならないほどに濫用して、民衆のなかの頓馬どもを残らず煽りたてようとしている(――今日のドイツにおいてあらゆる種類のインチキ精神主義が成功を収めているという事実は、いまやすでに否定すべくもない歴然たるドイツ精神の荒廃と関連したものである。私の見るところでは、この精神荒廃の原因は、あまりにも新聞と政治とビールとヴァーグナー音楽ばかりを摂りすぎたことにあるのだ。これに加えて、この飲食法の前提たるものもまた、その原因のうちに含められる。すなわち、まず国民的な緊縛と虚栄、「ドイツ、ドイツ、万邦に冠たるドイツ」というあの強烈ながら偏狭な原理、つぎにまた〈近代的理念〉の震頭麻痺がそれである。(578頁)

[29] しかるにユダヤ人は、疑いの余地もなく今日ヨーロッパに生存している種族のなかでも最も強壮な、強靭な、純粋な種族である。彼らは、最悪の条件のもとでも(むしろ恵まれた条件のもとにおけるよりもよりよく)生きぬく道を心得ている。それも、今日ひとがよく悪徳という烙印を押したがるある種の徳性によるものであり、――なかんずく、いわゆる〈近代的理念〉の前に恥じるを要しない確固たる信仰のおかげによるものである。(281頁)

[30] ところで、私の言わんとするところは、とっくにお分かりのことだろう。――つまるところ、われわれ心理学者とて今日われわれ自身にたいするそこばくの不信から脱しきれないということにも、充分の理由が存するのではなかろうか? ・・・おそらくわれわれもなおいまだにわれわれの職分にたいして〈善良すぎる〉のであろう。おそらくはわれわれもまたこの道徳化された時代趣味の犠牲、餌食、患者であるのだろう、どんなにわれわれがこの趣味の侮蔑者をもって任じていようともだ、――おそらくこの趣味はわれわれにもなお感染しているのだ。(550頁)

[31] 禁欲主義的理想を外にしては、人間は、人間という動物は、これまで何の意味をももたなかった。地上における人間の生存には何の目標もなかった。「いったい人間は何のためにあるのか?」――これは答えのない問いであった。人間と大地のための意志が欠けていた。あらゆる大きな人間の運命の背後には、さらに大きな〈無駄だ―〉というリフレーンがひびいていた。何ものかが欠けていたということ、巨大な空所が人間をとりかこんでいたということ、まさにこれこそが禁欲主義的理想の意味するものなのだ。――人間は自己自身を弁明し、説明し、肯定するすべを知らなかった。人間は自己存在の意味の問題に悩んだ。彼はそのほかにも悩んだ。人間は要するに、一個の病める動物であったのだ。だが、苦悩そのものが彼の問題だったのではなくて、〈何のため苦悩するのか?〉という問いの叫びにたいする答えが欠けていることこそが問題であった。人間、このもっとも勇敢で苦悩に慣れた動物は、苦悩そのものを否みなどはしない。いな、苦悩の意味、苦悩の目的(Dazu)が示されたとなれば、人間は苦悩を欲し、苦悩を探し求めさえする。これまで人類の頭上に広がっていた呪いは、苦悩の無意味ということであって、苦悩そのものではなかった。――しかるに禁欲主義的理想は人類に一つの意味を供与したのだ! それがこれまで唯一の意味であった。何であれ一つの意味があるということは、何も意味がないよりはましである。禁欲主義的理想は、どの点から見ても、これまで存在したものとしては上等の〈やむをえない代用品〉であった。その理想によって苦悩は解釈された。あの巨大な空所はうめられたように見えた。あらゆる自殺的ニヒリズムにたいし一扉が閉ざされた。が、この解釈は――疑いの余地もなく――新しい音悩をもたらした。それは、より深い、より内面的な、より有毒な、より生を蝕む苦悩であった。その解釈は、あらゆる苦悩を負い目の遠近法の下に引きずりこんだ。 ・・・それが、それにもかかわらず――人間はそれによって救われた。人間は一つの意味をもつにいたった。それ以来人間はもはや風にもてあそばれる一枚の木の葉のごときものではなくなった、もはや無意味の、〈没意味〉の手まりではなくなった。いまや人間は何かを意欲することができるようになった、――何処へむかって、何のために、何をもって意欲したかは、さしあたりどうでもよいことだ。要するに、意志そのものが救われたのである。禁欲主義的理想によって方向を定めてもらったあの全意欲が、そもそも何を表現しているかは、とうてい覆い隠すわけにゆかないところである。つまりは、人間的なものにたいするこの憎悪、それにもまして動物的なものにたいする、さらにはまた物質的なものにたいするこの憎悪、官能にたいする、また理性そのものにたいするこの嫌悪、幸福と美にたいするこの恐怖、あらゆる仮象から、変転から、生成から、死から、願望から、欲望そのものからさえも逃れようとするこの欲望――これらすべては、あえてこれをはっきりと規定するなら、虚無への意志であり、生にたいする嫌厭であり、生のもっとも基本的な諸前提にたいする反逆である。だが、これとてもあくまで一つの意志ではあるのだ! ・・・さて、最初に言ったことを締めくくりにもう一度言うならば、――人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する・・・。(582-584頁)

[32] (吉本)なにより必要だと私が思うのは、まず権力の配置をとらえること、身体そのもののうえに行使されるような、ある権力の配置から出発してそれらの諸要素を理解することだと思うのです。私が求めたものは、いかにして権力の諸関係が、主体の表象に媒介される必要すらなくして、肉体的に、身体の厚みそのもののなかを通過できるのか、それを明らかにすることでした。権力が身体に達するのは、まえもって人びとの意識のなかに権力が内面化されるからではありません。ある、バイオ・パワーの網目、すなわち身体権力の網目が存在するのです。つまり、その網目を通して歴史的、文化的現象としてのセクシュアリテが生まれ、またその網目のなかでわれわれが自己を認識し、しかも自己を見失ってしまうような、そういう身体権力の網目が存在しているのです。(19頁)

[33] フーコー わたしはギリシア人の大問題は、自己の技術ではなく、生活のテクネー、テクネー・トウ・ビウ、つまり生活の仕方であったことを示したいと思っています。たとえば、ソクラテスセネカプリニウスなどを読んでみると、明らかに、彼らは、生命の後には何が来るのか、死後どういうことが起こるか、あるいは神は存在するのかということについては、心配していませんでした。そんなことは彼らにとっては、本当は重大な問題ではなかった。彼らの問題とは、わたしはよく生きなければならない、それとともに、よく生きるためにはわたしはいかなるテクネーを用いるべきか、ということだったのです。だからわたしは、古代文化の大きな変化のうちの一つは、この生活の技術が次第に自己の技術になってきたということだと考えています。紀元前五世紀または四世紀のギリシア市民は、この生活の技術が都市国家を気遣い、自分の仲間たちを気遣うところに成り立つのだと感じていたにちがいありません。ところが、たとえばセネカの場合、主要な問題は自己自身を気遣うことでした。プラトンの『アルキビアデス』を見ればはっきりしていることですが、人は都市を統治する必要があるのだから、自分のことを気遣うべきだとあります。ところが、この自己自身への配慮という愛情は、快楽主義哲学者によって初めて言われるようになって、セネカプリニウスで広まっていきます……。ギリシア人の道徳の中心が、個人の選択の問題、生存の美学の問題に絞られていくのですね。(187頁)

[34] ――今のお話を伺っていると、ニーチェが、「永い間の修練と毎日の労苦」によって人は自らの人生に様式を与えなければならないと言っている『悦ばしき知識』(二九〇)の考察が浮かんできます。

フーコー そうです。わたしの視点はサルトルよりもニーチェのほうに近いのです。(192-193頁)

[35] 「思考」という言葉によって私が考えているのは、まず、その可能なさまざまの形態において真と偽の戯れを創始し、その結果人間存在を認識の主体としてつくり上げるようなもののことであり、次に、規則の受け入れもしくは拒絶を根拠づけ、人間存在を社会的で法的な主体としてつくり上げるようなもののことであり、最後に、自分自身そして他者に対する関係を打ち立て、人間存在を倫理的主体としてつくり上げるもののことである。(283頁)

[36] 要するに、思考とは出来事なのだ。そして最後に、この企図には第三の原理がある。それはすなわち、批判というものを、真理、規則、および自己に対する諸関係が構成される際の歴史的諸条件の分析として解すとき、批判とは、超えることの不可能な境界を定めるものでもなければ、閉じられた体系を描き出すものでもない、というものである。批判は変容可能な諸々の特異性を明らかにするのであり、そしてそうした変容は、思考が思考自身に対してはたらきかけることによってのみ可能となるのである。ここに、思考とは批判的活動である、という原理があると言えるだろう。以上が、「思考諸体系の歴史」というタイトルのもとになされる研究と講義に対して私が与えた意味である。この研究および講義は、常に、二つのものとの関連のもとに行われる。一つは哲学であり、これに対しては、思考が一つの歴史を持つということはどのようにして可能であるのかと問わねばならない。そしてもう一つは歴史であり、これに対しては、思考のさまざまな形式が、その具体的な諸々の側面(表象、制度、実践の体系)のもとにどのようにして産出されるのかと問わねばならない。哲学にとって、思考の歴史の値打ちとはどのようなものであろうか。歴史において、思考や思考に固有の出来事がもたらす効果とはどのようなものであろうか。個人ないし集団における諸経験は、思考の特異な諸形式、すなわち、真なるもの、規則、および自己との関係のもとで主体を構成するものとしての思考の諸形式に、どのようなかたちで従属しているのだろうか。五〇年代初頭におけるニーチェ読解が、現象学マルクス主義という二重の伝統を断ち切りつつ、そうした種類の問いへの接近を可能にしたことが推察されるだろう。(285-286頁)

[37] だからエングルスはマルクスと違って、ヘーゲルの『精神現象学』の全領域をうまく整理づけて、それを個人にわたるものと、共同のものにわたるものとに振分けました。そして歴史を決定する要因としては、個人の意志とか個人の道徳、つまり人格的道徳とかですね、そういうようなものは、全然偶然的な要素で入ってこないから、それは無視してもいいとみなしました。ぼくはマルクスがヘーグルを始末しないで、ヘーゲルの試みた全意志論の体系をそのまま残したことを、大きく問題にしてきたようにおもうのです。

ぼくはそのエングルスの整理づけ、ヘーゲルにたいする始末のしかたにはどこか欠陥があるんじゃないか。そしてその欠陥はどういうふうにすれば克服されて、現在もなお生かすことができるだろうかということをかんがえていきました。その意志論の領域をぼくは個人の幻想の領域、そういう言葉を使っているわけですが、また社会史学あるいは民族学でいう家族、親族の領域、またセックスにわたる領域、そういうものを対なる幻想の領域、それから共同の幻想にわたる領域とに相として分離することが重要な課題じゃないかとかんがえていきました。ぼくはそういうふうに分離することで、マルクスヘーゲルを始末しなかったところを生かすことができるんじゃないかとかんがえて、そういうことの追及をやってきたとおもうんです。

フーコーさんにそこのところでお訊きしたいのですが、マルクス主義を始末したそのあとでどういう問題が残るのかという場合に、ぼくなりの読み方によりますと、フーコーさんはヘーゲルの意志論にわたる領域を、全体の考察、つまり世界認識の方法から全部抜いてしまったとおもえるのです。そして全体の構想のなかから省いたあとはそれを個別的な問題のようにみなして、刑罰の歴史とか狂気の歴史とかの追及に向かわれた。ヘーゲルがたいへん問題にした領域は全部個別的な課題に転化してしまって、全体の構想からヘーゲルのいう意志論は排除したのではないのかなとおもわれました。

それから『言葉と物』を読んで、ぼくの読み方で特徴的だとおもえたことは、ある事物ないし言葉の表現、つまり思想というものから、その背後に意味の核、中心を捜していくという方法をフーコーさんは徹底的に否定したんじゃないか。それを拒否するという態度の問題を提出してきたのではないかなということです。そしてその問題意識はニーチェから由来するのではないかというのがぼくの読み方です。

歴史に原因があり結果があり、人間に意志があれば、意志どおりに実現するかしないかという課題について、ニーチェは、原因があれば結果があるという概念は記号的な概念の水準でしか成り立たないので、歴史そのものは原因もなければ結果もない、原因と結果の連鎖などはないんだという考え方を述べています。歴史にはまったく偶然しか起こってこない、歴史は偶然に起こる出来事の連鎖なんて、何らそこには進歩という概念もなければ法則性というものもかんがえられないという考え方をニーチェは提出しているとおもいます。フーコーさんの考え方はたいへんそれに似てるんじゃないでしょうか。ぼくらが、ヘーゲルの意志論の領域をうまく残すことによって、マルクスの考え方、つまり社会の歴史法則というものにできる限り接近できるんじゃないかとかんがえているところを、フーコーさんは始末し切っているような気がします。あとは偶然に生起する問題、原因も結果も連鎖もなくて起こってくる問題の無限の系列のなかで、ある系列を区分けしていくことによって、歴史はあるひとつの視え方をするんだとフーコーさんはかんがえているようにおもうのです。そこのところをもう少し核心的にズバリと意見を加えて下さったら、ぼくはたいへんありがたく、じぶんの考えに役立ち、参考になるとおもいます。(68-71頁)

[38] (吉本)たぶん諸個人の意志と実行の現われの総が、必ずしも歴史のなかでは、社会の動向をきめていくように表われてこない。あたかも歴史は、いつでも偶然のように、または理念の失敗のように出てくるのはなぜか。歴史が諸個人の意志とは何ら関係のないように出てくるという問題は、マルクス主義よりももっと先まで詰められるべき余地ある問題のようにおもえるのです。そこで諸個人の意志の総和のなかには、ヘーゲル的な言い方をすれば、道徳も実践的な倫理も入ってきます。その問題を全部捨象してただ全体の意志、階級的な意志というところに集約してもっていったところに、哲学の不適応の問題が生じているんじゃないか。権力に坐している諸個人の意志の総和と、全体の権力として出てくる意志とが、まったく別なものとして出てきてしまっているところに問題があるんじゃないか。それは原則として詰めていけば、もう少し詰められるんじゃないか。もう少しぼくの考えで申しますと、歴史の展開は偶然にしか左右されないという考え方には疑間の余地があるようにおもうのです。  

それはどういうことかといいますと、偶然というものが無数に積み重なり組み上げられて必然が出てきているということであるし、また偶然という要素は必ずそのなかに必然という要素が見出されるとしますと、歴史はその偶然に支配されるか、あるいは必然に支配されるかというような問題に対しては偶然の積み重なりがどこかでその必然に転化していくその境界と範囲が確定されるならば、まだまだフーコーさんのおっしゃるように政治を貧困にするものとして始末してしまわなくて、マルクスの思想及び歴史的な予言は生きさ

せることができるんじゃないかとぼくはかんがえます。

ですから、たとえばニーチェが歴史は偶然にしか左右されない、必然もなければ原因と結果の連鎖もない、つまり、因果性もないというようにきめつけている問題はぼくには、そう簡単に受けいれられないところがあります。ニーチェは偶然と必然との関連の詰めがまだ粗雑だった。そこは直感に支配された。あるいはむしろ感性的な問題に支配されていたんじゃないかとおもわれます。そこの問題はもう少し詰めていくということで、まだマルクスの思想は、生きた現実の政治のモデルたり得るとかんがえているのです。そこの偶然と必然の問題ですね。フーコーさんの書かれたものからも、歴史の偶然と必然の関係、つまり偶然の積み重なりが必然に転化していくその境界の問題、あるいはその範囲の問題、領域の問題については、もう少し詰めて語られる必要があるんじゃないかとかんがえるので、そこの点が一つ質問したい点なんです。(88-89頁)

[39]フーコー)しかし、はっきりいって、事態はそれで完全にくつがえったわけではなく、もとのままにとどまったというべきかもしれません。ニーチェ以後、フッサールによる現象学、さまざまな実存主義の哲学者たち、そしてハイデッガーといった人たちは、とりわけハイデッガーは意志の問題を解明せんとしていながら、ついに現象というものを、意志という視点から分析しうる方法を明確に定義するには至っていません。つまり、この意志の問題というものをそれにふさわしく思考することは、西洋の哲学にはついに不可能だったわけです。

そこで、では一体、どんな形で意志の問題が考えられうるのかという点に触れねばなりません。さきほども申しましたとおり、人間のさまざまな行動と意志との関係を語るにあたって西欧は、いままで二つの方法しか持ってはいませんでした。つまり方法においても、概念においても、あの伝統的な自然‐力という形か、それから法‐善悪という形でしか間題が提起されていなかったわけですが、奇妙なことに、意志を思考するにあたって、人はこれまで軍事的な戦略にその方法を借りることはなかったのです。私としては、いわゆる意志の問題を闘争といいますか、あるいはさまざまな抗争関係が展開されてゆく場合の、その葛藤を分析する戦略的視点といった形で提起され得るのではないかと考えています。

たとえば、事態は、すべてが理由もなく生起するというのではなく、事態は、自然の領域にそうした事態が起こっているときの因果律に従ってすべてが生起するわけではなく、人類の歴史的事件や人間の行動を解読可能にするものは、抗争、葛藤の原理としての戦略的視点だと宣言することによって、人は、いままで定義しえずにいたタイプの合理的視点に立ちうるのだと思います。そうした視点に立ちえた場合、活用すべき根本的な概念は、戦略であり、抗争であり、葛藤であり、事件であるということになりましょう。こうした概念を援用しつつ明らかにしうるものは、敵対者同士が相まみえるといった事態が進行しているときの、その敵対関係――一方が勝ち一方が敗れるという勝敗であり、つまりは事件なのです。ところで、西欧哲学なるものを概観した場合、事件という概念も、また戦略的視点をかりた分析の方法も、抗争、葛藤、勝敗といった概念も充分に究明されていないことがおわかりでしょう。したがって、今日の哲学がもたらすべき新たなる知的解読の契機は、こうした戦略的視点による概念や方法の総体なのです。もたらすべき、と申しましたが、それは少なくともそのようにつとめようと試みるべきだというにすぎず、ことによったら失敗するかもしれませんが、しかし試みてみる必要はあるでしょう。

こうした試みは、ニーチェ的な系譜につらなるものだといえるかもしれません。しかし、あの晴れがましくも謎めいた権力の意志という概念にさらに推敲され、理論的に深められた内容を盛る必要があるし、同時にまた、ニーチェの場合よりもいっそう現実に即した内容を盛らねばならないと思います。(82-84頁)